早見慶子の十条日記 » 2008» 11月

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 小泉総理以降、どんどん首相が交代し、徹底的な批判が加えられている。恐らくエリート街道を歩んできた政治家たちには、この貧困の時代を捉える感性が鈍いのに違いない。

 そんな中で漢字が読めない、と批判するメディアが多いのにショックを受けた。細木和子さんを批判するときも漢字の読み間違いを指摘、攻撃したい対象がいかに漢字を読めないか、学力がないか、というむしろエリート的な批判内容に終始している点がおぞましい。

 そもそもライターが校正や漢字の間違いがあれば厳しく批判されるのはプロとして仕方ないことである。だからライターが国語の基礎があるからといって、自分の基準を満たさない人は政治家や占い師になれないとしたら、ライターか編集の人だけが、政治家や占い師になれる権利があるということになる。

 私も理系のせいか国語力がない。漢字が読めない。「日本」を「にほん」と読むのか「にっぽん」と読むのかわからない。小学校の先生から「にっぽん」と読みなさいと教わった。けれど左翼からは「にほん」と読めと言われた。

 そもそも漢字の読み方にルールなんてない。以前バングラディッシュの人に「上野」は何で「うえの」と読むんですか? と聞かれた。間違って「じょうや」と読んで日本人に笑われ、バカ扱いされて不愉快だったそうだ。そんな彼はルールを学べば笑われたり、バカにされることがなくなると思った。

 けれど、日本の場合「三枝」と書いて「さえぐさ」「みつえだ」「さんし」などいろんな読み方があり、習慣をそのまま使うことがルールになってしまったのだ。

 そんな漢字の読み方を読めないと言ってバカにするのは多くの外国人にとって不愉快なことである。

 そんな外国人にとっては笑われたせいか、日本人の英語力のなさを指摘する。なぜ首相なのに英語しゃべれないの? あのレベルなら僕だってしゃべれるよ、と。

 だからこれらの記事を書く人たちは「日本」という特殊な環境の中で、自分の職業がら得意であることと他人を比較し、攻撃するという品位のなさが表現されいる。

 批判するライターがそうなるのは相手の土俵に上って語る勉強をしていないからではないだろうか?

 麻生首相のお金のばら撒きにつては不評だ。多くの知識人が代案を出している。だから記者は政策や占いの水準で批判すべきであり、対象をきちんと学んでから評論すべきである。

 そうできない背景には売り上げだけを気にするメディアの歪んだ感性が見えてくる。口ぎたなくののしる、軽蔑した口調、紳士的な批判より、歪んだ批判のほうが部数を伸ばせるということなのだろう。

 そこにはエリート的な横柄さを感じても、弱者に対する思いやりや優しさの視点は全くない。政策批判にならない漢字力を批判するなら、自分の歪んだエリート意識を反省したほうがいいのではないだろうか?


この日は法政大OB会の中川さんに誘われて、// でてこい3人! でてこい麻生!! //
  麻生邸リアリティツアーの不当逮捕に抗議する集会
に参加した。すでに釈放されて、3人と集会に合流することができた。

会場はとても多くの人が参加しており、入りきれない様子。逮捕者の一人が知り合いだったので、かけつけた。

ユーチューブで流れている映像では、3人は暴力をふるっていない。だから明らかに警察のデッチあげ逮捕だ。

私が活動家だった時代こうした光景は当たり前の姿だった。特に三里塚では活動家と農民は区別される。市民集会ではセクトと市民の逮捕は区別される。

過激派キャンペーンで逮捕者があいついでいたとき、あの今はなき、「朝日ジャーナル」で「どうみても過激派の人相には見えない人が逮捕された。彼は配られた過激派のビラを持っていたにすぎない。市民を逮捕するのは不当だ」と書いてあった。

私は過激派の人相ってそんなに極悪人だと、記者は決めつけているのか、過激派なら逮捕されても当たり前だけど、市民運動家なら不当なのか?という差別意識に愕然としたものだった。

「朝日ジャーナル」だけは好きで読んでいた私には、きわめてショックで裏切られた気持ちがした。

それ以来メディアに誤解されている私たちのイメージを払拭するのは大変だとわかった。私たち戦旗派はマスコミが嫌いだったので、インタビューを受けても「あっちへ行け」という無礼な活動家がウヨウヨしたいたのだ。

こんな失礼な対応をしていては悪い記事も書きたくなるだろうと思った。

そんな想い出を重ね合わせて壇上ですわり込んでいるうちに、最後に昔なつかしいアジテーションが聞こえてきた。

フリーター労組の山口さんだ。彼はいつも私を素通りしていく。知っているのにこちらが挨拶しないと見ないで歩く。目星をつけた人しか見えないらしい。つまり挨拶をしない典型的左翼の一人だ。

彼は戦闘的なアジテーションでマスコミをなじりまくった。「そこに来ているマスコミの人たち。ちゃんとした報道をしなさい」と。

たぶんここに来ているマスコミは私たちに好意的な人たちに違いない。けれど、明らかに威圧的にアジリまくって、叱っている。

う~ん。マスコミにもプライドがあるから、反発されるだけだろうに、味方以外はなじってもいい人間たちなんだろう。彼にとっては。そう、味方以外は敵に見えるのか?

それに「歩いているだけで逮捕」というけれど、麻生邸を何百人もの人がプラカードをかかげ、騒ぎながら無届で行進していたら、焼き討ちを体験している政治家にとっては脅威だろう。

加藤氏の家だって放火されたのだし。もちろん逮捕は不当である。けれども麻生氏にどういう政策をとって欲しいのかちゃんと要求するべきだし、そう段取りを通した上でないとムシされるだけだと思う。

いまひとつ、この逮捕にどういう意味を主催者の人たちがこめたかったのか、よくわからない出来事だった。

注目されてきた格差社会の闘い。具体的に何を実現したのか?そのためには、誰がどの機関に請願する必要があるのか?

あおういう具体案を考えない限り、批判するための批判に留まってしまい、期待を裏切られる人も出てくるのではないないだろうか?

批判をすることは誰でもできるけど、目的を実現する人はほとんどいない。それがこの社会の現実だ。なぜなら、具体的に必要なことを整理し、一歩一歩準備する努力が面倒だからだ。

人間はどんな人も可能性を持っている。その可能性を引き出し、フォローをするようなネットワークを形成できたらと思う。


 知らないうちに法政大の大学祭から1年たっていた。ヒロ君という友だちから法政大の大学祭に行こうと誘われたのがキッカケだ。私は一年前に世論研究会の恩田さんが司会をし矢部さんが講演していたことを思い出した。だから恩田君にメールして場所を聞いた。今回は白石嘉治さんだったけれど、内容は同じだった。

「学費を無料」にという内容を他の諸外国の例をあげて、日本が最も遅れていると話していた。

 物事を説得するのに諸外国を例にとるのは、日本人のすぐマネる人格から来ているのか、あるいはコンプレックスからか?

 それに学費を無料にしていいことがあるのは、子どもを大学に行かせたい、あるいは行かせている親、それと大学、講師などである。

 たぶん白石さんは自分が大学の非常勤講師をしているが故に社会=大学になっているに違いない。

 世の中、仕事はいっぱいあり、政府からお金をぶんどって、イヤ、予算をとって、自らの仕事に貢献させてほしいと思っている人はいっぱいいる。

 私の職場は医療だけれど、入院している人たちは莫大な費用がかかる。そもそも健康になりたいという病人だってお金を払っているのに、勉強するための人がタダであるというのはよくわからない。

私は社会や哲学、スピリチュアルなことなど全部独学で勉強してきたし、私のまわりの人で、特に輝いた判断力をもった人は独学組である。それは興味という一番有力な教師と一体だからだ。

 親や予備校の先生に進められた人は、何を学びたいのかわからない。つまり、ランキングで決めてしまうからだ。医学部も頭脳がいいから、予備校の先生に進められて入る人が多い。それなのにイメージと違ったから辞めてしまう人の何と多いことか。そう、現実は奉仕と技術、頑強な肉体が求められ世界だからだ。

 病人と接するためすぐに病気に感染しやすい。きちんとやっても技術が未熟だとうまくできない。咄嗟の判断が誤るとすぐに訴えられる業界だ。医師は職場が近くないと深夜の呼び出しに対応できないから、訴えられる確率が高くなる。だからみんな近いところに住んでいる。

 そんな仕事現場を見てくると暇な時間があり、犯罪を起こさない限り、訴えられない講師や教授の世界のほうがパラダイスであろう。

 さらに土建や工場のように危険な機械で重傷を負ったり、死の恐怖だってないのだから。実際に現場では仕事で死ぬ人も少なからずいる。

 今年を襲った集中豪雨でマンホールの中で溺死した人たち。この人と友人ではないけれど、こういう職場の友人がいる。彼らはたいてい下請けの下請けで、末端にいる。

 下請けの下請けは、その上の下請けが厳しいため、作業をしないとまた別の日に作業をすることになる。二日行っても、一日で終わらせてもお金は同じである。すると従業員にもしわ寄せがくる。だから来たときにやってしまおうとしたのだろうと推測できる。

 もちろん下請けの死亡事故はほとんど報道されず、大手のような保証金さえももらえない。だって下請けには余剰の資金などないからだ。

もし下請けが親会社を訴えたら、他の下請け業者に仕事を取られてしまうという恐怖がある。つまり大手はどこか他に仕事を依頼できる強みがある。下請けで事故を起こす会社のほうが、安全管理ができてないと判断してしまうため、不利な立場だから泣き寝入りしかできない。

 そんな厳しい現実を考えると白石さんにもっと大きな世界を見てみたらどうですか?と教えてみたくなる。それは私が多くの現実を見すぎたせいなのか?

 恩田君に会えたし、大学祭の熱気にふれたのはよかったけれど、講演の内容はパッとしなかった。

 白石さんのように講師になる人は別として、たいていは仕事につく。大学を終えて働く人は四年間、モラトリアムを楽しんでも厳しい現実が待っているのだ。

 私ならこの厳しい労働現場をかえるほうが先決のように思える。働き手として楽な大学を利するより、下請けで死ぬ人の保証金や、入院費が払えなくて死んでいく人のことを考えるべきだろう。

 けれど、大切なのは命だと思っているわけではない。どう生きるかなのだ。いつか肉体は死ぬのだから。

 私の主催するイリオスの仲間で、貧しくてお金がんく、大学に行けなかった人がいた。彼は働いてお金をため、夜間の大学に入り、無事卒業した。

 講師という肩書きあっても「他の国は」というデータで説得を試みるより、講師という自分の立場にとって「学費の無料」が必要なのだ、つまりは私の将来の安定のために、と正直に語れないのはプライドが許さないからなのか?

 人は他人のことはよく見える。けれど自分のことはわからない。だから他人である私からみると、学費のタダなんて損得で計算して入る輩が増えるだけだと思う。医療だって子どもが無料になったとたんに1日3回も医者にかかったり、虫に刺されただけで、医者に通うようになる人を増やしただけである。

 本当に学びたい人はイリオスの仲間みたいに、自分でお金をためて入るであろう。

 「求めよ。そうすれば汝の欲しいものは与えられるだろう」

学ぶには自分の意志こそ必要である。だから私はこれからも独学で学び続けるつもりだ。

 


2008/11/4 火曜日

食品の期限

Author: 早見 慶子

 最近、食品の期限やメラミンの残留など、いろんなことで食品の回収が起こっている。

 ところで食品は人間が生きるために、肉体を保つため不可欠な物質である。だから食品を簡単に処分することには抵抗がある。

 私たちが学生だったころ、カビのはえた食品はカビを取り除いて食べたものだ。肉類の腐食は身体に悪い。けれど野菜はけっこういける。だからきゅうりとかは少しカスカスにしなびても食べていたことを思いだす。

 さて、この期限、塩や砂糖、香辛料は何年でも持つはずだ。こういう濃い味に微生物はよりつかないからだ。こういうものに期限の必要がどの程度あるのかはわからない。

 私は塩をいっぱいもらったせいか10年以上たっても使っている。たいてい味つけは醤油、コンソメスープ、ソース、味噌などできあいのものになるので、ずっと使っている感じだ。

 この間期限を7年過ぎたバターを食べた。特に異常はなかった。もともと私たちが若いときは期限のないものが多かった。

 薬剤師をしていても薬の表示義務があるものは、抗生物質などの品質が不安定なものに限られていた。化学薬品は安定性が高く、永遠に悪くならないという神話があったので、10年たっても服用していた時代もあったのだ。

 それで問題なかったことを経験した私たちと、「恐い」「不衛生」という恐怖をたたきこまれた世代は違うのだろう。

 テオドール・イリオンがかつてチベットに行ったとき、腐った肉をみんな平気で食べていたと書いてあった。冷蔵庫がない時代だから、当然だろう。彼は西洋人なので、その腐った匂いで、どうしても食べられなかった。けれどチベットの人は腐ったものを食べても平気で、健康だったらしい。

 つまり、食べ物はその人が食べ物をどう思って接するかによって、望むとおりの反応をするようになる。だから自分の意識から恐怖を取り除いていけば、かなり逞しいライフスタイルができていくに違いない。

 食品や薬に期限の表記が義務付けられたのは平成に入ってしばらくしてからだ。

 社会が秩序を求め、ルーズな会社が徹底的に叩かれる。そのことによって、株価が下がり、買占めが起こって、買収してくという計算式だろうか?

 世界で1つか2つの企業があればいいと豪語する資本家たち。だから製薬会社の合併は止まらない。

 薬局はかつて薬剤師個人の職人によって経営し、独自のカラーが存在した。だから薬局で製剤を考えてつくることも許されていた。独自の軟膏だとか、生薬の調合など。今は厳しく勝手につくれなくなってしまった。つまり製薬会社の販売網の末端になってしまったというわけだ。

 そのせいか、調剤薬局の大手チェーン・アインとセブン&アイが合併した。その統合に影響を受けたのか、マツモトキヨシと調剤薬局の大手チェーン・日本調剤も合併が決まっている。

 小さな薬局はだんだん経営が厳しくなり吸収されていくようになった。

 この時代個人のカラーは潰され、同じ顔をした支配者のカラーに染められてしまうのだろうか?

 そんな時代はイヤだ。だから私は期限切れの食品でもいいから、個人の会社がちゃんと生き残って、自由な経営を楽しんでくれるほうがいい。出ないと、日本の社会はみんな低賃金労働者として、一生長時間労働に追われるだけの日々が待っているだろう。

 自由に仕事をし、自由に生きる社会のほうが大切なはずだ。追いつめすぎる報道には疑問がある。もっと働く人に優しい社会であってほしいと思う。