早見慶子の十条日記 » 2009» 3月

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2009/3/29 日曜日

ツァイトガイストを見る

Author: 早見 慶子

 先日高円寺の「カフェこたつで」でツァイトガイストの上映をしていたのを知り、見に行った。

この映画はRSEで上映したそうなので、ちょっとばかり興味があった。

この映画では金融制度の問題点を明らかにしており、新しい視点で描かれているのが新鮮だった。

ヨーロッパでつくられたこの映画はアメリカ人が金融制度を守るためにアメリカ人からお金をゴッソリ持っていくために戦争を繰り返しているのに、正義のためというプロパガンダで騙し続けていることが明らかにされている。

マスコミ、政治家、金融資本が一体となって虚構の世界をつくり、それを真実だと信じている私たち。人間はもっと自由で、いろんなことを表現する自由な人間だったはずだ。

真実に生きようとした中南米の大統領の不自然な死についても、暗殺の可能性があることを指摘していた。

今まで本でいはいろいろ読んできたけれど、映画できちんとまとめられているので、ヨーロッパの底力を感じた。

アメリカの追随をしてきた日本では陰謀論として退けられてきたので、こうした内容のものがもっとつくられていけばいいな、と思った。

最後にマネーベースから資源ベース、テクノロジーによる未来の可能性を語っているところは知識人の限界なのか、と思った。

ビデオもかつてはVHS、とベータの二種類ができ、どちらを採用するのか、というのは力関係になってしまいがちだ。

石油にかわる電気自動車も各社がそれぞれ工夫してつくっていった。そしてどの会社のを普及させるのか、というところで科学者の誇りとプライドを刺激する危険性もある。

エリート主義をこの映画では否定していたけれど、人間の心に宿るエリート主義は、内面を見つめ、心を成長させる努力をしない限り、なかなか克服されるものではない。

新しい時代。それは分離し、対立させる関係をつくり出してきた社会から、みんなひとつの存在から生まれてきたという真実を理解し、尊重しあう関係性の中で希望が発見されるんだと思う。


 お店にパンが並んでいる。お店の主人にとっては交換価値にすぎないパン。そこに一人の飢えた人間が通った。けれどお金を持っていない。その飢えた人間にとっては使用価値がある。けれど貨幣がないために買えないのだ。

 そうこのパンという商品はこの飢えた男と対立する。そう、貨幣という交換物がないために。

 さて、今は違う。お金があっても買えない。本人だと確認できないために。そういう社会だ。

 まず楽天のカードを作ろうと思ったとき、楽天の配達物の案内がきた。かつては案内番号と電話番号、住所で着くと思っていた。けれど、郵便局に電話をかけたら免許証の番号まで聞かれた。ただの受付にだ。さらに誕生日まで聞かれる。それで配達する人が照合して合っていたら渡してくれるということだ。

 きわめて腹がたつ。郵便局は何でも知る権利があるというのだろうか?

 仕方なく教える。

 さらに楽天の銀行口座の印鑑にインクをつけすぎた。それで拒絶をされてしまった。しっかり押そうと思ってつけすぎたのがいけなかったのか?

 そして簡易保険の契約期間が過ぎた。それで簡易保険は貯蓄として考えるとマイナスだし、病気は放置して死んだほうがいいと考える私は、定期預金に切り替えようと思った。

 そしたらできないという。つまり普通預金と定期預金の合計が一千万と決まっているという。もちろんそんな大金を預金するわけではない。けれど普通預金の上限が九百万になっているから、定期預金は百万までなのだそうだ。だから比率をかえるために書類が必要だという。

まあそこまでならいい。身分証明のために健康保険証が必要だという。その住所は住民票と同じリブオクザワになっていた。契約したマンション名はリブハウスオクサワだ。だからずっとこちらを使っていた。

 そのため健康保険証とちょっと住所が違うから住所変更届けが必要だと言われた。面倒なので、免許証があるからそれで身分証明にしてほしいとお願いした。

 男女の区別がないと証明にならないからダメだと言われた。

 私は簡易保険の住所変更、通帳の住所変更をともにさせられた。

 誕生日、住所、電話番号、名前が合っていてもちょっとした表記が違うと本人と認められないということらしい。

さらにDVDを借りようと思ってビデオショップに言った。そこはリバティからツタヤに変わっていた。だからリバティのメンバーズカードは使えない。

会員登録をするために身分証明書が必要だという。健康保険証を渡す。免許証など顔写真があるものでないとダメだと言われた。持っていない。そしたら貸すことができないという。仕方ない。何も借りられないまま帰った。

 何という傲慢な社会なんだろう。私たちは仕事で保険証を提示しなくても薬を渡す。時に法律なんてムシして患者のために薬を出す。

 一度患者が処方箋を遅い時間に持ってきた。その薬はない。どの薬局も閉まっている。その薬はその日に飲む必要があった。医師の許可があれば、変更できる。ところが病院は閉まっていて誰も出ない。

 法的に後日取り寄せて渡すのが、正しい。つまり自分たちが処罰されないということだ。けれど、患者は今日これから飲まなければ体調を崩す。法律違反をして、同じような薬を渡した。そのために処罰されたとしてもきちんと闘う覚悟でそういうことをする。もちろんそういう人は少数派だ。

 患者より、法律のほうが恐いのが人間だ。

さて、ビデオショップで夫の会員カードで妻がビデオを借りたらダメだということだ。お金を渡すのだからいいはずなのに何の意味があるのだろう。

そう、個人認証を当たり前にして、ネットですべて管理していくというのだろう。そのシステムより、人間がそのシステムに洗脳されてしまうことのほうが恐ろしい。

 かつてソビエトで明らかに障害者の人が障害者手帳を忘れたから、医療が全額負担になり、ひどい社会だった言われた。

今は日本もそういう社会になっていっている。人間を排除する社会。買う権利のある人と、買う権利のない人を選別する社会。

ホリエモンは「お金において平等だ」と語った。けれど、お金があっても平等ではない社会はすでに到来してしまった。

 そういえば、ネットでの買い物。あるいは更新。なんかいっぱい文字が書いてあって同意します。同意しませんを選択するようになっている。いつも面倒なので途中で読まなくなる。

 簡易保険も冊子が300ページ以上あった。そんなの読むわけない。仕事に追われている人間が漢字だらけの行政文書を読むわけない。あれは読まないのを前提に文章を作っているみたいでひどいシロモノだ。

 たぶんあれでは職員だって読みたくないだろう。読まないで同意する。知らないうちに所有権が奪われてしまうかもしれない社会の到来は近い。

すでに預金だって身分証明できるまでは銀行の所有物なのだ。小泉元首相は現金のデザインを頻繁に変えて、古いデザインを使えないようにしようと提案したらしい。

 つまり、個人のものはみんな銀行に差し出させるシステムにしようという魂胆だ。銀行が何かあったときに保証してくれるわけじゃないのだから、ちょっとどうかと思う。

 少なくとも私たちは仕事をするときに人間を排除するような態度だけはとらないようにしたほうがいいと思う。


ここのところ不景気で、解雇され生活保護の申請が増えたりして希望が見えないのが現実だ。

 特にアメリカニューヨークではこの状況はとってもひどい。9.11のテロからムリに戦争を仕掛け、イラクやアフガニスタンだけでなく、アメリカ経済をガタガタしてしまった。

 さらに監視体制は強化され、国民の自由がなくなり、活気を失われたアメリカ。

 そんな中にで秘かに広がっているのがNESARA(National  Economic Stabilization andRecovery Act)だ。

日本語にすると以下のようになる。

日本式名称「国民経済安全保証改革法」 “ネサラ”


 

①違法な銀行業務と政府活動に由来するクレジットカード負債、抵当、その他銀行負債を免除する
②所得税を廃止する
③IRS国税庁を廃止する。重要でない「新しい品目のみ」消費税収として均一な比率で課税対象とする
④高齢者の収入をふやす
⑤憲法を本来の状態に戻す(1776年アメリカ独立時)
⑥120日以内に新しい大統領と議員を選出する
⑦金、銀、プラチナ、貴金属に裏打ちされた新しい米国財務省通貨を発行する
⑧すべての法廷と法律問題に元の憲法を適用する
⑨憲法にふさわしい新しいアメリカ財務省銀行システムをはじめる
⑩連邦準備制度を廃止する
⑪金融財政に関するプライバシーを元にもどす
⑫全裁判官と弁護士を憲法の精神にのっとり再教育する
⑬世界中で展開されている米国政府の攻撃や軍事行動をやめさせる
⑭世界中の至る所で平和を確立する
⑮数十年の間に蓄積された莫大な富を世界的繁栄のために再分配する
⑯人道的な目的のために巨額の資金を放出する
⑰代替エネルギー装置のような新しい技術を公開できるようにする

この情報が流れてから、ブッシュ陣営は一挙に戦争体制を確立し、長引く戦争により、国民の活力を奪い去っていった。

そのせいか、目立たないように運動されていて、支持する人もその内容を知らない人が多いという。

もともと政府側の離反者から生じたものらしいけれど、その背後には高次の霊的な存在がついているという。

今や社会的認知されているチャネリングやリモートビューング。それらの存在からもNESARAがだんだんと力を持ってくると語る人が多いという。

 特にサナト・クマラや聖ジャーメインのバックアップがあるという。

日本にいると情報から断絶され、「麻生打倒!」という解決策とは遊離した批判しかなされていないことが多いけれど、だんだんと徳間書店あたりからユニークな本が続々と飛び出してきているのはありがたい。

この霊的なバックアップとは、運動は恐怖や憎悪によるものでなく、希望と愛に満ちた体質にしていくものであり、その意識が根本的に違っている。

たいてい人を批判するとき、自分にも同じものを発見し、他人や自分を嫌悪し傷ついてしまうことは多くある。

すべての存在を赦し、ただ政策においてすべての人が自由と喜びに満ちていくようにすればいい。

現在は発展途上国は金融資本により、過酷な借金をかかえ、どんなに働いても、税金で持っていかれてしまう状況だ。農業をしても自分たちが農産物を得られないまま、栄養失調と過労から死んでいる人もいる。

そんな富の偏った支配と、金融のレートや株を操るだけの人がお金を独占しなければ、もっと自由になれるはずなのだ。

人為的につくられた格差。それは正社員と派遣労働者というレベルの問題ではない。自由時間を奪われた下請け労働者に喜びなんてない。雇用不安、お金の不安という恐怖に縛られてしまうからだ。

本当はみんな自由であり、無限であった霊的な偉大な存在であったけれど、意識が肉体に閉じ込められて、偉大であった自分を忘れてしまった現実。

希望を信じれば必ず実現できることを私たちも信じて、新しい世界を築いていきたい。