早見慶子の十条日記 » 2009» 9月

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9月29日から10月5日までニューヨークに行ってくる予定だ。知り合いがイベントを組んでくれたのだ。ニューアーク空港からマンハッタンまでは遠いので、たどりつけるか不安だけど、自分の力を試したいので、ガイドなしで行くことにした。

イベントの中心にいる等々力さんは自分で会社を経営しているが、この不況の中でも堂々と不安にならずに生きている。人間は不況であろうと、自分で強く生きない限り希望はない。それは私のニューヨーク旅行は自分のつたない語学を試すため、一人で行くように、ワクワクする挑戦は人間を鍛えていく。

まず前向きに向かう。そこでは、カルトな体験をし、差別を体験した私、催眠療法士の宇佐美さん、宗教家の中垣さんで人間の心や脳の無限の可能性を刺激するべく、意識の深い旅ができるような討論をしていきたいと思う。

新しい体験。とても楽しみだ。詳細は以下のとおりだ。

NY私の会:第1回企画:パネルディスカッション「先の見えない時代をどう生きる?」 

まさかと思っていたことが起きる時代です。不安定な世界経済が暮らしの足下をすくい、政治も社会も家族や人との関係も、そして気候や健康でさえ、未知の状態にさらされる機会が増えています。これを危機と取るか、新しい可能性へのチャンスと見るのか?先の見えない時代を私たちはどう生きるのか?もとより答えのないそんな問いにそれぞれの価値観とお立場で向き合っていらっしゃる3人のゲストにお話をうかがいます。日時:2009101日(木)6:30-8:30PM会場:BLACK BOX ROOM440 Lafayette St., 4F,
New York, NY
10003
              最寄り地下鉄駅:6番(Astor Place)R8th St.)料金:$5.00               パネラー:  早見 慶子プロフィール:作家。『I LOVE 過激派』『カルト漂流記』プロフィール:
作家。元過激派グループ(戦旗・共産主義者同盟)のメンバーだったがソビエトの崩壊を機に脱退。
1993年の春、キーレーンのコンサートを通じてオウム真理教と出会う。その後1995年の麻原彰晃逮捕まで信者としてではないが交流する。
東京理科大学薬学部卒業。東京在住。薬剤師資格保持。

http://hayamikeiko.com/


宇奈美 博子プロフィール:
全米催眠協会認定ヒプノセラピスト。
NY
米系銀行リレーションシップマネージャー。
結婚歴19年。一児の母。
といういろいろな顔を持つヒーラー。

http://www.saiminny.com/

 



中垣顕實(けんじつ):

プロフィール:
1961
年3月11日、大阪生まれ。1985年に渡米、その後、シアトル別院勤務を経て、
現在、浄土真宗本願寺派ニューヨーク本願寺住職。
前ニューヨーク仏教連盟会長。
NY
インターフェイス・センター副会長。
著書に『ニューヨーク坊主、インドを歩く』(現代書館)
NY
本願寺の前には広島で被爆した親鸞聖人像が立ち、そこで毎年、広
島・長崎原爆法要「恒久平和の日の集い」を主催。 ハドソン川
での9.11同時多発テロ犠牲者追悼灯ろう流しなど、平和を訴える
ユニークな活動を展開される。

http://www.newyorkbuddhistchurch.org:80/index.html 

2次会のお知らせ】会場:焼酎居酒屋「うみのいえ」86 East 3rd street (btw 1st&2nd Avenue時間:8:45PMから(9時まではHAPPY HOURで安い!)希望者のみ。パネラーの皆様とまた会に参加した方たち同士で話しをしたい方、お腹を減らした方、お気軽にご参加ください。飲食料は、各自のご負担となります。(一人20ドルが目安)参加ご希望の方は当日、パネルディスカッション後にお申し出ください。【「NY私の会」とは?】日本を離れ、ニューヨークで暮らすことを選んだ「私」たちが、考えるヒント、役に立つ情報、エンターテイメントをシェアすることを目的にした会です。私はなぜいまNYにいるのか、何をどこで誰からまた何から吸収し社会に還元して生きられるのかを考え、見直すきっかけにしていただければ幸いです。 

発起人:大竹秀子、森光世、河内真帆、等々力雅彦 


今日は薬学の講習会を聞きに行った。

1、腎不全の病態生理からみた薬物治療への進歩

2、排尿障害の薬物治療

3、がん哲学&がん哲学外来

とういう演題で話があった。

その中で、一般の人になじみがあるのが「がん」だろう。

医師はがん患者と接する必要がある。特に末期癌の患者に30分一緒にいるように、と指示しても若い医師は10分が限界だという。

さまざまな患者がいるから、絶望的だったり、イライラしている人もいるだろう。そういうとき、何を語っていいのかわからない。

けれど、今回はこうした神妙なテーマをユーモアたっぷりに樋野興夫さんが話してくれた。

まずしょっぱなから、がん哲学の講演で、全く同じ内容で90分、小学校と大学でやったときの話だ。小学生はみんな起きていたけれど、大学生は半分が寝ていたという。医師会だともっと多くの人が寝ているようだ。と語っていた。

それは好奇心の違いではないのか? と彼は感じたという。

今の大学生は勉強も週に平均2時間の勉強しかしないというデータがあるらしい。

また、韓国、中国、米国、日本の学生に質問をしたところ、①偉い人になりたいか?

②のんびり生きたいか? ③大きな企業で、トップにたちたいか? ④あまりムリせず、安定した生活をしたいか?

の四つで韓国と米国はわりと近いデータであった。①は中国がトップ、日本は大きな大差で最下位だ。②は日本がダントツトップで中国が最下位、③はやはり中国がトップで、日本が最下位、④は日本がトップで、中国が最下位のようなデータだ。

日本人はまだ安定志向が強いのだろうか? みんなで手をつないで、走りっこをするから、社会の厳しさを学んでいないのではないか、ということに言及されていた。

特に医療はミスをすれば裁判で名誉を失う。患者にかける言葉を間違えば、信頼を失ったり、ネットで悪口が広まったりもする。特にもともと態度が悪いから怒った場合、最もたちが悪い対応をされる。

現場とは助けてもらえない一人一人の戦場なのである。そういう厳しさの中でもゆったりとした気持ちを失わないことが大切なのだそうだ。

がん外来の要点は「暇げに見せて、偉大なおせっかい」ということらしい。つまり、忙しそうにしている医療従事者が多いから、患者さんは声をかけにくいし、相談しづらいという。だから忙しそうにしないで、暇そうに接することが大切らしい。

また余計なおせっかいはしないけれど、苦しんでいたり、孤独にしている患者さんに積極的に声をかけてお話をすることだそうだ。とにかく満足してもらうこと、それが医療に関わる人にとって大切なことだという。

いつかは死ぬ。それを看取るのも医療従事者として大切なことだ。昔の時代、がん患者には病名を隠すことが一般的だった。けれど、今は告知して治療することが一般的だ。そのためにいろいろ生きることについて考えている人の話はとても意味深いと思った。


 革命家の中でもひときわ目立った女性といえば、重信房子だ。彼女の最初の作品『わが愛、わが革命』を読んで革命家の愛とは何と爽やかだと思った。当時『革命』という言葉は、世界中の国で苦しむ貧しい人々、今の食事さえ取れなかったり、病気でも治療を受けられずに死んでいく子どもたちをすべて解放してくれるように感じられる魔法の言葉だった。

 そう、抑圧された民衆は革命によって自由になれる、と信じられた時代。確かに先進国では多くのご飯や衣類が廃棄されていた。賞味期限の問題や、ブランドが値下げを防ぐために大量に衣類を廃棄したりしていた。何でだろう? あまって困る人と、なくて困る人。それを解決するのが政治だと思っていた。

 けれどもたれあった中では、解決はムリだ。だから『革命』を起こそう、そう思った。重信房子は夫の奥平剛士がリッダ闘争で死亡したとき「勝った、勝ったのだ」と喜んでいた。私は革命家の死とは悲しむことでなく、褒め称えることであり、それを躊躇なく表現できる、そんなところがステキだと思った。

 このときの本では文学や童話が好きだったけれど、白雪姫が嫌いで、童話はもういいと思って、運動に入っていったという。

何で白雪姫が嫌いなんだ? そこは不思議だった。当時童話をプロレタリア的に論ずることが流行っていた。そう考えると、森で小人に奉仕し、継母の毒リンゴを食べて死に、王子のキスで生き返るというストーリーが女性の自立を否定しているように思えたのかもしれない。王子がキスしないと生きられない女。女性は男に頼ってばかりでなく、自分の力で立たなくては・・・

 私はそう思えなかった。過去の時代から語られている童話は伏線がある。これは白雪姫は、騙されて毒リンゴを食べたと、単純に理解してはつまらない。家を追い出された白雪姫はまず、付き人に殺されそうになり、恐怖を味わう。でもこの恐怖は一瞬だ。森をさ迷っていることのほうが遥かにに恐ろしい。ハイキングの山しか体験したことのない人は安全に見えるかもしれない。けれど、何も持たず、深夜眠るのは恐怖だ。狼や熊などの猛獣や、猛毒を持った蛇たち。それは屈強な男性でも恐怖の場所である。食べることも寝ることもできない試練を白雪姫は耐えたのだ。

そして山小屋にたどりついたとき、休めさせてくれたお礼に奉仕をする。感謝の心は原点である。そんなとき白雪姫がまだ生きていることを知って、継母は再度白雪姫を殺そうとする。

 本当は悪意があることを見破っていたけれど、相手の憎悪に反応したら、その憎悪は白雪姫の心は憎悪や復讐心に染めてしまうだろう。相手の憎悪に反応しなければ、憎悪は引き返すしかない。ノックしても扉が閉まったままなら入れないため、ドアにぶつかって跳ね返ったボールのように継母に戻っていく。それが魂の法則だ。白雪姫は常に霊的に純粋だったので、やり返して殺しあうのを避けて、継母の悪意を赦すことにしたのだ。「死」の恐さはすでに味わっている。毒蛇や熊の出る森で一人だったのだから。

 そして彼女は継母を赦すことによってキリストのように「死」から「復活」を遂げることができたのだ。そしてその復活を最初に見たのは、白雪姫を愛した王子だったのだ。そう、キリストの復活を見たのがマクダラのマリアであったように。

そして継母は自分の憎悪が跳ね返って、命を失ってしまった。深遠なる人間の魂の物語なのだ。白雪姫は決して弱いメソメソした女性ではない。だから私は白雪姫が好きだ。

 そんな風な童話の理解の違いはあっても重信房子さん憧れていたことは間違いない。その彼女が獄中から本を出版した。やはりどこにいても彼女は革命家なのだ。

 そのメッセージと若いころに比べて落ち着いている。世界同時革命を目指し、根拠地にするのにパレスチナを選んだ。イスラエルの建国とユダヤ人。イスラム教とキリスト教の対立。それは世界的に重要な場所だと判断した重信房子の目は卓抜していた。

 PFLPのもとで闘っていたけれど、日本人であるが故に結局アラブ人にはなれない。だから「日本赤軍」を結成して、武装闘争を独自で闘いながら、PFLPと共闘することを考えていく。

 ハーグ闘争、クアラルンプールなど、いろんなところで、人質をとり、身代金と仲間の保釈を要求した。これはパレスチナでは当たり前のことだった。そんな日本赤軍の闘いにパレスチナの人たちはエールを送った。日本人の反応は冷ややかであったが。

 アラブではこうした身代金が現場で闘う兵士たちを食べさせる大きな資金源だ。彼女は知った人がテロで死ぬのを何度か体験する。そしてその人たちの闘いを裏切らないようにと、武装闘争に徹するのだが、結局東欧諸国の崩壊、ソビエトの崩壊で、バックアップくれるして大きな存在がなくなったとき、だんだん運動も弱くなっていってしまった。

彼女が逮捕され、「日本赤軍解散宣言」をした。当初彼女の一存で解散できるものなのか? 会議で決めるものでは? と思っていたけれど、もともと武装闘争に限界を感じ、新しい運動を創る必要を感じていたようだ。岡本公三の支援のため残しておいた名前だったので、外にいるみんなに「日本赤軍」の名前が負担にならないようにという配慮もあったようだ。

 この本では彼女はとても冷静であり、謙虚に総括をしている。波乱にとんだ重たい人生を、どこにいても重信房子は真剣にぶつかって生きている人なんだと、あらため感動した。


この日、ジュンク堂新宿店で、「ロスジェネ世代と考える90年代」-オウムとは何だったのか?-というテーマで対談をした。

 島田裕巳さん、大澤信亮さん、と私。島田裕巳さんとは初対面なので、ちょっと緊張したけれど、とても気さくな人でやりやすかった。

 私の経歴は80年代に過激派にかかわり、90年代にオウム真理教に通いつめているから、世間的にはカルトにはまりやすい人間だと思われているだろうと、いつも思って生きてきた。

 島田裕巳さんもヤマギシ会でいろいろ体験をされていて、教祖が洗脳して、信者はみんなゾンビのようなイメージは創られた物語で、一人一人考えて参加してきた、と話してくれて、ホッとした。

 もちろん私の革命史観、武装闘争は80年代では時代遅れだ。でも物質的に豊かな時代、企業で働くことが歯車の一人になってしまうことで、生きる目的になりえなかったのは事実だ。

 まだ親の世代は戦後で物資がなく、商品を生産し、豊かにしていくことが、人々を幸福にしている、という実感が持てていた。

けれど、私たちの時代は、潰しあいもあるし、環境破壊、公害問題もあって、本当に人々の幸福に役に立っているのかという確信が持てなかった。むしろ疑問があったからこそ、どうしても素直に企業に入れなかったのは事実だ。

 まあ、過激派をやってしまったおかげでオウムで出家するということにストップがかかったのだけれど。オウムもあの時代の世界観に闘いを挑み、人間の幸福とは煩悩をくすぐることより、解脱によって欲望から解放しようと伝えていたっけ。とても希望を持ち、さまざまなことに挑戦する若者たちに私も惹かれてしまったほど成長していた教団だった。

 過激派、統一教会、オウム、幸福の科学、ヤマギシ会などさまざまな集団が市民社会とは違った世界観を提唱して、何か求めていた時代だった。そうそうオタクなんていうのもいたりして。

 今は不況の中で、安定や保障を求める声も大きくなっている。けれど東ドイツの人たちは「貧乏になる自由、保護されない自由もある」と叫び、ベルリンの壁を壊したのだ。

 私たちだって、内ゲバで殺されても求めたい何かがあったことは事実だ。

 ロスジェネ世代の大澤さんたちは共同で『ロスジェネ』や『フリターズフリー』を自分たちでお金を出資しても、広告に依存しないメディアを追及してきたはずだ。

 正社員雇用を求める声も大きいけれど、私は正社員を辞めて、収入が安くなってもしがらみや責任という重圧から解放された。人の喜びとは自立して自ら新しい価値を創造していくことではないだろうか?

 今回大澤さんも文学へのこだわりの中で、宗教や神の問題に積極的に取り組みたいという、情熱的な意欲を見せてくれた。

 島田裕巳さんは、とても話がおもしろく、豊富な体験の中から滲み出る人間的な暖かさを感じた。

 質問のコーナーで旭凡太郎さんがアジテーションを始めたので、ヒヤッとしたが、彼のいつものトーンとジュンク堂書店というミスマッチが何だかおかしくて笑えてしまった。

 二次会には外山恒一さんもかけつけてくれた。法大ノンセクトで闘っていた中川文人さんが教えてくれたらしく、とても盛り上がった飲み会だった。そうそう『新左翼とロスジェネ』の著者である鈴木英生さんも来ていたし。

 調子にのって三次会のカラオケまで参加し、明日の仕事のことも忘れて、悪ノリしてしまった。なんだか楽しい一日だった。