ここのところ選挙といえば「政権交代」が語られ、民主党が優位な情報が流されていく。病気といえば、新型豚インフルエンザが登場するように。
毎年インフルエンザで死亡する人も2007年で696人いる。けれど、インフルエンザに感染し、肺炎になって死亡した場合は、肺炎が原因とするため、データに含まれないので、感染によって肺炎になって死亡した人はこの8倍くらいいるとされる。
だから2006年では6849人が関係死しているという。タミフル騒動でインフルエンザによる死亡が軽視されたせいだろう。
民衆の意識はメディアによってかなりつくられているから、かつてはタミフルを恐れ、今はインフルエンザを恐れている。そうメディアに誘導されて。
さて、この「政権交代」というキャッチフレースは将来の二大政党制を意識して誘導しているのだろう。世界のシステムは西洋、特にイギリス→アメリカというパターンと、フランスを中心としたヨーロッパ権のパターンを導入させる傾向になってきているのではないのだろうか?
陪審員制度も強制的に導入され、仕事があっても任命されたら、断ってはいけないという。つまり、国家が強制力を持つ制度で、その人を拘束する権利と、国民は拒絶する自由を失うという強引な導入である。
先日市民運動の人と交流したときに、「政権を交代させたい。けれど民主党の議員がイヤな人で傲慢なんだ。だからあの人には入れたくないし」ともらしていた。
ということは候補の顔より政党のほうが優位である、ということを示したのが「政権交代」というキャッチフレースではないのだろうか?
今や民主党は議員になりたい候補者が多くなってきた。人数が足りないので、イケメン、美女を顔にするケースもいくらかある。民主党を選んだほうが有利だと損得で入る人も多々いるようになってきた。
元来人はみんな意見が違う。それに責任感が強い人柄もいれば、口だけの人間がいる。人のいうことを理解しようとせず、自分の主張にしか関心のない人もいる。
だから個人の顔で議員をやるのが本来の姿なのではないだろうか?
マニフェストと言っても知らないところで法律は無数に作られ、変えられている。もちろん国民が知らない間に。
かつて自民党は郵政民営化に同意できない議員を公認から追い出していった。ひとつでも反対する人は党員の資格はないと。
だから二大政党制とは党首の意見にすべて同意する人だけが残れる政党になってしまう。そこで、議員に当選したいだけの人は、決まったことにタテつかないだろう。けれど、自分の頭で考える人は納得しないことで妥協はしない。
そうすると党からはみ出して、議員になることさえ、難しくなってしまう。
みんな違う。だからその議員の政策、人柄に対して投票するほうが自由なはずである。
いずれにしても、私の周囲の人に「民主党がとったら、明日の仕事が楽になると思いますか?」と聞くとみんな「同じ職場で、同じ仕事が待ってるよ」と答えは決まっている。
そう、選挙は野球のゲームと同じように応援したチームが勝利するかどうかという擬似体験をするだけで日常は変わらないのだ。
つまり誰かを助けるフリをしてさらに多くの税金を課すのはどちらも同じなのだ。簡保の宿をただ同然で親しい人に売り渡し、転売して多額の利益を出している裏政治を根絶しない限り不正はなくならない。
子ども手当てを年一人31万円2000円を支給するとは一人暮らし、あるいは子どものいない家庭から取り立てていくことだ。その支給とは年収の少ない家庭なら理解できる。株によって一日で何億、何百億と儲ける人の子どもでも、同じように支給するとは、金持ちは富み、体が弱くて子ども産めない人は税金が増えるだけなのである。
今は末端は24時間営業が普通なので、日中働いても夜中に呼び出されることだってある。変化がなく、休みのない毎日がどれほど監獄のような生活なのか、政治家にはわからないに違いない。
豊かな人にはあげないし、税金を多くするか、寄付を持ちかける。その一方で貧しい人には何かと支援する、という議員もいてもいいのではないか? そう金持ちに恨まれることを怯えない勇気を持って。
金持ちを遇したほうが票につながり、貧乏な人はたいてい日曜日も仕事で、疲れているから投票には行かない。だから、金持ちをひそかに尊重したほうが選挙では有利になるのだろう。
本当は人間はそれほど政府に依存して生きてはいない。労働によって生産したものと自然の恵みによって生きている。だったら自然に優しく、労働するものに優しい生き方をしていくことが大切なのでは、ないだろうか?
投票によって変わらない。人間の生き方を変えなければ変わらない。多くの人にとっては、学校の先生が代わったり、上司が変わることのほうが大きな変化なのだ。
「革命」という幻想がロシア以外の民族にとって不利益をもたらしたように、現実の幸福は自分の手でつくるしかない。みんな自分の可能性を他人に託すのではなく、自分の力こそ信じて生きたほうがいいのではないか?
だから私は人間個人を選び、党に依存しないで立候補できる環境にならない限り、ますますエリートがつくり上げた共同幻想に組み込まれてしまうだけだと思う。
二大政党制という人間管理システムは「人間はもっと豊かに思考できるし、考え方を変える自由もある」ということを尊重しない、大きな権力をつくり上げていくのでは、と危惧する。
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Archive for 8月, 2009
2009/8/28 金曜日
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2009/8/19 水曜日
幸福実現党の人と会う
今年のお盆は初盆なので、お寺に棚行にいく慣わしがある。その翌日、紘基会という市会議員の寺本泰之さんや有権者ネットワーク“ピープル”代表の奥宮芳子さんが中心となった勉強に参加した。
2009/8/12 水曜日
言論の自由より、言論の配慮
人間の意見はさまざまにある。どんな人も自分の意見が正しいと信じて生きている。それは消極的な意味においてもである。例えば、職場の上司の指令が嫌なときでも、その程度の違いは忍耐したほうが、反抗してお互いに不愉快になるよりまだマシである、というように。 |
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