早見慶子の十条日記 » 2008» 12月

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 私は髪が長いので、仕事をするときは後ろで束ねている。薬剤師という仕事柄、清潔感を出すことが求められているからだ。

 もちろん受付事務の人は長くても束ねずに仕事をする。けれど、薬剤師の業務マニュアルでは、髪は束ね、マニキュアをせず、アクセサリーもダメ、化粧は薄化粧と書いてある。

 そんなんで、守らなくてもバレないけれど、何となく業界の常識のような雰囲気になっている。

 さて、つい最近髪を束ねようと後ろに手を回したら、うなじがえらく上にあるように感じた。

 「あれ、私のうなじこんなに上? 何か変だゾ」

 そう思って地肌をさわていたら、後ろにスベスベとした空間、全く毛髪のない空間が親指の頭よりも遥かに大きく広がっていた。

 私ひゃゾーっとした。これはハゲ? なんども確認する。間違いなく、スベスベな空間がある。先日美容院では何も教えてくれなかった。たぶん気づいているはずだ。けっこうな大きさなのだから。

 きっと「お客さん円形脱毛症ですね」と言えなかったに違いない。まあ、いちいち言わなくても本人が気づいているだろうと思ったのだろうか?

 その美容師の心のうちをさぐる。いつもマイナス語を人に言わない人だからやっぱり言い方に悩んだのだろう。

 この空間ふりかえるともっと何日か前に髪を洗っていると抜け毛が多いことには気づいていた。けれど、毎日洗っているわけではないので、そのせいだろうとも思っていた。

 それに髪は秋から冬にかけて寒い時期に抜けることが多い。体験的にそうだ。草木も冬に枯れるように毛髪も同じだ。寒くて血行が悪い。太陽の光は髪にいいけれど、冬は弱くなる。だから、たいていこの時期の抜け毛が多いのは仕方ないことだと簡単に考えていた。

 さてこのハゲ、円形脱毛症かどうか確認するためにはそのハゲの周囲の毛を軽くひっぱって痛みがなく抜けるか? ということが判定の基準だそうだ。

 このハゲによって私の髪はとても寂しい現状だ。ロングヘアだから隠れている。けれどさわると左半分は右半分の分量と大きく違う。もともと柔らくて、細い毛質だからボリュームがないほうだ。だからひっぱって抜けるチェックをするなんて恐くてできない。

 私は久しぶりに恐怖というものを味わった気がした。このハゲこれからも広がっていくのだろうか? 私は円形脱毛症が広がってカッパはげになった若者を知っている。

 カッパはげはその頭頂にコインどころかテニスボールくらいの大きさまでに広がっていた。けれど、周囲の毛は黒々と勢いよく生えているから、一般のハゲとは大きく違う。

 本で見ても、かなり広がった女性の例が写真つきでのっている。私はいつのまにか、その円形脱毛症の部分に意識があるような感覚におそわれた。

 何か周囲の毛髪と違う感触。そこだけが痛点があるような感覚だ。一生懸命ガンバレとエールを送る。

 けれど1日すぎても、2日すぎても生えているような感触はない。

 さて、この円形脱毛症はストレスで起こると言われている。けれど、ストレスなんていつもあったし、今が特別ひどいわけでもない。

 しいて言えば、書き上げた原稿が出版社で眠っていて音沙汰ないので、ものすごいジレンマ。でもこれは最初の本を除いて、放置されてやっと出版にこぎつけるというパターンだったから今に始まったことではない。まあ、ひとこと「OKかどうかの返事はいついつまでに出す」と言ってくれればいいだけの話なのにと思う。

 だから癌かもしれないと疑いつつ、癌だと宣告されず、けれどもどうも家族がよそよそしいと思える人にとって、宣告があったほうが楽だということがわかってきたのは今の医療だ。だから医者は宣告する。とても緊張することを若い医師が年齢のいった家族に話をする。

 それなのに、マスコミという業界はそういうことがない。ひとこと。OKでもダメでもいつが宣告を下す日なのか教えてほしいと思う。

 私たちの職場は患者さんの苦情にいつも頭を下げる関係だ。飲み間違えて薬が少なくても怒鳴られて、オタクの薬局が数を間違えたという主張に悩まされたり、お金を払わなくても当然と思っている人がいたりといろいろだ。

 私たちは薬を取り間違ったり、説明不足だと損害賠償が待っているから患者の心象というのは大切な領域だ。客商売で穏やかな笑顔を見るとそれだけで幸せになる。

 もちろん医師だと患者選びをする人もいるようだけれど、薬局は医師が処方したものだから、拒絶はできない。すぐに用意できなくても後日用意をするか、他を紹介するか、と法律に定められている。

 だから何が言いたいかというと、私たちは苦情もちであろうが、メチャクチャ怒鳴られても、笑顔で接し、静かになって帰ってもらうことも仕事の一部なんだということで、調剤する作業だけが仕事ではない、ということだ。

  出版社は読者が、読んでつまらなかったり、腹をたてても返品にはならない。つまり、「オタクの本を読んで、不愉快になった」

「子どもが自殺したのはあんたの本のせいだ」

「読んで頭痛がした」ということがあっても読者はちゃんとお金を支払っている。

だから腰がひくいマスコミ関係者が少ないのかもしれない。

もちろん業界の人も多くの分量の本や原稿を読み、大変なんだろうけれど、大変な業種は山ほどある。私たちだって立ちっぱなしの仕事だし、マッサージの人が何人もマッサージをすると手が疲れ果てる。

重いものを持ち運びし、肉体的にきつい人もいれば、薬品を使って、手あれやアトピーを悪化させている人もいる。

 そんな状況を考えると今どき楽な職種なんてないのだから、横柄な態度でもいいというのはマスコミが権力だからだろう。

 いずれにしてもその強い立場のマスコミが売ってくれるのだと思えば、それもありがたいと思わなければならないのだろう。

 それ以外のストレスは仕事量が減って怠けていると自分を非難する自分の心だろうか? そう思わないようにしているけれど、どこかで自分の日々を責めている気がする。

 他の人が働いているときに、本を読んでいる自分。これまで忙しくて読書量が圧倒的に少なかったから、休みの日は徹底的に読んでしまう。心の片隅で、他の人は毎日働いているし、仕事なくて探している人がいる、と思うとやっぱり自分勝手ではないだろうか? とそれまで仕事と活動と人一倍働き続けた自分の天国を攻撃してしまう自分の習慣であろうか? この年末年始を大変な思いで過ごす人たちは本当に苦しいに違いない。ただ今のお金だけでなく、来年の見通しが立たないというか。

 そういう人のことを思うとどこか自分が罪を犯しているような錯覚に陥ってしまう過去の習慣が自分を苦しめてしまうのだ。

 かつてはそういう単純な思いが誰をも救わず、自分がボロボロになっただけであった。だからマイナスな回路をやめて、豊かさを信じて、いい方向に向かうことを自分だけでじゃなく、他の人にも味わってもらうほうがいいはずだ。 

 だから、自分が豊かであることを許すのが、この世界をよくする第一歩だとやっと気づいた。一人の笑顔は人を幸福にする。それはどんな状況でも笑っている自分をつくることだとわかった。

 だから状況の困難を喜びの種に変える。それは意識をコントロールする力だから自分の中にあるんだとわかった。

 だからやっぱりあまりストレスはなさそうだ。

 ただひとつ五十肩。まだ痛い。夜中に痛みでよく目が覚める。この状態は少しは腕の上がりがよくなったけれど、まだ尋常ではない。

 だから、服を着たり、脱いだりという簡単なことも、片手がうまく動かないため、右手でかなりフォローしている感じだ。

 痛みが激しいと頭痛も起こり、本を読む集中力がなくなる。これまで、時間があれば本を読めると思っていたけれど、痛みは快適な読書をはばむ要因だとわかった。

 ところでこの五十肩と円形脱毛症。これは明らかに更年期障害であることがハッキリした。だって今までこんなことはなかったのだから。ストレスについて振り返ると過去のほうが辛いことが多く、もっと濃厚なストレスだっただろう。

 けれど、身体の老化。私は自分は無縁だと思っていたけれど、ヤッパリ肉体に拘束されるのが人間なのだと痛感した。

 肩や節々の潤滑な動きの変化。ストレスが円形脱毛症になって毛髪の活力を奪ってしまうということ、これはホルモンバランスが崩れて、違う身体になっていくことの兆候なのだ。

 さあ、来てしまったからにはしょうがない。どんなふうにハゲとつきあい、はげになった一帯の毛根が蘇ってくれるように元気づけるしかない。でもここで「はえろ」というのは禁物。

 リンゴの木と同じように「毛根よ。今まで髪を育てて、頭を守り、髪型を楽しむ生活まで与えてくれてありがとう。もうしばらく私を楽しませてくれると嬉しいよ」と語りかけよう。

 いずれにしても毛髪がなくても人間は生きられるのだ。余計な期待をかけて毛根にプレッシャーをかけないように気づかっておかないとね。

 

 


 私は毎回、劇団再生の演劇を見に行っている。決して義理ではない。その迫力に憑かれてしまったからだ。人間の苦悩を一緒になって苦しみ、そして光を求めようとする姿にいつも魅了されてしまう。

 今回は「スーザンナ・マルガレータ・ブラント」だ。ゲーテが生きていたドイツで本当にあった話だ。17歳の少女は幼くして両親をなくし、居酒屋で働き続ける人生だ。

 そんな彼女は行きずりの旅人に睡眠薬を飲まされて、妊娠してしまう。当時、未婚の母はイジメの対象だし、仕事さえ失ってしまう。そんな境遇にあるスーザンナは思いあまって嬰児を殺してしまう。

 この気の毒なスーザンナは死刑の判決を言い渡された。それも公開処刑という残酷な仕打ちで。

 おそらくゲーテはこの話の悲しさ、そう睡眠薬を飲ませて妊娠させた旅人は何の罪もなく、まだ17歳の少女だけが苦しめられる現実をいたく心痛めたに違いない。

 彼女を妊娠させた男性は当時恐らく社会的な地位があって、居酒屋の娘と結婚するなど許されない環境の人だったのだろう。もし貧しい男性なら、逃げることなんて不可能で、重労働につくしかできなかっただろうから。

 旅人は比較的豊かな人であることは間違いない。それに睡眠薬。当時薔薇十字会があって錬金術が流行っており、神秘的な魔術に傾倒する人も多くいた。

 そんな姿にヒントを得たのだろう。ゲーテがこの作品を書くことによってスーザンナの悲しい人生は、純粋な愛を持った女性として生き返ることができた。そう、その少女はゲーテという詩人によって、その美しさがようやく日の目を見ることになったのである。

 そして時空を越えた現代。そのスーザンナを生き返らせたのは劇団再生であった。脚本家であり、演出家の高木尋士さんは、阿佐ヶ谷ロフトという限られたスペースの中で、人間の苦悩と聖なる光の絶妙なコンビネーションをみごとなまでにに表現しきる舞台の錬金術師だ。

 若い役者たちもこのイメージを裏切らずに迫真にせまった演技を披露してくれた。この現代もゲーテの時代のように貧富の差が激しく、かたや六本木で高級マンションに住み、湯水のようにお金を使う人もいれば、住む家もなく路上生活者も増えてきた時代だ。

 そんな時代の中で育った若者は、このスーザンナのような悲しい人生を自らオーバーラップさせて捉える鋭い感性が知らず知らずのうちに身につけているだろう。

 とても素晴らしい演劇であった。

 トークで鈴木邦男さんは死刑に反対だと語っていた。恐らく鈴木邦男さんも高木尋士さんも犯罪を犯す人間が嫌いじゃないのだろう。私も苦しんでるからこそ犯罪を犯すのだから、そういう人をクローズアップしてくれる人たちは貴重な存在だと思う。

 罰が重い時代だって貧困と飢えからあれば犯罪は起きてしまう。罰を強化したり、陪審員制度で国民も裁く側にまわしていくのは、どうかと思う。だって知らない人を裁くことに加担させていく制度なのだ。当事者で解決すべき問題を現場の人間から権力者へ委任する。結局原因を放置してしまうことだと思う。

 犯罪の起きる背景。その人間の苦悩は本当は状況が違えば、誰でも起こしてしまうことを暗示しているにすぎない。そう、もう一人の私の姿。私ならスーザンヌのように貧しくて働かされ、妊娠させらるスーザンヌのほうが、公開処刑を楽しむ大衆より美しいと思う。どう感じるかは人それぞれだ。

 でもゲーテと劇団再生によってスーザンナの人生の儚い美しさは、充分に伝わったに違いない。

 


この事件、元厚生事務次官ばかりが狙われたこともあり、指紋も一切発見されていない。そのせいか、当初は政治的な意図があるかのごとく思われていた。

けれど46歳の小泉容疑者の出頭によって、ますますミステリアスになっていく。

さてこの件で

産経新聞記事「【元厚生次官ら連続殺傷】「今の40代は幼稚な人多い」との識者コメントを見てみよう。

評論家の大宅映子さんの話「40代といっても、昔と比べ、今は幼稚な20代に見える人が多い。子供のころからぬくぬくと育ち、見た目だけでなく、中身も20代の人がいる。バックグラウンドが分からないが、そんなに大した人ではないのではないか。最近は理屈なしに、恨みといった古典的な動機の範囲にも入らない理由で事件を起こす人がいる。仮に年金問題が理由だとしたら、奥さんは全く関係ない。常識がない人のことを考えても分からないが、逃げる気もなかったと思う。その気なら、もっと計画するでしょう」

これでは何のコメントにもなっておらず、40代を20代の子どもを書いているけれど、子どもが殺人を犯すわけでもあるまいし、ただ軽蔑したいのであろうか?

朝日新聞の記事の見出しで「上京後、転職5社」と大きく載っていた。もちろん小泉容疑者のことだ。

転職5社は少ないのでは? と思った私は、一般的に転職5社が多いという見識があるのに驚いた。

 確かに薬剤師向けジャーナルで「転職した人は3回までは認める。それ以上は問題があった人か、イヤなことがあるとすぐ辞める人なので、採用しない」とある。販売業たる薬局でも3回までが常識人の転職範囲らしい。

 ところで私は34歳ですでに転職9社だ。転職を繰り返す人は転職を平気でする。もちろん知り合いで3社まで抑えようとしている人は多かった気がする。過激派までやっていた私は、すでにその時点で世間体を守る必要もなくなっていた。

 薬剤師の業界では以前勤めていたところに「どんな薬剤師だったのかをチェックする」ことが一般的だ。だからそうされた段階で、「過激派で職場にもガサが入りましたよ」と言われたらすでにアウトだ。

 どんなに努力したって報われない。そんな思いとコンプレックスで、仕事がしんどくなっていく。転職とは簡単なことではない。新人であるから、ベテランのように偉そうにはできず、気を使う。

 まず電話機の使い方、(機種によって内線の回し方が違う)FAXのときの文章、FAX後電話を入れるか入れないか、などその職場の常識が違うので、さっと理解しなくてはならない。

 もちろん大手ならFAXなどのフォーマットもあろうが、小さなところでは慣例みたいなものが幅をきかせている。

 もちろんあいている時間があれば「何かやることはあるでしょうか?」とか人のやることを見て「これ手伝ってもいいでしょうか?」と積極的に動き、じゃまにならないように行動しなくてはならない。

 掃除だって率先して始める。新人の務めだと思っている職場が多いからだ。変わるたびに有給休暇は0から出発だから、体調が悪くても出勤する。そんな習慣が身についたせいか40度あっても出勤するようになってしまった。

 3社までて止められる人は優等生であり、転々する人はすでに何かが崩壊して、とめどもなく転職するのだ。

 ロスジェネ世代なら時代のせいにもできようけれど、私たちの時代は違うから「続かない人が悪い」というレッテルになってしまい、自分の責任であることは否めない。事実自分が選択してきことの結果が現実だからだ。

 けれど、転々としていることはいいことだと自分で思える余裕があれば、コンプレックスをもたなくてもすんだのに、と悔やまれる。人が何と批判しようと何社転職しようと、何を身に着けてきたのかが、大切なことだからだ。

 世間から外された疎外感みたいな何かを小泉容疑者は持っていたのだろう。それにしてもペットの殺されたことへの怒りの矛先がこんな後になってやってくるのだろうか? 

 普通怒りは時間とともに薄れていく。現場の保健所ではない厚生事務次官。ここまでする人なら、尾行でもして現役のところだってつきとめることだってできるだろう。

 ヒットマンではなかったのか? 質問に応える内容もすでに何かの方法によってインプットされていて。

 ペットの話が出てきたことにより、この二人の厚生事務次官が何をしてきたのか、捜査する必要はなくなってしまったからだ。

 その上で、今の社会は冷たい戦争をしていると思う。経済圏から追い出された人は死んでもいいんだという、エリード層の意識。

 そう殺人を犯さなくても、経済圏からはずすことで、人を追いつめていく。

けれど、文句を言うことで何も変わらないと思う。なぜなら、対象を憎むことで自分の不幸を増長させてしまう。執着することによって不満は拡大していく。

その苛立ちが人をますます恐れさせ、人との関係を悪化させてしまう。そう、自分の意識の持ち方が、その結果を誘発してしまうのだ。

本当に自分のしたいことは何なのか、そのイメージをしっかり持つこと。自分のイメージをつくろうとしてない人がほとんどなんだと思う。

これは簡単ではない。他人の自分に対するイメージが入ってきて「そんなのできっこない」という言葉に負けてしまう人が多いからだ。

どんなことがあってもすべての人は個性があり、素晴らしいのだ。人の批判に負けないで、自分を信じて生きて欲しい。そうしたら自分という存在のかけがえのない素晴らしさに気づくはずだ。自分の素晴らしさに気づけば、自暴自棄にならずにすんだかもしれない。残念な出来事だと思う。