早見慶子の十条日記 » 2009» 10月

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 この日、ニューヨークで、日本と離れていることもあり、とてもリラックスして対談することができた。なぜ異国の地でリラックスできるのかというと、何人集ったかとか、どんな発言をしたか、ということをチェックされずにすむという解放感みたいものがあるからだろう。

 日本で案内をしたって、ニューヨークまで来る人なんていないだろうから、人にすべてお膳立てをしてもらって気楽に挑めた。

 お客の入りは20人いるかいないかでそれほどでもない。もう少し来る予定だっ

 たらしいけれど、私の肩書きにビビッた人が多かったらしい。

 「えっ、オウムの人が来るの? 元過激派? 恐いわね」という反応があったという。主催者の方たちが、「恐い人じゃないのにね」と、否定的な反応を気にしていた。

 私は過激派時代にさんざん差別をされていたから、今さら気にもしていなかったので、「楽しくやればいいですよ。気にしないで下さい」と主催者の人たちに話した。

 確かに他の対談者に比べて私の肩書きはひどいと思った。でも立派な肩書きを並べ立てて、それに惹かれてくる人を相手にして話すより、ひどい肩書きを差別しないで参加するお客さんのほうを私は大切にしたい。

 エリートになりたい人はそういうところにいけばいいのであって、ひどい体験をしても負けないで生きるところが私の持ち味である。だから正直に話したいので、肩書きで差別する人の視線を感じないで話せたのはラッキーだった。

 等々力さんや宿泊先のオーナーも勧誘をするときに、私の肩書きについて説明しなくてはならなかったのだから、大変だったと思う。ありがとう。

 宇奈美さんはニューヨークの銀行に勤めるかたわら、お母さんでもあり、催眠療法のセッションも行なっているパワフルな女性だ。現状を忙しくて辛いと思わず、むしろハッピーであるかのようにイキイキとしている。

彼女は目標を定めて、努力し、自分を磨いていくことの素晴らしさを語っていた。

 目標が見当たらない人は「美しくなりたい」「痩せてスマートになりたい」「お金持ちになりたい」でもいいと語った。実にアメリカ的だ。

 ラムサの学校でも欲しいものをイメージするときに絵を書いてリアルにするのだけれど、ドルマークを書く人がとても多かったのにビックリした。なんていうかこういうところに来る人が、お金を求めるなんて思っていなかったからだ。つまり、お金でない別の価値観を求めてくると思っていたからだ。

 そういう宇奈美さんに対して浄土真宗の中垣さんは全く違った発言をしていた。浄土真宗は親鸞が創ったもので、日本では親しまれている。ニューヨークに赴任している彼は英語が堪能だけれど、日本語は関西弁でペラペラ漫才のようにおしゃべりをする。やっぱり吉本が入っていたのか?

 「自分がお金持ちになりたい」「美しくなりたい」とは「私」に固執することだから、仏教では全く違うと語った。「無我」であり、「私」をなくしたところに宇宙とつながり、本来の仏になっていく。だから限定することで、自分が小さくなってしまうのではないか、と語っていた。

 彼女は自分が目標をたて、自分が成長し、自信が持てれば、他人を尊重できるようになるから、構わないと語っていた。

 どこか西洋と東洋、あるいは現代と古代の知恵の違いみたいなものを感じた。仏教のほうが本質を捉えているけれど、かなり成熟した魂でないとこうしたことは求めないのかもしれない。

 お客さんは等々力さんと宿のオーナー以外はすべて女性である。だから宇奈美さんのほうがわかりやすかったみたいだ。終わってからセッションへの申し込みが殺到したことから、今の女性の境遇が何となくわかった気がした。

 ラムサが「女性は子供のことで頭がいっぱいで、自分の人生を生きていない。自立しなさい」と語ることが多かったけれど、女性の多くは子供にひっぱられた人生を送ってきている。だから、自分の目標と子どもの目標が一体で生きてきたのだ。

 だから、子育てが一段落したときに、これからの人生をどう生きていこうか悩む。あるいは漠然とした家族の幸せの中で、このままの自分でいいのか不安になってしまう。

 失われた自己を取り戻すために何かをしないと安心できない。けれど、何をしたらいいのかわからない。そんな状況なんだろうと思った。

 本当は人間が自分をわからなくなってしまったのは、自然から切り離されて生きてきたからではないかと思う。インディオの子孫のグランドファーザーは自然の中で一人で何十日も生活をしてきたという。彼は、その中で精霊と語るようになっていった。

 かつての日本でも自然の中に神を発見し、守られているような安心感があったはずだ。自然から切り離されて、神を忘れた人間。自然が与える食料は今はお金を出して買うことで手に入れるようになってしまった。

 お金を神として仰ぎながらも、本当は何も生み出していないことを人間は潜在的にわかっている。だから不安なんだろうと思う。本当の神は多くの存在を支えてきた大地であり、自然なのだ。その偉大さを感じるとき、人間は安らかである。

 この偉大な大地のことを感じたならば、お金持ちになりたい、という個人の願望より、自然を守りたいという自然の一員としての欲求が出てくるのではないだろうか?

 そんなふうに思うと仏教の教えもとても新鮮なものに感じられた。

 参加者は誰一人眠らず、うなずいたり、首を傾けたりしながら、真剣に聞いているのに感動した。質問のときはほとんどの人が手をあげていたのに驚いた。だから時間ははるかに回ってしまっている。

 みんなちゃんと質問をし、内容も考えさせられることが多かった。みんなパワフルで、活気があり、遠慮して、シーンとした日本の会場とは大きく違っているように思えた。

 対談者もみんな素直で、人をこきおろそうとか、受け狙いの発言なんてなくて、濃い話ができたように思った。

 そしてみんな夫婦の関係を維持するための努力をしている、ということがわかった。まだ結婚していない私は、もう少し家庭生活に幻想を持ちたかったけれど、現実は違うらしい。不満は近くにいる人に向かってしまうものなのか。

 そんなことも含めて多くの女性が催眠療法のセッションを受けたかったのかもしれない。今回は対談者だけでなく、参加した女性たちともいろいろお話ができて、楽しかった。

 会話は常に途切れることなく、必ず、誰かがしゃべっているけれど、人を押しのけて話す人はいない。人を退屈させない明るさ。それはまさにニューヨークそのものの光景なんだと思った。


2009/10/8 木曜日

ニューヨークへ再び

Author: 早見 慶子

今回は等々力さんより、イベントの企画をしていただいたので、ニューヨークに行きやすかった。今回は安くチケットが取れたので、往復50,580円だった。機内食が二食つくし、軽食でサンドイッチとハーゲンダーツのアイスクリームまで出る。コーヒー、紅茶、牛乳、ジュースが飲み放題だ。

国内旅行をのぞみなどで往復してもそのくらいかかってしまうから、それでニューヨークなんだからすごい。円高の影響もあるようだ。もちろん保険には入らないで行ったから、入ったらもっと高いだろうけれど。

私は迷ったけれど、自分は事故や病気にかからないと自分に暗示をかけた。命や健康はもともと自分でコントロールできていたのが、自分で自分の人生を生きることを忘れてしまい、人は自分を他人にコントロールさせるようにしてしまったのではないか、と疑っている。

 一日の大半を他人の指令に基づく労働に従事する。その中で自分の主体性を見失わない人は仕事を楽しむことができるけれど、たいていの人は違う。主体性とは私はなぜ今日ここに来て仕事をするのか、という問いかけをし、その答が納得いっているから仕事をする、ということである。

 もし、本当はこんな会社辞めたいのだけれど、不況だからもっと悪くなるので、我慢するというのは、すでに他人にコントロールされた人生だ。

 不況というのは経営者にとってはダメージが大きいけれど、労働者は簡単に仕事を辞めるメリットがある。それに大変ではあるが、起業する自由だってある。

 けれど、メディアなどの影響によって、もっと自分は悪くなると信じて、嫌いで辞めたいところにいる人生を選択してしまうとしたら、それは自分の人生ではない。それに嫌いだと思っている職場だと、雰囲気だって悪くなるし、悪循環のサイクルにはまってしまう。

 結局、自分で人生をコントロールできる状態に持っていってこそ本来の姿なのだと思う。ほんのちょっとした勇気があれば、できるのだけれど、何か特別な才能がないとできない、と思っている、そういう人たちが苦しんでいるのが今の日本だ。

 アメリカでは同じように不況なのに、みんなイキイキしていた。これはその土地のオーラなのか? 仕事がなくても次のことを考えているせいなのか? 

 たぶん日本では仕事があっても賃金が安いと不満を言う。賃金が多くても、日曜日も出勤だし、残業ばかりだと不満を言う。派遣は収奪されていると不満を言う。正社員は責任が重く自由がないと言う。

 そう、失業してなくたって不満ばかりなのだ。この国では挨拶が「仕事がきつくて、ストレスがたまっているんですよ」であるなら、アメリカは「今度家でパーティしようぜ」が挨拶みたいなものなのか?

 外で飲むより、家でパーティをしたほうが安くていい。でも日本では人の部屋に入るのは私生活を除くみたいで悪い、と遠慮するから、外で飲むため、高くなってしまう。

 街を歩いていると「イクスキューズミー」「アイムソリー」という言葉ちょっとふれただけで、返ってくる。

 日本ではほとんど声なんてかけてこないし、「なんだよ」と睨んだり「バカヤロー」という声がする。特に自分からぶつかってきた人のほうが「バカヤロー」というのは何でだろう。

 あんなに広いニューヨークの中心マンハッタンでもケンカや失礼な対応は体験しなかった。あらためて明るい風土のアメリカと、暗くて不満の多い日本の違いを感じた。

 次回、イベントについて報告します。