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2010/4/30 金曜日

革命家の品格

Author: 早見 慶子

4月23日に法政大学でデモやるのに誘われて参加してみた。昨年に比べてノンセクトの人はほとんどいなかったように思う。

4月だというのに最高気温が10度という寒さは、立っているときに肌にしみこんで来た。

ところでこの集会のとき、白髪の人やOBと思われる人がやたらと警察に対してヤジを飛ばしているのが目立った。

「やーい、お前なんか警察署長じゃない。巡査部長だ」「おまえら帰れ」「お前ら恐いのか」とずっとなじり続けている。

この光景を歩く大衆が見たらどう感じるのか考えてほしいと思う。

世の中を変えるのは大衆である。大衆の支持がないクーデターは簡単に崩壊してしまうものだ。

ガンジーは裸で裸足で歩いていた。それはインドの一般人の姿をすることで民衆の側に立とうとしたのである。だからスーツを着てなくても大衆の支持は得られたのだ。

さて一般の大衆が人を説得しようとするとき、「お前ら恐いのか、恥さらしだ」という言葉は使わない。これはチンピラが人を恐喝するときに使う言葉だ。

もちろんこんな言葉を使う人たちに敬意を払う人はほとんどいないだろう。そう、彼らには革命家になるという意識が欠落しているのだ。

たぶん自分たちの勉強してきた一部の知識が正しければ人がついてくるという錯覚は、インテリにありがちな思いあがりのように思えるけれど、実はこれ、最近の活動の行き過ぎた典型のように思う。

最近は仲間を求めて集会に参加する人が増えてきたので、不満だけを語る人が多くなってきた。つまり、社会というのを客観的に分析し、何が原因でそのようになっているかを理解し、そのためには何が必要であるかを導き出して、解決できる方法をさぐるという社会をよくするための奉仕的精神で参加しているのではない、ということだ。

それは自分の不満を聞いて欲しくて参加したり、自分を認めてほしいから参加する。だから自分という限られた視野からなかなか解放されていかない。いい年をしても不平不満を叫び、なじり続けるのは、文句を言うことを目的として参加しているからだろう。

問題を解決するために参加してきて、何も解決できなければ、賢い人は自分の理想と自分の力があっていないのか、自分が解決しようとする方法が誤っていたのか、という冷静な分析をするはずだ。

かつて中核派も命をかけて活動していた時代があった。小西誠さんとは思想は違うけれど、彼の中には修羅場を生き抜いたオーラがあった。ところが今は、組織温存のための糾弾しかできなくなってしまったのは残念だ。

人間は人を尊敬するから活動に参加するわけだ。

だから革命家(あるいはリーダー)になろうとする場合、どういうような人間に自分がなっていくことなのか?という問いを自分に発さなければならない。

人に言われたら不愉快なセリフを人に向かって投げかけるべきではない。不愉快なセリフは人間の糞尿のようなものだ。人に自分を理解してもらうときに自分の好きな食べ物を与えて、これが私の好きな料理ですと差し出すならわかる。

けれど警察に向かって投げられた糞尿は大衆にもまき散っていることに気づいているだろうか?

さらに公判のときに「黙れこのブス」というヤジを飛ばしていたという話を聞いた。これはハラスメントの言葉なので、市民社会の人間が使うことはほとんどない。

活動家に品格がなくなった時代、すたれていくのは必然であろう。

本当に社会を変えようとする者は人間を大切にする人だ。明治維新のとき、勝海舟と話し合い、外国勢とも交渉する政治力があったのは、人間を理解し、大切にしていたからこそ、交渉ができたのだ。

隊列の中で「お前なんかクズだ」「このブス黙れ」とは誰でもできる。けれど人を説得することはものすごく難しい。この違いをゴマカすために協力しない大衆が悪いとか、指導者が悪いとか他人の責任しているため、自分という人間をずっと客観視できないでいるのは悲しい。

大学の総長や警察官と交渉する力を失った人たちは、大衆をひきつける魅力さえ、どんどん後退させるしかない。

そんな一コマがデモの途中であった。お弁当やさんの車がデモ隊に挟まれて出られなくなり、警察に抗議をしていた。お昼だからお弁当を早く配達しろとお客に文句を言われることは間違いない。このご時勢だ。休憩時間に遅れることは、お弁当やを切りかえられる危機でさえある。

かつてリーダーシップがあった時代は、デモ隊のリーダーがきちんと隊列を分けて、車を移動させ「お仕事お疲れさまです」と声をかけていただろう。

たぶんこのお弁当の配達の人は「仕事しない暇人が日中からデモをしていて、警察はこの人たちの味方しているんだな。何という時代なんだろう」と。

革命家の品格とは、自分より他人を思いやることであるはずだ。「人民のために命をかける」とはもはや遠い彼方の言語である。もちろんこの「人民のために命をかける」というのも取り違えると、危険な言葉であることは間違いない。

けれど、ソクラテスやキリストも処刑されてきた歴史の中で、命をかけることは心に正直に生きる者の宿命のような気がする。そこで、人間は命について考えることはしてきたはずだ。聖人は永遠の生命を理解しているから、命を失わないことを知っている。だから、肉体を失うことを恐れない。

けれど、競争社会で人間をライバルとして認識してきた若者が、急に命をかけるから、どこかで功名心と不安が一体となっているはずだ。

そして命を失うことに恐怖を感じるから、激しい闘争のときはものすごく緊張する。そんな中で判断を誤って粛清もあったことは残念だ。

ところが現代では、徒党を組んだときにだけ、ヤジを飛ばす総会屋のような働きしかできなくなってしまっている。もう少し自分たちの歴史を学び、結成時代のリーダー、本多延嘉氏に恥ずかしくないような革命家を目指してがんばってほしいと思う。

内ゲバは悲惨な歴史であったに違いない。それは負の遺産だ。けれど、その死の恐怖を果敢に生き抜いた美徳は革命家の誇りであったはずだ。もう一度誇りを取り戻してほしい。


20 Responses to “革命家の品格”


  1. 風呂敷包み Says:

    私の意見として、我々は市民社会の一成員として、何処へ出ても恥ずかしくない人格に成熟すれば充分だと思うのですが、早見さんが「革命家」という言葉を使う真意は、どこにあるのでしょう? 

    日本人の大部分は昔も今も社会の漸進的な改善を望んでいて、「革命」なんて望んでいないと思うのですよ。「革命」という言葉が、社会の一階級を暴力的に滅ぼしてしまうような大改革とか、議会制民主主義の根本が崩壊してしまうような共産革命とか、天地がひっくりかえってしまうような変化とかいう意味において、ですけれども。

    いみじくも早見さんが「インテリにありがちな思い上がり」と評しているように、戦後の日本は教育によって膨大なテクノクラートが生み出された社会なのですから、一握りの人間が何かをしゃべって、たくさんの人がついてくる集まりでは最初からないのですよね。

    人々が結集するのは、公害が垂れ流されていたり、沖縄から米軍がなかなか出ていかない、というような「公共の問題」の場合に限られるのであって、その解決手段も議会や裁判という穏健な手段を通じない限り、広い支持を集めることはできないわけですよね。

    そのような社会で「革命家」とは、どういう意味に捉えたらよいのでしょう?



  2. 伊藤秀人 Says:

    初めてコメントさせて頂きます。

    わたくし自身此方の記事を拝見させて頂いて、かなり染み入る部分がありました。

    人を「人様」と思う事が大事なのは頭では重々分かってはいるつもりでも、なかなかそうは出来ていない自分自身に苛立ちを覚えます。



  3. 風呂敷包み Says:

    ネットサーフィンしていたら、こんな記事が出てきました。

    「要するに、僕のこれまでの生涯は、民衆に奉仕するというより、民衆に寄生してきたのです。奉仕されるばかりで、自前の職業的労働すらしてこなかった。これは情けないことで、よく生きてこられたなとも思う。だからこそ、自己労働を幾ばくかでもやり、本物の革命家になりたいと思うわけです」。

    http://sankei.jp.msn.com/photos/life/trend/080703/trd0807032211019-p1.htm

    この人、自分に与えられた職務のなかで精一杯やればいいのであって、こんな年寄りになってまで、なんで「革命」にこだわるのか理解できません。「民衆に奉仕」なんて、この言葉自体「上から目線」であって鼻持ちならない。

    「働く」とは「はた」が「楽」になるから「はたらく」という、水戸黄門に出てくるセリフのほうが心にピンと来る。「世の中が暗いと嘆くより、すすんで明かりを灯しましょう。」という某宗教団体のCMだって素晴らしいと思う。そういう地道な、身の回りの幸福を考えられないで生きてきた人が、いまさら何が「革命」だよとも思う。

    もう「革命」という言葉は使うだけ野暮だから、使わないほうがよい、と思えるのですが。



  4. 風呂敷包み Says:

    >内ゲバは悲惨な歴史

    再び内ゲバを起こさないためには、なぜ内ゲバが起きたのか、学生運動を暴力に駆り立てたものは何だったのか、人々がしっかり過去を振り返り反省する必要があると思うのですが、そのような「自省」は、今、学生運動をやっている諸氏の間にきっちりと根を降ろしているのでしょうか。

    おそらく世間では、中核と革マルのケンカも暴力団どうしの勢力争い程度にしか受け取っていないから、「命をかける」なんていっても「社会秩序を乱して殺し合いをしたい連中は、勝手にやって死ねばよい」程度にしか思っていないのではないか。あさま山荘で殉職した警官は現地に碑が建てられ、その名は警察の記録にも歴史の記録にも留め置かれるが、内ゲバで死んでいった若者たちの名前は、時間の堆積のなかに埋没してゆくに違いなく、あと10年もすれば、内ゲバがあったことすら世間の人々は忘れてしまうだろう。いずれ、よほどの酔狂人でもなければ、図書館の奥の閉架室から古ぼけた文献を引っ張りだして当時の記録を読もうなんて気持ちを持たないようになる。でも、どちらもほぼ同時代を生きた若者には変わりはなく、僕らの時代、内ゲバは強烈な事件の連続だった。当事者ばかりでなく、一般の市民だって、なぜ自分たちの町で凄惨な事件が頻発するのか分けが分からず、ひたすら脅えたんだよ。町の電信柱に「誰々を殲滅せよ!」なんてビラが貼ってあったら誰だって怖いに決まってる。でも、当時は、それが日々の光景だった。

    逆に言えば、どのような場合なら、若者が暴力的エネルギーを爆発させても許されるのか、尊い人命が失われても良いのか?という問いにもなる。内ゲバで死んでいった若者たちの死を犬死にさせないためには、この問いを忘れてはいけないように思う。



  5. 風呂敷包み Says:

    (前掲から続く)

    ずっと以前、立花隆の「中核vs.革マル」を読んだとき、この本が書かれた時期が内ゲバ事件が頻発していた時代に近接しているせいか、事件の経過が淡々と語られていることはノンフィクションとして優れているけれども、渦中の人々がどのような心境でいたのか、例えば逮捕され刑期を受けた加害者の側の心の動きみたいな部分は、少なかったように思う。

    僕のなかで最大のテロをやり最大の懺悔のなかに生きている人といえば、大韓航空機爆破事件の金賢姫なのだけれども、かつてのゲバルト学生で人の頭を金槌でかち割ったり鉄パイプで滅多打ちにしたり、何の関係もない商店街で暴れまわって破壊活動をほしいままにした人々も、どうしてそんな心境になったのか、今はそのことをどう思っているのか、自分史をどこかで語るなり手記に残すなりして欲しいものだ。

    もっとも、そんな自省などしない人々だから、かつての投石や火炎瓶に代えて、糞尿のような罵詈雑言を吐き散らして気勢を挙げるのかもしれないが。



  6. 早見 慶子 Says:

    風呂敷包みさん
    いつも丁寧なコメントありがとうございます。
    いろいろ考えさせられるところがあります。当時の内ゲバはけっして残酷なことを平気でできる神経の持ち主がやったわけではないと思います。
    私も活動していたからわかるのだけれど、人を殺すことなんてしたくないから、そういうことから逃げようとする自分を律っして、誰かがやらなければならない。それなら、オレが・・という気持ちが大きかったのではないでしょうか?
    感情的な暴力と違い、指令によって行使する暴力は勇気がいるものです。
    けれど、その正しいと信じる主観はピントがはずれていて、結果的に周囲の人間もその組織さえも後退させてしまうので、自己犠牲の精神、正義を信じる心というのはとても難しいものだと思います。
    金賢姫は国家の指令だったので、もう少し何か違うものがあったと思いますが、党の指令の場合、正義だったのだろうか?という混乱が起こりやすく、その気持ちを文章で表現するのは、とてもきついことではないかと思うのです。
    集団でいるときの罵倒は緊張もないし、勇敢である必要もないから、もっとバカバカしい気がしますが。
    私たちは学校で人間同士がライバルになるように仕向けられるため、他人の気持ちになって考える習慣がなくなってしまったのかもしれません。
    自分のその一人だったわけで、より多くの人の気持ちを理解するように努力したいです。



  7. 早見 慶子 Says:

    伊藤秀人さん
    書き込みありがとうございます。
    伊藤さんは徒党を組むことがない人だと思います。人が闘うときは、本当は一人のはずです。集団であろうと自分がどう行動するのかを考えて。
    そういうところで、伊藤さんは誠実に生きていると思います。がんばってください。



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