長い薬局長生活から解放された。うれしい。辞めると言ってから2年。後任が決まらないから、がまんした。労働基準法では一ヶ月前でいい。
けれど、資格職はそういうことをすると薬局を潰してしまう。それほど成りたい人がいない仕事だ。薬にとってミスは禁物だ。休日に患者から電話がかかってきて出勤したことも何回かある。
休みの日の予定だって返上しなくちゃいけない。そう時間が他人にひっぱれていく。最初の頃は、休日にまで、人に奉仕できることが嬉しかった。でも昼休みも患者さんが来るし、電話もかかってくる。
職員は誰もいないし、残業手当だってない。誰も評価をしてくれない孤独なポジション。
パート間のトラブルだって、何でも私に言ってくる。っていうことは私が解決しなくてはいけない。他人が他人に注意してほしいことを私がかわりに語る。
私は都合のいい人なのか?と何度か感じた。私はいつも他人の顔色を配慮しないと仕事ができない。
そもそも医療機関とは患者に対して謝ることが仕事だと言ってもいい。なじる患者と、感謝する患者。それは相手の性格によって、同じ行為でも違って解釈されるということだ。
けれど、こじらせたら商売はおしまいだ。患者に職員。それでも基本的には人が好きだからやってこれたのだろう。
活動家時代も仕事が終わってから、活動をし、あまり睡眠時間がとれなかった。それに今もいつ終わるかわからない日々に執筆やイベントをこなさなくてはならない。
頭が二重の生活。対立する二つの世界を共存させる苦悩。
やっと自由になった解放。役職がないことの喜び。収入は減るけれど、ちょっと気楽になった。
さて新しい薬局超は男性である。からだが大きくて太っているから私の倍の体重はあるみたいだ。くまさんみたいでかわいい。
その彼、今日は午前中で終わり、私が午後から出勤した。水筒とお菓子を忘れている。イヤ、忘れたのはそれだけではない。タイムカードも押してなかった。
彼はこの間もよくミスをした。三種類混ざった咳止めと二種類混ざった吐き気止めの薬。分包するときに間違って一緒にしてしまった。
吐き気止めと咳止めを一緒に飲むことって少ない。吐き気のひどい子どもに薬をいっぱい飲ませると嘔吐を誘発してしまうからだ。
だからこの薬使えない。彼はその失敗した薬をそのまま放置して帰っていた。
私はその薬を捨てた。理由は二つある。一つはそのまま置いてあると、分包した他の薬を出すときに混ざってしまう恐れがあるということだ。もう一つは分包を間違えて薬をムダにしたことを強調してるみたいで、ミスがいろんな人のさらし者になるから、新しい薬局長のメンツを重んじてさっと処理しようと思ったからだ。
ところが次の日。彼はその失敗した薬を探していた。
「破棄したよ。使うことないよね。このパターンの薬」
「それ、知ってますけど、欲しいんです。」
「何に使うの? 子どもに持っていくなら、ちゃんとしたの作ったほうがいいでしょ。」
「いや、何も使わないんだけど、失敗したの確認しておきたくて」
私はゴミ箱から探し出し、彼に渡した。その薬は今も忘れた水筒と一緒に大切に持っているようだ。
きっと彼はそれを計算するつもりに違いない。前も「今日また失敗しちゃいました。今回は2560円分の失敗です」と語っていた。
おいおい、計算している暇があるなら、仕事をしてくれたほうが助かるよ、と思ったけれど、まあいい。彼はその失敗した薬を愛しているように見受けられた。
経営的には損失だ。失敗して破棄するだけじゃなく、分包し直す時間のロス。さらに一つ一つ計算する時間のロス。
でもあの薬あんなに大切に持っているんだ。彼はどこかで薬をヒソカに愛してる。それで薬も捨てられるなら、彼に愛された方がいいと、ゴミ箱から悲痛な声をあげていたに違いない。
こうして薬は無事に生き返ったのだ。
さらに彼は、今中学生の娘が父親を殺した事件を見て、ショックを受けてたようだ。
「僕もいつ殺されてもおかしくないんですよ。娘に嫌われているから」
「えっ、そうなの?くまちゃん優しいから言いやすい人なんじゃない?」
「よくパパそんなんで仕事してるよね。ちゃんとやれてるの?って言われちゃうんですよ」
そんなことを彼はとても楽しそうに語る。どうみても本気で心配してないに違いない。
ただどこか素行がおかしい。それは男性と女性の違いなのかもしれない。そんな何かを娘も感じとったのか?
それとも奥様に言われていることを子どもがマネたのか?
イヤ他人の家族に干渉するのはやめておこう。それぞれの事情があるのだから。
まあ、そんなこんなで私とは違ったタイプの薬局長だけど、みんなの中心でがんばってほしいと思う。
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Archive for 7月, 2008
2008/7/23 水曜日
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2008/7/15 火曜日
母の49日と母の兄
母の思い出にふけったこの日々。生きているときはあまり考えなかったのだから、あまりにも親不幸である。 この回想をしているということは、やはり母が死んだということだ。家に帰ったとき、一緒に食事をしたり、お友だちや親戚の人と出会う。あるいは人間について議論する。そんな空間が楽しかった。 昨年の夏、家族で行った伊豆旅行。夏目漱石が滞在していたところには本がいっぱい飾ってあった。その落ち着いた趣きのある旅館が忘れられない。 これまで、お正月やお盆。戦旗派時代は山に行き、その後はずっと実家だった。まとまった休みをどこか別のことに使いたいと思った。けれど、この期間だけが親孝行できるので、あらゆることに優先させて休みを使ってきた。面倒に思ったこともあった。でもこの母との空間、親子水入らずでかわすコミュニケーションが好きだったのだと、今ハッキリ思った。 私はまた短い時間を縫って、思い出の書物を探し出そうとした。 そんな中に母の次兄の手記があった。結婚して2人の子どもを持ち、働き盛りの只中にいた。 バイクに乗っているとき、車とぶつかり、脊髄を損傷し、下半身不随となる。7年近く病院で寝たきりの生活を送っていた。そして血を吐いて死んだ。幼い私には聞かされたその光景が恐くて、夢に見てしまった。内臓が悪いとき、病院が冷やすところを暖めてしまったから、内臓が腐ってしまったという。 昔の時代は、医療ミスも病気のひとつで諦めるしかない。次兄の子どもの一人は小さなときに小児マヒになり、片足が極端に細く短い。だから歩くのも大変だ。そんな環境で苦しんだに違いない。
以下手記より 「明るく元気に」 悲しいけれど我慢せよ 暑さ寒さに負けないで みんなの言うことよく聞いて 明るく元気に育つのだ 悲しいけれど泣かないで 喧嘩なんぞするでない 兄弟仲よく遊ぶのだ 明るく元気で暮らすのだ 悲しいけれど幸せに 兄弟仲よく手をとりて 友に負けずに進むのだ 明るく元気に生きるのだ 悲しいけれど、挫けずに 父は淋しく病床の上で お前ら2人の幸福祈る 明るく元気に伸びるのだ 「男の子じゃないか」 痛い痛いと泣くではないぞ 泣けば父までもらい泣き 僕も男の子じゃないか 勇気を出して頑張りな 病気なんぞに負けてはだめだ 元気を出して進むのだ 僕も男の子じゃないか みんなに負けずについて行け ちんばちんばとからかわれても 負けてはいけない元気だせ 僕も男の子じゃないか 希望に胸を張っていけ 「兄妹揃って語る」 絶えて久しく兄妹3人揃って語ることは実に幾歳ぶりのことだろうそれは時間的には僅かの間かもしれないが、他人はばかることなく、昔の思い出や、親戚の人々の様子、近隣や町内の人々の模様、そしてこれらの人の現在の浮き沈みなど、話はつきることを知らない。 人生の敗退者というか、敗残者というか、また人間失格というのか、それは人各々の主観であって、このような立場に追いやられた人間が如何に恥を忍び、幾多の苦難と闘っているか、俺の場合は、病床四年肉親や隣人愛に支えられて、生死の境から現在迄生きのびれただけでも幸せと思わなければならないだろう。 それぞれ独立した現在、兄妹にとって俺の存在は大変な重荷となっていることだろう。兄妹に済まないと思うがどうすることも出来ぬ。生きている以上捨ててもおけぬというのが、心理かもしれない。これは俺の歪んだ考えか知らないが、如何に解釈しようと自由だ。生きる中は生きねばならぬ人間の宿命を、少しでも明るく過ごさねばならぬ。気持ちだけは健康人でいたい。暗い生活と思えば、益々灰色の人生になりかねないからだ。毎日を明るく生きようと努力しているが、長い間病床にいると、なかなか思い通りにいかないものである。 こうして鉄筆を握っていても、書く事の難しさが痛切に感じられ、いたづらに鉄筆を動かす、愚鈍な自分を嘆くのみだ。 よき兄妹を持った自分は他のはい敗損者より幸福といわねばならにだろう。俺が少しでも健康であれば、多いに楽しく語る事が出来ただろう。然し誰に気がねすることなく話すことのできたのは珍しく、兄妹だけで語る機会など今後何時来ることだろう。三時間余三人のみで話したのは、俺の事故以来はじめての事と思う。それだけに優しき兄妹と話せるまでになったことは有難いと思う。兄妹はよきものなり。 以上 他にもいろいろ文章はあった。病床の中で生きることの苦悩。子どもの成長を元気な姿で見送ることのできない苦痛。今よりあの時代は一人前に働けないことを責めた。自分のことを敗北者だと。 そんな自分と闘うこと。そして明るく元気でいようとする姿勢。この時代の人の偉大さは人の責任にして恨み、愚痴る道をとらず、己と闘いぬいたことだろう。ただひたすら忍耐し、明るくしようと努めた。そう、「魂の成長のために人生がある」ことを知っていたんだろう。 こういう父親を持ったせいか、小児麻痺の従兄弟はとても明るい。健康な人もまねできない明るさだ。そんな彼の人格が評価されたのか、今取締役にまで出世した。不健康な肉体や富の貧困があっても、心の豊かさはそれをも越えるということだ。 私が小学校の二年生のときにおじさんが亡くなったので、見舞いに行ったことはあってもよくわからなかった。今新たな感動に出会えたこと、とてもありがたいと思う。 きっとあの世で、母と再会していることと思う。
2008/7/9 水曜日
7月2日 太田龍さんとの対談最終回
今回は事情があって喫茶店で対談する。最初の予定に比べると、だいぶそれてしまったと思う。デイビット・アイクの講演会では、人がいかに恐怖によって洗脳されているのか、というところがおもしろかった。 |
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