早見慶子の十条日記

4月19日に再生日本21主催の「今こそ、21世紀の明治維新を!」という講演会に参加した。

講演者の一人が稲田雅彦さんが知人だったので参加してみた。前半は浅井隆さんが講演をした。

彼は村山節という統計学者の800年周期説を紹介してくれた。この21世紀は800年周期で衰退しているため、21世紀は2000年がその交差する年になるため、混乱すると言う。

もちろん村山節さんの話は海外では評判がよかったらしくトインビーも評価していたという。

さて、いずれにしてもチベットでも地震があり、アイスランドで火山が噴火し、四月に雪が降る今日、地球環境がまともではないことくらいわかる。

私も忙しい毎日を送っているのは、「今やれることはしなさい」という声がするため、あいている時間はいろんな人に会い、雑誌をつくり、ゆくゆくは農地へ移住する計画を進めて行こうと思っていたからだ。

環境だけじゃなく、私のまわりでは解雇される人は多いし、24時間労働に近いような状態で働いている人がほとんどだ。もはや人間として生きることさえ、できないような危機を実感しているのだけれど、何もすることができない自分を、農業という生産手段を確保することで、何とかしのいでいくことを考えている今日この頃だ。

ところが浅井隆さんも同じようなことを考え、農地を買うこと、子どもを野原で遊ばせることを考えてプロジェクトを立ち上げようとしていることに驚いた。

批判する人もいるけれど、たぶん今の状況で地球の大変動がないと思う人は自分で考えて生きてきていなかったのではないだろうか?つまり新聞やテレビの報道がなくなれば火山も安心と考えてしまうような人たちは、情報に左右されて、火山が何を意味し、その結果他にどうのような影響を与え、生態系が崩れていく、という予測を自分なりに考えるという努力をしていないのでは、ないだろうか?

そんなことで私はこの浅井隆さんの計画にも非常に興味を持っている。すでに農業をしたい仲間はいっぱい見つけたけれど、実行に移す行動力がなかなか持てないのが、私のダメなところだ。

いずれにしても日本の農業自給率40%、これは肥料、種子を購入しているものが含まれていないため、実際は5%の自給率なら、何かあったときに、ほとんどは食料にありつけないことになる。

だからやはり農地の確保は必要だと思った。

次に稲田雅彦さんの講演だった。

彼は今の日本がいかに財政破綻の危機なのかをきちんと語っていた。借金が多く、自力で財政がまかなえないときに「子ども手当て」などの出費を重ねる問題だ。収入より支出がオーバーすればいつか破綻する。

日本はそれを内需拡大で税収を増やそうとしているようだけれど、解雇が多く、年収が少なく、ほとんど毎日遅くまで働く人が買い物を楽しむ余裕なんてないはずだ。

そして円高。これはその結果日本の企業は海外の安い資本を求めて日本を出て行く。

そうすると日本の雇用は減り、日本の技術まで海外に流出するから、ますます国の沈滞をもたらしてしまうという。

この円高は誰か決めたのか?このレートはアメリカの同意のもとに決定されている。日本は輸出競争力をつけるため、円安を希望するのだが、アメリカは自国の安定のために拒否し、いっときは1ドル79円にまで下がったときは私も驚いた。けれど安くニューヨークに行けたからよかったが。

ところがこうした日米の為替に中国が口を挟むこともあり、アメリカは耳を傾けているという。

中国は粗悪品を安く売りたい。日本は品質のいいものを高く売りたい。そのとき円安だとそれほど高くならないため、それなりに売れるけれど、円高だと日本の商品が高くなってしまうので、急激に輸出が伸びなくなるというしくみだ。

中国は他国の為替レートにも口を挟むのに、日本の政治家は国策がなく、海外に有利になるように経済交渉をしているため、結局沈没してくのを止められないようだ。

日本の政治は官僚がしきっていて、現実のことより自分の利益を考えていることが多いから、天下り先のために法人をたちあげたりするし、ロシアの日本大使館の地下に温水プールを自分の奥さんのために作った人もいるという。自分の趣味に国費を95億円も使う人は他国では裁判になるけれど、日本では黙認というのが現状らしい。

きちんと批判する人がカルト扱いされてしまうこの日本に未来はあるのか?

私はあまり考えずに生きている日本人もそれはそれでおおらかでいいと思う。けれど、誰かが何かをしてきたから、社会の平和もあるわけで、この国をよくするために、自分のできることを少しずつしていけたら、と思った。

懇親会にも参加し、いろんな人と知り合いになれたのはとてもよかったと思う。

とても充実した1日だった。


2010/3/29 月曜日

ハラスメントって?

Author: 早見 慶子

いまセクシャルハラスメントだけでなくパワーハラスメントが問題にんっている世の中だけど、このハラスメントの基準とはなんだろうか?

なぜこんなことを書くかといえば、私の職場で大学生の実習を受け入れるため、教え方の模範DVDを見たからである。

そこで、Aさん、B君の二人が実習に来ていて、指導薬剤師、薬剤師の人が二人を教えていく。

実習生ががんばっているので、業務終了後に「学生さんを誘って食事にでも行こうか」と薬剤師の人が話しているシーンが出てくる。

その後「食事に誘う行為はハラスメントになる可能性があるので気をつけましょう」とあった。

う~ん、教師と生徒の関係では食事に一緒に行くのは禁止なのだろうか?

でもあのシチュエーションは職場全員で、という感じだったので、ハラスメントには見えない。

これでは人間関係がギクシャクしてしまうのではないだろうか? 確かにこれまでの会社では上司が強引に部下を誘い、自由を奪われていることも多かったかもしれない。

それはハラスメントだからいけないのではなく、行きたくない人を強引に誘う行為が失礼であるという単純なことであるし、断るほうがしっかりすればいいことだっていっぱいある。

つまりその場をどうしたらいいのか、その現場で話し合って決める問題だと思うのだけれど。

断れない自分を法律がバックアップしてくれると思って、食事に誘うくらいで訴える世の中のほうが問題ではないだろうか?

日本人にとって食事をしてくつろぎながら、仕事のフォローをしたり話したりすのは文化的にとてもなじんでいる。

私の経験では仕事上感性があわない人でも、飲みにいって話し合うことで、信頼関係が回復することも多かった。

なぜかわからない。けれど仕事では几帳面な人と大ざっぱな人は体質が合わない。几帳面な人は大ざっぱな人にイライラする。大ざっぱな人はイライラしている態度に不愉快さを感じる。

けれど、飲みにいって心のうちを話すことで、人間を好きになることはよくあることだ。人間を好きになったら、それまで不愉快だったことも許せるようになるから、人間は不思議だ。

このハラスメント注意のDVD。学生を食事に誘うのはよくないらしいけれど、いっぱんの職場での飲み会もだんだん自粛されていったら、仕事はもっとつまらなくなってしまうような気がしてならない。

仕事。それは技術だけでなく、人間関係の学びの場でもあるのだから。嫌いであるという気持ちを思いやりにかえるのは業務中ではムリである。

そんなとき仕事の後の食事が何かなごやかな雰囲気を与えてくれるのではないだろうか?


地下鉄サリン事件から15年が過ぎた。新聞でも大きく扱われ、ドラマにもなったようだ。

事件の被害者は苦しかったのかもしれないけれど、そのトラウマからの解放がなされない限り、本当の解放にはならないと思う。

この日本という土壌はむしろトラウマを保持し、被害者意識を強めるようなな報道に満ちているのは精神的に未熟な国だからだろう。

海外のようにもまれずに平和に生きてきたから、急激な変化に弱いのかもしれない。

9.11のテロ被害者が「その報復にアフガニスタンやイラクに戦争をしかけるのをやめてほしい」と語ったのは、事件を悪い方向に拡大するのをやめさせようという愛のパワーから生まれる力強い発言だったことを思い出そう。

リンゼイさんを殺された被害者の家族も加害者である市橋容疑者の家族を恨むのではなく、同じを悲しみを持っているだろうときちんと語った。

どんな人でも被害者の親でありたくないし、加害者の親でもありたくない。その気持ちは同じものだろう。

ところがこの日本では被害者意識を美化し、復讐こそ理想だと語る。そしてお金の問題にすりかえ、いくらお金がおりたかを誠意の尺度にしたがっている。

南京大虐殺を日本がした過去があってけれど、それは一部の軍部がやった行動にすぎない。だからそこに関わった者しか、真剣に反省することはできないのだ。

圧倒的多数の日本人は戦争で死に、家族がなくなり、家も失くしてしまったのだ。焼け野原の中に途方にくれたのに、そういう人たちが加害者だという錯覚を一部の左翼の人たちはつくりあげてきた。

それは補償という問題、つまりお金の問題にすりかえてしまうから、物事の本質がズレてしまうこになり、その解釈をめぐって日本の中でとても多くの対立を生み出してしまったのは残念な過去だった。

そんな歴史のせいだろうか? メディアではいくら返済されたとか、お金の問題を語る。あの時代のオウムは一部の者が走ったのであり、多くの信者は修行する普通の人間だったのだ。

事件に関わっていなかったから、何のことかわからないのにお金だけを請求される。理由がわからないのに謝罪をしないと世間では人間扱いをされなかった。だから謝ってきた。

では、どれほどの日本人が朝鮮にしたことを謝罪しているというのだろうか? 北朝鮮を叩くことに未だに熱中しているではないか?

被害者意識が強いと、加害者にもなっている自分のことを忘れてしまう。そのほうが重大な問題だ。憎悪は魔物なんだから。

国は誰がサリンをつくるように誘導したのかを一切明かさない。誰でもつくれるものではない。製造方法を教えた人、それらの機械の調達を助けた人などもっと大きなバックボーンがあったことを隠して、弱い修行者だけに責任をかせようとしたままだ。

結局15年たった今も、この国は真実を理解するより、復讐心と被害者意識を煽り、社会を希望のないものしてしまうほうがいいらしい。

被害者意識をなくさない限り、人は豊かになれない。被害者意識は加害者も持っている。何かをきっかけにして被害者意識を見たいがために加害者になりたがる。

愛は赦すこと。赦すことによって人を大切に思ったとき、愛情深い人々をひきつけていく人生に転化できるのだ。

そして過去の不幸に執着しないこと。それはいっときの幻想だったのだから。その強烈な感情はその人の心を蝕んでいく。脳はその不幸を何度も思い出させ、その人を苦しめていく。

この世は肉体の死とともになくなるいっときの幻想だから、嫌な想念を解放し、人への思いやりで生きていこう。そしたら自分も他人も幸せになれるはず。

被害者もオウムの人もみんなこの15年一生懸命生きてきた。そのことは不幸なことでなく、最高の宝であったことを思い出してほしい。


鹿砦社主宰の飲み会のときに昼間たかしさんから「おやすみアンモナイト」のチケットを買った。

素人の乱を扱っていたので、ちょっとばかり興味がわいた。批判するためだけに労力を払う運動とは違い、自力で生きようとするスタンスは人間本来の姿だと思うからだ。

昼間たかしさんは素人の乱に「博愛」を感じ、そこに人間の求める本質があると語っていた。

批判を中心とした運動と助け合うことを中心にした運動と何が違うのか?

批判は弱い市民が強い権力に文句を言うことで政府がよくなっていくことを期待するところにそのベースがある。

けれどこれは本当は違う。市民が弱くて権力が強いというのは権力者の発する幻想を受け入れた結果生ずる、マインドコントロールの結果にすぎない。本当は人間は一人で生きられる強さを持った存在だから、権力者の加護がなくても充分に生きることができる存在だ。

自分では何も生み出すことのできない権力者に比べ、市民は農産物を作り、工業製品を作り、情報をささえるテクノロジーを担っている。つまり現実の価値を創造しているのは、働いている市民のほうである。

権力者はお金を取り立てて、そのお金を使う権利により、市民よりも大きな存在であるという錯覚をさせている。

批判にすぎない運動は「生活保護をくれ」「仕事をくれ」「お金をくれ」ということで、政府に税金を取り立てる正当な理由を与えているにすぎない。

どんなにお金があっても権力者のポケットマネーが流れるのは選挙資金くらいであり、政策の費用は税金によるものなのだ。

だから既存の権力に頼らない運動こそ人間の自由と尊厳を守る闘いなのだ。

けれど、働くのは辛いこともある。いや、労働は喜びにもなるけれど、人間関係によって疲れてしまうことのなんと多いことだろう。

そんなとき勇気を与えてくれるネットワーク。そんなひとつに素人の乱がある。

自分たちで創造していく活動は責任がかかり、誰の責任にもできない。批判の運動は政府が変わらなくても、反対を唱える人が悪いのではく、常に責任を政府に求めるから、自分の孕む問題点を見過ごしてしまうことがほとんどだ。

 この映画では貧乏でも工夫しながら逞しく生きていく人間像が爽やかな印象を受けた。

 萎れたネギと牛丼ですき焼き鍋を作り、おいしいと言って食べる若者。ガンジーはおなかがすいていればなんでも美味しいと言っていたけれど、私も山で12時間歩き回ったとき、その言葉が真実であることを実感した。

 そして何よりも人情が通いあうから、美味しく感じるのだろう。

そのストーリーと平行して、演劇をするために夜の仕事をする女性も、人間関係のいじめにあいながら、がんばっていて明るい。もちろん夜の仕事だけでなく、普通の昼の仕事にも露骨ないじめだってあるし、貧乏と関係なく、働く人のほとんどが自由時間のない日々に追われているのが現状だけど。

 ところでこの助け合う人々は貧乏だからこそ、そうなるのだと思う。戦後の時代は私の親も隣の人とお金の貸し借りをしあいながら、生活をしていたと聞く。給料日前はお互いによくあることだから気にしなかったらしい。

 それに合鍵を隣の家に預ける習慣があった。鍵をなくしたとき、家に入れるようにするためらしい。それほど人間同士信頼しあっていたのだろう。

 現代も下請けや現場労働者が引越しをするときは、職場の同僚が手伝ってくれるのはよく見かける光景だ。

 けれど、大手企業に勤める人は、引越しの人に頼んでしてもらう。プロの手際もいいし、払うお金もあるから、気兼ねしなくていいのだろう。

 現代のように人間関係の冷え切った時代、温もりを思い出させてくれる映画だった。

 ちなみにこの映画、知った顔がいっぱいあって嬉しかった。乾君、増山さん、昼間さん、映画監督の増田俊樹さん、他にも見たことのある顔がいた。

 特に松本哉さんは演技のほうも上手で、役者としての才能もあるのではないか、と思ってしまった。

 これまで映画が遠い世界の出来事だったけれど、身近に感じられて楽しかった。