知り合いになったやんちぇんさんから『僕らのカヌーができるまで』のチラシをもらっていた。自然を大切にしている人たちが、きっといっぱい出ているに違いないと思いつつ、でも、それが何でカヌーなんだろうという疑問が私の脳裏をよぎる。
自然を大切にするなら農業だ。でも、カヌーはあの立派に育った木を切り倒すのだ。樹木は人間に奉仕する霊的に高貴な存在な気がして、何となく抵抗があった。
それでもチラシの喜びに満ちた笑顔を見ていると何だか見てみたくなり、ポレポレ東中野に足を運んでみた。
思想的な世界、活動の世界は、いつも自分が正しいと信じて他人を素直に受け入れられない人が、あちこちに見受けられる。そう、人間を信頼することを忘れてしまい、他人を攻撃するときだけ結束するゆがんだプライドが、何だかいつも空ブリの抵抗のように思えて悲しすぎる世界だ。
そんな思い込みの正義とは違った世界。たぶん活動家の世界も文壇の世界も今は、都会的にいろんなことがつめ込まれて、自然をそのまま理解することができてなくなっているため、イライラしている人たちが、自分も社会もすべて否定しないと存在できない世界。
そんな被害者的な意識とは一線を画する何かを期待して、映画を見に行った。
その映画は木を切り倒してカヌーを作るという単純なものではなかった。それは一つのサバイバルの世界だった。
蹉跌から鉄を集め、製鉄する。カヌーを作る道具も自分たちで作る世界だ。その鉄も電気を使わず、古来の方法で、ペダルのようなものを踏んで、火を吹かし、製鉄をしている姿に驚いた。みんな汗をかいているけれど、とても明るい笑顔だ。
何かを創造する喜びに満ちた自然な満足感。
さらに縄をつくるため、あちこち探し、結局はインドネシアの樹皮で作ることにした。とてもシンプルにできるからだ。
さらに保存食を探すため、いろんなところに行く。それはどういうことかというと、インドネシアから日本まで旅をできるようなカヌーを作るということらしい。
商店に行って買い物をするという生活の中で、私たちは、「生きる」ということを忘れてしまった。自分が自分であることを確かめることをファッションや美味しい食べ物をコンビニで発見することくらいしかなくなってしまった私たち。
ある人たちは世の中をよくしようとやたら本を読み漁る。あるいはネットで人とコミュニケーションをしてつながっている気になる。けれど、それで何だか満ち足りた喜びに浸ることなんてできやしない。
架空の人によって与えられた空間であることに違いなく、本を読むことも文章を書くこともすごく安っぽくなってしまったみたいだ。一冊の本をくいいるように読みふけるのではなく、速読によって冊数をこなすため、知りたいところだけの記憶と抜粋さえあればいいような読み方。それはファッション業界によって作られたファッションをカッコいいと感じる世界とさして変わりない。
宣伝によって消費させられ、乱読させられているし、ネットで人気を得るために過激な内容や有名人にやたらと触れたがったりする。
それは自分の生き方ではない。
そんな現実にこの映画は挑戦している。文句を言うだけのデモなら誰でも参加できる。けれど、カヌーを自分たちで作って航海することは真剣でないとできない。
途中でやめたら意味がないからだ。私がかつてよく登った登山も途中でバテて歩けなくなっても、ふもとに戻らなければ、助からない。だからテントをはれる場所を見つけるためにとにかく歩く。そして翌日も歩く。そんな連続の中でやっと地上に戻ってこれるのだ。
けれど、このカヌーはもっと長い道のりだ。
カヌーを作るのも何度も試行錯誤する。探検家の関野吉晴さんがかつてアマゾンに行ったことがヒントになっているという。
彼はアマゾンでナイフ1本で、家も建てるし、服も作れるし、食料も確保する人々に出あった。
お金で何でもすませ、他人に作らせているため、「生きる」ことを忘れてしまった自分にハッとしたらしい。
だからなるべくそれに近いことをしてみようと思ったという。
いつもjは一人でいくところを、今度は若い人を誘った。学生だと安全に責任をとらなくてはいけないから、卒業生が協力したという。
本当の危険とはアマゾンで生きる人々だ。そこには猛獣がいる。一瞬のスキが死を招く。
けれど、現代人はちょっとケガをしただけで、騒ぐ。システムが整っていないと何一つできない。
けれど雄大な大地で生きる人には知恵がある。インディオの人たちも、かつて若い人を一人で旅をさせる習慣があった。ハゲタカに襲われるかもしれない。ヘビに襲われるかもしれない。コヨーテだっている。
夜はその辺の何もないところで寝るから、安心して眠れる家さえない。
そんな中で、恐怖を乗り越える訓練をするのだ。鼻水が出てすぐに病院に行く現代人とは全く違う世界。
そんな世界に生きる人は心が素直だ。たぶん自然を理解し、敬意をはらっているからだろう。
自然を小ばかにし、貪欲のために破壊しつくす人々と何か違う感性。
インドネシアでカヌーをつくる現地の人の真剣な眼差しはとても輝いていた。
私ももう一度この生きるということを考えてみたい。ナイフ一つでの生活。なんとカッコいいことか。
彼らの自由に生きるおおらかさは、妙に訴えかけてくるものがあった。
2010/5/8 土曜日
映画『僕らのカヌーができるまで』をみる
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