早見慶子の十条日記 » 2008» 5月

Archive for 5月, 2008


鈴木邦男さんから送られた「失敗の愛国心」を読んだ。それにしても鈴木さんってすごいペースで本を出版している。


本を読むのも書くのも早いんだろうな。

 この本は彼の子ども時代の純粋な気持ちが綴られている。山口二矢少年が社会党委員長・浅沼稲次郎を暗殺した。


 同じ17歳だったので、とてもショックを受けたようだ。私はもっと小さかったので、意味がわからなかった記憶がある。

 山口二矢は愛国党だった。だから鈴木邦男さんも愛国党に入った。山口二矢は自殺した。その人生に共鳴する若い時代の情熱。多感な若者だったに違いない。


 たぶんそのことを知ったせいだろう。教師が赤尾の豆単を燃やした。学習するための単語だ。そんなことを今の教師だったらするはずがない。 腹を立てた鈴木邦男さんは教師を殴った。当然だ。先制攻撃したのは先生なんだから。このことで鈴木さんは1年遅く卒業する。あの時代の1年って大きい。かなり厳しい措置だった。その怒りを正当な方向で炸裂させる。 若い時代の純粋な気持ちが、大人になって成熟した中に見え隠れする鈴木邦男さん。だから、情熱を持った若者の人生を大切にしてきている。彼の波乱に富んだ人生は失敗ではない。本人自身は常識的な道を歩まなかったことを謙虚にそう語るのだが。 とても多くの若者に信頼されている。それは鈴木邦男さんの純粋さが今でも十分に通じることの証である。 これからも純粋な気持ちで、ステキな本を書いていってほしいと思う。


 郵便受けに統一戦線義勇軍の「緑旗」が入っていた。一緒にトークイベントをやったせいだろうか。ちょっとした心使いに感謝だ。針谷さんの思いやりははいつも目立たないところで発揮されている。いつも奥ゆかしさがあってなんかうれしくさせてくれる。 その内容で、どうしても気になってしまう箇所があった。若い山口同志が防衛省に火炎瓶闘争まで行う勇敢な闘いをし、逮捕された。その過程で、家族や周囲に迷惑をかけたことに苦しみ、隊列を去ったという記事だ。山口さんは私の戦旗派時代と同じ名前だし、カラオケではいつも人を笑わせてくれたユニークな人だから、親近感があった。 そうか、そんな戦闘的な一面もあったのか、と若き正義感に感動しながらも、苦しむ姿は他人ごとではない。 山口同志の運がよかったのは選んだ組織が統一戦線義勇軍だったということだろう。 針谷議長の胸中を察すると辛いものがある。きっと針谷さんにとっては痛手だったに違いない。しかし、無理じいせず、みんな苦しむことがあり、それは仕方がないことだと、優しい言葉をかけている。また何かの縁があれば再会することもあるだろう。そういうリーダーとしての思いやりを感じた。 ああ、何と左翼と違うことだろう。人間悲しいかな、針谷議長のような対応をとれる人は少ないのではないだろうか。ことに思想関係の団体では。 

 それから「自殺」に関する考察も鋭いことを書いている。「自殺すれば楽になると信じて、みんな軽々しく自ら命を絶つのであろうが、死んだ後にその人が決して楽になったとは思わない。魂という存在を信じている私の考えは、自殺した後に、その人は苦痛から解放されるどころか、逆に苦しみを背負い続ける運命をおってしまったのではないかと、思っている」という言葉だ。 たぶんどんな人間も死にたいって思うことはあるに違いない。こと活動している人間は家族や職場の軋轢をかかえるから、けっこう悩んだ人は多いはずだ。針谷議長もおそらく同じような苦悩をかかえ、乗り越えてきたからこそ、人々に何かを伝えられるリーダーとして魅力を放っているのだろう。 だから、これからの若い人たちも、今をふんばってこれから待っている素晴らしい人生を信じてほしい。 針谷議長が魂を信じているように私は、輪廻転生をも信じている。人間はこの世で成すべき課題をみんな持って生まれてきている。だから自殺することはそれを中断することになる。だから、また同じような人生を選択することになる。だから、今をがんばってもっと幸せな人生に変えるよう今生で努力したほうがいい。そしたら、目標を達成できた自分を自らが祝福し、素晴らしい世界が待っているんじゃないかと思う。カルマに関わる文献を調べると、たいていそういう結論にいきつく。 針谷議長自身がいろんな悩みにぶつかり、そのことを超えて生きているからこそ、仏心を持つにいたったのだと思う。たぶん大切にしたことの共通点がいろいろあるような気がした。 アメリカの政策に対する怒りや、チベット問題に対して、民族を尊重するように中国に働きかける視点など似ている気がする。 若手のリーダーとして針谷議長には日本をひっぱっていってもらいたいと思う。これからの義勇軍の活躍を楽しみにしている。


 昨日から関西に来ている。関西の人たちと会うためだ。鹿砦社の代表、松岡さんを通じていろいろな人たちと出会った。

「関東と関西は違うよ」と言われたけどその違いはよくわからない。 

 どうやら関西はネットワークがあって助け合っている、という意味らしい。私は元戦旗派で荒(日向)派ということもあり、関西では嫌われているらしい。戦旗派から嫌われているのに、戦旗派を嫌いな人たちからも嫌われるらしい。最悪だ。運動をしてきた人よ、これからは助け合って、いいイメージを作っていこうよ。

 全共闘時代の人たちのネットワークはとてもしっかりとしている。そのせいだろうか?あの時代を共有していない私は入り込みにくい何かを感じた。 

 たいていどこでもグループができるとそんな感じに違いない。鹿砦社の代表の松岡さんと帰りの電車ずっと話をした。違う時代を生きた私に対して同じ立場で話をしてくれたことがうれしかった。彼も裁判を抱え込み、苦しみを味わっているせいなのだろう。人の苦痛に敏感だ。

 さて、24日は元火花派の大石さんとドッキングする。彼は典型的な関西人でおもしろい人だ。金星人の話をしたときに全共闘世代でバカにしなかったのは彼くらいだろう 彼も波乱の人生を歩んでいる。高校を卒業して、運動するため大学には行かずに火花派を結成する。その後代表になった彼は、指導部の地位にしがみつく人が多い中で、その座を辞退する。

 職歴がなく40代になって仕事を探すところが、関西人らしい逞しさだと思った。古本屋を始めたけれど、阪神大震災が起こったため、それさえも断念した。仮設施設を一緒に回った記憶がなつかしい。

 彼はパソコン教室を始めた。自分に資格も技術もないので、先生を呼んで教室を開く。さらにその教室も参入者が増えてきた。すかさず、新しいビジネスに参入するところが、彼の思い切りの良さだ。

 たいていビジネスを成功させる人は次のビジョンをしっかり見ている。過去の思い出話しかしない人は過去に生きている。しかし、大石さんは未来を先取りし、現実に生きている。創造すること。それは人間の素晴らしい能力だ。多くの左翼は反対する人を演じてきた。それは文句を言う対象を越えられないことを意味する。いつのまにか素晴らしい社会を実現する夢を捨て、文句を語る自分を闘っている錯覚する。集団で集ったときだけ、元気がいいのは本当の闘いではない。

 一人で立ち向かってこそ真の強さだろう

 ところで残念なことが一つあった。大石さんの運転がとてもマナーがよくなっている。赤信号ではきちんと止まり、シートベルトもちゃんと締めている。

 三列駐車どころか、二列駐車も見られない。これまで、庶民の力で法は犯しても許しあい、支えあってきた大阪だ。その庶民の活力を奪い、法に遵守させるとは何事か!なんて文句を言いたかった。人間にとって大切なのは自分たちで解決していくことである。権力者が支配し、お金を奪い取ることで解決されるべきでないと思う。

 だからあの三列駐車を見られなくなったことは、関西らしくなくて、残念だった。


 「母べえ」は映画のタイトルである。鈴木邦男さんから薦められたひとつだ。上映が終わっている映画館も多く、大森まで行った。

 主人公の母役は吉永小百合だ。かつてその美貌が売り物だったが、今は雰囲気を演出するようになったせいか、役柄が広がっていったように思う。

 「明日への遺言」に続き、第二次世界大戦が舞台である。戦争の中での家族愛の素晴らしさが表現されている。

 野上家では母のことを「母べえ」と呼ぶ。野上滋は戦争に反対の意を唱え、政治犯として監獄に入れられる。その状況はとても残虐だ。特に何をしたわけでもないのに、小さな子供のいる前で「逮捕」する。そして家をメチャクチャに荒らしていく。

 つまり家族を不幸にすることで「転向」を強要する手口だ。実際西洋でも家族に嫌がらせをすることで、相手の意志をくじこうとする試みが多くみられる。妻の膣に蛇を入れて夫の反応を見たこともあるという。

 この滋の妻「佳代」の父は警察官であった。だからそういう夫のもとへ嫁にいったことを批判する。が、佳代は強かった。

 どんな状況にあっても、夫を大切にしようと、結して屈することはなかった。そんな家に夫の生徒である山崎さんが出入りするようになる。この山崎さんの存在が佳代の支えにもなっていたのだろう。

 当然のことながら、山崎さんは佳代のことを愛してしまう。微妙な関係だ。しかし、時代は昭和初期だ。お互いに気持ちを抑え、不倫に陥ることはない。

 結局劣悪な状況で夫は獄死した。さらに赤紙が来て出征した山崎氏も戦死してしまう。

 残された母と娘二人。夫の妹も広島の原爆で死亡した。戦争のとき、こうした悲劇はよくあることだったに違いない。無数の悲劇。それを支えあう家族愛。

 貧しくて悲しい時代だからこそ、家族に「愛」があった。この時代の警察はとてもひどかったように思う。蟹工船の著者、小林多喜二も「党生活者」で書いた本のように拷問をされ、死亡している。

 私がかつて活動していたときのことだ。「家族が拷問にあったとしても活動するべきだろうか?」ということを雙田さんと話したことがあった。

 私たちはお互いに思想のためにどちらが拷問にあったとしても、闘い抜くことが愛であることを確認した。なつかしい想い出だ。

 野上滋の求めた信念もそういうことだったのだろう。家族を不幸にしてまで、転向させようとする権力。それこそが敵であり、闘う相手だ。だからお互いを恨むことなく、生きる。それはきわめて厳しい闘いだ。

 禅の話でこういうのがある。仏心に目覚めた子供が目の見えない一人暮らしの母を置いて、寺に入るという話があった。普通の「情」で考えたら、何という親不孝なことであろう。しかし、この禅の本では、この僧侶が選択したことの正当性が語られている。親を見捨てるという最も辛いことをしてまで、信念を貫いたからだという。ちょっと理解しがたい話だったので、記憶に残っている。

 「情」というものが、ときに依存関係だけになってしまうケースもあり、そのことを言っていたのかもしれない。スピリチュアルな話でも次元上昇を家族に妨害されることがあるので、惑わされないようにというのがあった。たぶん同じことを言っているのだろう。

 ちょっと思想の話になったけれど、この家族はお互いに尊敬しあっていて、理想の家族を演じていた。

 今でも障害のある子供を持った親子の関係はとても親密で、真剣だ。現代では自分の損得を優先し、危険なことをさせない家族が増えているのではないだろうか?

 思想に生きることは「危険なこと」であり、「逮捕される犯罪」であるから、普通に生きたほうがいいと、世間はアピールする。

 しかし、「危険であるかどうか」より、何を大切にして生きるのかが確信なんだと思う。今の思想弾圧はひところより、厳しい。ちょっとしたことで、起訴になる。だからこそ屈服しない、信念に生きることが求められているのではないかと思う。この野上家の人たちに見習って・・・