早見慶子の十条日記 » 2010» 3月

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2010/3/29 月曜日

ハラスメントって?

Author: 早見 慶子

いまセクシャルハラスメントだけでなくパワーハラスメントが問題にんっている世の中だけど、このハラスメントの基準とはなんだろうか?

なぜこんなことを書くかといえば、私の職場で大学生の実習を受け入れるため、教え方の模範DVDを見たからである。

そこで、Aさん、B君の二人が実習に来ていて、指導薬剤師、薬剤師の人が二人を教えていく。

実習生ががんばっているので、業務終了後に「学生さんを誘って食事にでも行こうか」と薬剤師の人が話しているシーンが出てくる。

その後「食事に誘う行為はハラスメントになる可能性があるので気をつけましょう」とあった。

う~ん、教師と生徒の関係では食事に一緒に行くのは禁止なのだろうか?

でもあのシチュエーションは職場全員で、という感じだったので、ハラスメントには見えない。

これでは人間関係がギクシャクしてしまうのではないだろうか? 確かにこれまでの会社では上司が強引に部下を誘い、自由を奪われていることも多かったかもしれない。

それはハラスメントだからいけないのではなく、行きたくない人を強引に誘う行為が失礼であるという単純なことであるし、断るほうがしっかりすればいいことだっていっぱいある。

つまりその場をどうしたらいいのか、その現場で話し合って決める問題だと思うのだけれど。

断れない自分を法律がバックアップしてくれると思って、食事に誘うくらいで訴える世の中のほうが問題ではないだろうか?

日本人にとって食事をしてくつろぎながら、仕事のフォローをしたり話したりすのは文化的にとてもなじんでいる。

私の経験では仕事上感性があわない人でも、飲みにいって話し合うことで、信頼関係が回復することも多かった。

なぜかわからない。けれど仕事では几帳面な人と大ざっぱな人は体質が合わない。几帳面な人は大ざっぱな人にイライラする。大ざっぱな人はイライラしている態度に不愉快さを感じる。

けれど、飲みにいって心のうちを話すことで、人間を好きになることはよくあることだ。人間を好きになったら、それまで不愉快だったことも許せるようになるから、人間は不思議だ。

このハラスメント注意のDVD。学生を食事に誘うのはよくないらしいけれど、いっぱんの職場での飲み会もだんだん自粛されていったら、仕事はもっとつまらなくなってしまうような気がしてならない。

仕事。それは技術だけでなく、人間関係の学びの場でもあるのだから。嫌いであるという気持ちを思いやりにかえるのは業務中ではムリである。

そんなとき仕事の後の食事が何かなごやかな雰囲気を与えてくれるのではないだろうか?


地下鉄サリン事件から15年が過ぎた。新聞でも大きく扱われ、ドラマにもなったようだ。

事件の被害者は苦しかったのかもしれないけれど、そのトラウマからの解放がなされない限り、本当の解放にはならないと思う。

この日本という土壌はむしろトラウマを保持し、被害者意識を強めるようなな報道に満ちているのは精神的に未熟な国だからだろう。

海外のようにもまれずに平和に生きてきたから、急激な変化に弱いのかもしれない。

9.11のテロ被害者が「その報復にアフガニスタンやイラクに戦争をしかけるのをやめてほしい」と語ったのは、事件を悪い方向に拡大するのをやめさせようという愛のパワーから生まれる力強い発言だったことを思い出そう。

リンゼイさんを殺された被害者の家族も加害者である市橋容疑者の家族を恨むのではなく、同じを悲しみを持っているだろうときちんと語った。

どんな人でも被害者の親でありたくないし、加害者の親でもありたくない。その気持ちは同じものだろう。

ところがこの日本では被害者意識を美化し、復讐こそ理想だと語る。そしてお金の問題にすりかえ、いくらお金がおりたかを誠意の尺度にしたがっている。

南京大虐殺を日本がした過去があってけれど、それは一部の軍部がやった行動にすぎない。だからそこに関わった者しか、真剣に反省することはできないのだ。

圧倒的多数の日本人は戦争で死に、家族がなくなり、家も失くしてしまったのだ。焼け野原の中に途方にくれたのに、そういう人たちが加害者だという錯覚を一部の左翼の人たちはつくりあげてきた。

それは補償という問題、つまりお金の問題にすりかえてしまうから、物事の本質がズレてしまうこになり、その解釈をめぐって日本の中でとても多くの対立を生み出してしまったのは残念な過去だった。

そんな歴史のせいだろうか? メディアではいくら返済されたとか、お金の問題を語る。あの時代のオウムは一部の者が走ったのであり、多くの信者は修行する普通の人間だったのだ。

事件に関わっていなかったから、何のことかわからないのにお金だけを請求される。理由がわからないのに謝罪をしないと世間では人間扱いをされなかった。だから謝ってきた。

では、どれほどの日本人が朝鮮にしたことを謝罪しているというのだろうか? 北朝鮮を叩くことに未だに熱中しているではないか?

被害者意識が強いと、加害者にもなっている自分のことを忘れてしまう。そのほうが重大な問題だ。憎悪は魔物なんだから。

国は誰がサリンをつくるように誘導したのかを一切明かさない。誰でもつくれるものではない。製造方法を教えた人、それらの機械の調達を助けた人などもっと大きなバックボーンがあったことを隠して、弱い修行者だけに責任をかせようとしたままだ。

結局15年たった今も、この国は真実を理解するより、復讐心と被害者意識を煽り、社会を希望のないものしてしまうほうがいいらしい。

被害者意識をなくさない限り、人は豊かになれない。被害者意識は加害者も持っている。何かをきっかけにして被害者意識を見たいがために加害者になりたがる。

愛は赦すこと。赦すことによって人を大切に思ったとき、愛情深い人々をひきつけていく人生に転化できるのだ。

そして過去の不幸に執着しないこと。それはいっときの幻想だったのだから。その強烈な感情はその人の心を蝕んでいく。脳はその不幸を何度も思い出させ、その人を苦しめていく。

この世は肉体の死とともになくなるいっときの幻想だから、嫌な想念を解放し、人への思いやりで生きていこう。そしたら自分も他人も幸せになれるはず。

被害者もオウムの人もみんなこの15年一生懸命生きてきた。そのことは不幸なことでなく、最高の宝であったことを思い出してほしい。