早見慶子の十条日記 » 2009» 11月

Archive for 11月, 2009

11月22日の日曜日に船橋の友人に誘われて映画「犬と猫と人間と」を見に行った。場所は船橋勤労福祉会館だったので、ちょっと遠かったけれど、そこまで出払う価値があった。

この映画は捨てられた猫を育てている稲葉慶恵子さんという年輩の女性の依頼で飯田基晴監督が中心となって制作したものだ。この上映会はとても盛況で350名の席では足りず、椅子を用意し、358名の客入りとなった。

 さて、この映画は犬や猫が捨てられているのを、育て、教育しているさまざまなボランティアの人がいろいろな角度から意見を述べ、現場の状況を伝えている。

 その中で、不妊手術をして繁殖を防ぐシーンで胎児がいても取り出すところがあった。獣医の人が手術を施すのであるが、注射によるから、胎児に苦痛はないという。

 犬や猫を大切にしたい人が、不妊手術をし、胎児を殺す矛盾。また、犬、猫を殺傷処分する人たちの思い。なぜ、大切にしたい人が、残酷なことをしなくはならないのか? 

 獣医の女性は、「猫や犬が増えていけば、結局処分する動物が増えていくので、少しでも繁殖しないようにすれば、殺される動物が減るので、仕方がないけれど、必要なことだ」と語った。

また、殺傷処分する人は「私がやらなくても誰かが処分する。ならば、動物を好きな人が殺したほうが、冥福を祈ってあげられるから、いい最後になるのではないか?もし嫌いな人が処分したら、虐待のような処分になってしまうんじゃないか?と思うと自分が引き受けようと思った」と語る。

 今犬や猫の殺される人数は1日957匹という。それほど多くの生き物が生を全うせずに殺されているのだ。

 もちろん不妊手術についても「人間中心の考え方で、イヤだ」という人もいる。私もその意見に賛成だ。

 その映画では地方ではまだ、放し飼いにしている家庭がいる、ということを否定的に語る意見が多く出されていた。

 私は犬や猫は野生であるから、自然界にいるのが普通だと思っていた。ロンドンでは野生化した猫や犬はほとんど見かけないという。

 私の子どもの頃、隣の犬が放し飼いにされていたことを思い出す。だからよく家に遊びにきて、とても可愛かった。その犬は「ジョン」と言った。自由に出入りできたけれど、けっして悪さはしなかった。

 そんなある日ジョンはいなくなった。保健所に連れられたしまったんじゃないだろうか? という話だった。私はどうして保健所が勝手に犬を殺してしまうのか不思議だった。だって、素直なジョンは友だちだったのだから。

 たぶん野生化されると、食料を求めて仲間が殺しあったりするし、不衛生になり、病原菌が増えるとか、人間に噛みつくなどの理由があるのだろう。

 映画で飼育される過程も出ていたけれど、引き取ってもらうため、人間の言うことを聞かせようと努力するシーンがあった。犬が自分の速度で走ろうとすると首を締め上げたりする。この飼育法は批判もあり、だんだん変わっていくのであるが。

 動物は獣だから思いっきり走りたいのではないだろうか? 人間の言いなりにならない動物を殺す、というのは何か大切なことを封じ込めている気がする。

 海外ではアニマルコミュニケーターという人たちが存在する。この映画ではそういう人たちが扱われていない。たぶん知らないのだろう。

 アニマルコミュニケーターはテレパシーで動物の気持ちを理解する能力のある人たちだ。獣医が見放した病気も、動物とコミュニケーションして、原因を理解し、解決しているという。そしてこの能力を開発する学校もある。

 例えば、家で使っている床掃除の洗剤が悪いとか、新しいペットをかわいがって、孤独になって衰弱しているなど、いろんなことがわかるらしい。

 意見の違いはあっても、こうした動物をずっと世話をする人は大変だと思った。動物を育てるのも人間と同じで、今日だけ餌をあげるわけでもなく、毎日与えなくてはいけない。お金もボランティアでまかっているのが現状だ。

 あまりにもかわいかったので、私もこうした犬や猫の世話をしてみたいと思った。反対だけの運動より、動物を育てることのほうが、人の心は成長するのではないだろうか?

 今までの運動にはない新鮮な世界をこの映画は提供してくれた。監督のナレーションがとてもよく、ほんわかとして優しい気持ちになれた。いい映画をありがとう。


11月1日(日)に豊橋でイベントを行なった。「政権交代!日本の選択を語る」というテーマで寺本泰之氏が代表を務める紘基会が主催だ。

 もともと政権交代がテーマだったけれど、鈴木邦男さんと運動についてトークすることにした。鈴木邦男さんの大切にしたいことは、何をしたか、という業績よりも、いかに心をこめてしたのか、という人間の生き方なんだと思った。

 政策というとわかりやすいけれど、常に損をする側と得をする側がいる。子ども手当て、高速道路の無料化をすれば、子どものいる家庭、マイカーを持つ家庭は得をする。そのことにちなんで、教育関係業者、自動車業界も潤うだろう。けれど、何の恩恵にも預からない人は、増税というカタチで持っていかれるだけだ。

 普通仕事で政策を出すときは、アイデアのそれぞれについてメリット、デメリットをあげ、どういる理由で、このほうがいいと判断したのか、ということを明確に分析して、実行する。

 業者にすすめられて、何の検討もなく採用するところは、たいてい経営が悪化していく。だから真剣だ。

 にもかかわらず、選挙とは多くの議題の中で、それを選び、他は切り捨てたのか、どういう層にとっては、どれだけの負担が強いられるのか、ということが明確ではない。

 鈴木邦男さんはマイナーでも運動をしてきた人、真剣に生きてきた人の心を大切にしているんだな、と発言を聞いていた思った。

 菅家さんのでっち上げ逮捕のありようでも、学歴もない人だから、きちんとした証拠がないにもかかわらず、逮捕したのではないか、と思いやりのある発言をしていた。

 私は活動してきたが故に、その嫌なところも見てきてしまっているから、それほど簡単に褒めることはできない。運動している人たちは、自分の思いに拘泥して、他人に対する理解が弱いのではないか、と思っている。人に迷惑をかけるようなことをしてきたことは、まぎれもない事実だ。

 もっと謙虚に活動しなくては、と反省して今日にいたっている。

主催の寺本泰之氏は中卒なのに、社会変革の熱意にかられ、見事市会議員に当選した奇跡の人である。彼の話は論点がハッキリしており、受け答えもスッキリしている。さすが市議の経験からくる自信がみなぎっている。

 外国人の参政権について私は同意した。寺本さんは時期早々という意見だ。鈴木邦男さんは外国人に参政権を与えて国が混乱するような日本であってはいけないと、賛成していた。

 日本で国籍を取得するのはとても大変だ。アメリカでは国籍とは違うグリーンカードという市民権を獲得できるシステムだ。

 人間とは自由を求める存在なので、他人の自由を束縛するということは、自分の自由も束縛してほしいということなのだろうか?

 結局立候補する人が限られている現代では、投票することの価値なんてあまりない気がする。だって毎日同じ仕事をしていて、話す話題が変わるだけである。「ジャイアンツが優勝したね」とか「民主党が勝ったね」というように、少しは違うけれど、自分の子どもがどこの学校に受かるか、とか職場でリストラにあうことのほうが重要なことなのだ。

 だから参政権が与えられたって、立候補できる人が限られているのだから、それほど大きな変化ではないと思う。

 外国人は日本に長年住んでいたら、半分日本人だ。国籍がある、ないにしろ、その文化を共有することで、自国の考え方とは違ってきてしまう。

私は外国籍の人間を差別する人は、女性を差別するし、弱い人間より、強い人間を崇めることを要求することが多いように感じている。

 自分が持っている権利は他人にも与えてしかるべきだと思う。自分には参政権があるけど、あの人は持つ権利がないという基準。それは国籍で判断するより、政策を語れないのにマスコミの雰囲気やカッコいいという理由で投票する人こそ問題ではないかと思う。

 政治家はタレントではない。政策によって国民を幸福に導くことが義務である。最近はマスコミ受けを狙う政治家が多く、その分無責任になってきているように思う。

 だから日本人であろうと外国人であろうと、誰が語ったのかでなく、何を語ったのかを問題にできるような社会にしたい、と私は思う。

 こうした社会問題は寺本さんとずっと議論してきた。もちろん意見が違い、対立することも多いけれど仲良くできる関係でいられるのはありがたいことだと思う。

 豊橋という風土がそうさせるのか? それともお互いに自立した人間として尊重しているからそうなれるのかはわからない。

 けれど終わった後の飲み会でも、意見の違う人がいろいろ来ていて、そういう人が仲良く飲んで話ができる、というのはとても素晴らしいことだと思った。

 参加者に「日本は好きか?」 と聞かれ私は困った。豊橋は好きだけれど、東京はう~んと思ってしまう私がいる。では何で東京にいるのか? と言われるとたぶん東京が戦場だからなんだと思う。豊橋は避暑地だ。政府に反対することだけが戦いではない。

 多くの働く人々は、毎日が戦いだ。上司に厳しくされ、見放されても出勤する。リストラされても出勤する。それは勇敢でないとできないことだ。そんな厳しさの中でがんばっている人をみると、それはそれで、素晴らしい人たちなんだと感動する。

 それが人間の理想であるとは思わない。けれど、逞しく生きている。そしてみんな孤独だ。豊橋だったら、クルマが故障して、遅刻する、でも理解してくれる。けれど、東京のように個人の生活を全く知らないと、本当なのか? それを遅刻の理由にする気なのか? という冷たい視線が待っている。

 そんな繊細な関係の中で育った感性はデリケートだ。だから、人間の中に美しさを発見する。けれど、いつか自然の豊かなところでのんびり生きる、そんな日々が送れたらステキだと思う。

 豊橋でのイベントで、いろんなことを考えることができて、充実したときが過ごせたと思う。