早見慶子の十条日記 » 2008» 3月

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 この日は女たちで語るイベントだったけれど、知らない人が多く、ちょっぴり緊張していた。観客は右翼の人たちがいっぱい来ている。それ以外はノンセクト、イリオスの仲間、ロフトファンなどいろいろだ。もしかして早見ファンもいたかも。ワ~イ。本に出てくる岩崎君もいる。もちろん左翼なんてほとんどいない。どういうわけか、左翼は右翼のいるところに出向かない。かつて全共闘時代の人たちは、右翼に襲撃されたりした過去があるせいかもしれない。

 中川文人さんはまん前の席で、右翼に囲まれている。大丈夫か?浮き上がらないか?でも貫禄があって仲間のようにも見える。余計な心配はやめよう。彼は笑っているだけで、存在感がある。

 私は以前なら、右翼の中に登場することに抵抗があっただろう。左翼に軽蔑されてしまうからだ。でも、そんな軽蔑なんてクソくらえだ。左翼の中に右翼は来ることができる。でも右翼の中に左翼が行けないのか?度胸がない。群れている。プライドが高い。アレ、いいとこないじゃないか。

  今回の企画はとても魅力的だった。女たちばかりのパネラー。なかなか左翼で女ばかりのパネラーは難しい。たぶん男主義の左翼を断ち切って、ウーマンリブ運動が登場し、独自の運動をつくり上げていったからだろう。

 女性にとっての国防は「家族」に行き着く。こういう意見にホッとさせられる。一番実感のある身近な集団、それが家族だ。残念ながら今は解体されているけれど。その一人が私だ。一人暮らし。だから家族を持たない。家族がいない分だけ自由に行動できる。だから社会運動ができるのかもしれない。

 あいさつについても面白かった。右翼の女性が挨拶の大切さを語る。針谷さんに「どう思うか?」と聞かれる。「あいさつ」は人間としての当たり前の行為、職場でも、家族でもあいさつがしっかりしていれば、とても人間関係がうまくいく、と語る。

 「左翼ってあいさつができてますか?」と聞かれる。う~ん、できていないよね。あいさつとは相手を尊重する行為だ。よく職場で人をイジメるとき、「おはよう」と言ってもムシする。そうすることで人が傷つくのを見て喜ぶ輩がいる。それもで「おはよう」と語り続ける人がいる。そういう人は立派だ。あいさつだけはしっかりできる人間になろうね。

 さらに理想の男性について。二人の女性が三島由紀夫、一人がマッカーサー、私は雙田さんのように夢を追いかける男性と答えた。たぶん共通しているのは信念を持った人ということなのか。夢を持っている人は輝いている。そして夢を求めて傷ついてもいく。そんな中で自分を磨く、それが人間の生きる道だと思う。

 ところがたぶんそういう男性はあまり自分のソバにいてくれない気がする。たいてい女性は男性がいたらいつも一緒にいたがる存在だ。子供ができれば子供と一緒にいる。子供がいなければ男性だ。買い物に一緒に行ったり、遊園地に一緒に行ったり、何でも人と一緒にやりたがる。そういう性向が強いのだと思う。たぶん一緒にいてくれる男性は家庭的な人で、そんなにチャレンジャーじゃないかもしれない。そんなことを考えると、同じ道を歩む人と同じ夢を持って生きることができれば、人生楽しいかもしれないなって思う。

 今回のパネラーはみんな男性に対して協調的だったから温和な対談だったように思う。ウーマンリブの女性だったらもっと手厳しい反応だったに違いない。田嶋陽子さんや土井たか子さん、辻本清美さんとかだったら容赦ない攻撃があったんじゃないだろうか。そのほうがおもしろかったかも(笑)

  でもたいてい左翼は論争している。いつも声を荒げてなじりあっている。それも昔の話で。塩見さんもよくまくしたてている。たぶんそういう時代だったんだと思うけれど。その小さな論争で勝つことが革命家として上であることになっていたらしい。いかにもインテリっぽい習慣だ。

 今なら、論争に勝つ前に大衆が去っていく。音楽やお笑い芸でもしたほうが人がついてきてくれるんじゃないかと思う。私もよく姪とお笑いごっこをするけれど、とっても楽しい。オッパッピーの顔くらいつくれるけど、イメージダウンになるからみんなの前で披露するはやめとくけれど。

 さて、今回針谷さんの司会はとてもバランス感覚があってよかったんじゃないかと思う。彼はいつも気遣いができるタイプなので、自然とそう振舞えるのだと思う。

 観客の席から長谷川さんがいろんなこと語りかける。とても間合いがよく、漫才やっているような感じて楽しめた気がする。

 私は知らないうちにウーロン杯を四杯も飲んでいて、最後ロレツが回らなくなってきた気がする。ちょっと反省だ。どういうわけか、毎回反省しているのに、お酒に酔っ払ってしまう悪癖はなかなか克服できない。人間の成長って時間がかかるね。

 それと彩流社の春日さん、いつも重い本を運んで商売に来ていただき、ありがとうございます。あれから、事務所に戻るなんて大変だったと思います。プロ意識、立派です。


 今日から、何回かに分けて太田龍さんと対談することになり、編集者の事務所に行った。

突然対談というのもどうか、ということで編集者が「何か聞きたいことがあれば、話しかけてください」と語る。

 私は「太田龍さんの左翼について書かれた本を読みたかったけれど、書店に置いてなくて最近のものしか読んでないのですが」と切り出した。

 太田龍さんは何も答えない。そして椅子を左右に足で振る。そして椅子を一回転させた。

 あれ、太田さん初対面なのに椅子を一回転させてるゥ。久しぶりに大人でこういう行為をする人を見た。私の薬局で子供が椅子を一回転させる光景をよく見かける。そう、子供は回転する椅子は必ず回したがるものだ。そういうことをして子供が楽しんでいると、ときどき怒るお母さんがいる。

 太田さんはそんな子供心を持っているのか、行儀悪いのか?いや、そんなことを言ったら失礼だ。たいていすぐれた学者は変人だ。俗世間の常識に囚われないこういう行為がいい。そうやら、くるっと回る。そんな感触が好きなのか?太田さんはときに回っている。

 ところで、太田さんは私の質問に何も答えてくれない。私の質問に立腹したのか?「私の本も読まずに対談に来るなんてこの無礼者が!」と思ったのだろうか?

 それとも話が聞こえなかったのか?

けっこうなお年だけれど、メガネも補聴器もない。うん、私の話が聞こえなかったことにしておこう。編集者が太田さんに私のセリフを繰り返して語ってくれた。

 さて今回の対談について、ひとつハッキリさせておきたいことがある。

 トロツキーについて日本の新左翼は好きな人が多い。日本共産党は新左翼をなじるときに「トロツキスト」と語っているから、きっと嫌いなんだろう。新左翼は「トロツキスト」と言われて喜んでいたかもしれないというのに、変なレッテルだ。

 このトロツキーはメンシェビキからボルシェビキに移行した際、最初から幹部のポジションについている。会社で外から取締役をつれてくるようなものだから、幹部の間で話し合いがあって移行し、メンバーから押し上げられた人物ではない。

 レーニンやトロツキーがブルジョアジーから資金調達をしてきたことは、戦旗派時代に私も教わってきたことで周知の事実である。、レーニンの思想が素晴らしいから、ブルジョアジーさえ支持をした、と。

 さて、労働者は思想が素晴らしいと思い、お金をカンパすることがあるだろう。戦旗派や中核派のメンバーがみんなそうしてきたように。しかし、革命が起こせるほどの資金提供の話があっただろうか?もちろんあるわけない。

 ブルジョアジーの資金提供はカンパでなく、投資なのだ。だから、新しい政権をつくるにあたり、投資をして、儲けやすい構造をつくろうとした、そう考えるほうが自然であろう。もし良心的な金持ちなら、レーニンやトロツキーにお金を渡すなんてせず、飢えている人々にパンを与えたであろう。

 そうすれば、レーニンとトロツキーだけがヨーロッパ、特にスイスに滞在していた理由がハッキリする。スターリンはいつもロシアにいて、労働者と行動を共にしてきた足取りとは全く違っている。トロツキーは外車を乗り回し、高価な衣類をファッショナブルに着こなしているのに、スターリンはシベリアからハダシに逃げ出すような貧しさをひきずっている。

 さらにレーニンの指令によってロマノフ王朝一族の殺戮が行なわれたことも明らかになってきた。

 この時代ロシアにいたグルジェフの弟子であり、すぐれた哲学者ウスペンスキーの著作の中にもロシア革命の残虐な光景が記述されている。殺戮がひどく、死体にあふれた光景。無血革命が勝手な宣伝によるものであったことはすでに明らかになっている。

 ところが左翼は「共産主義はイデオロギーとして正しい」というドグマに囚われてすべてを判断しようとする。だから書かれた論文の美しさによって革命を判断しようとする。

 まあ、顔の美しい人が「あなたのこと好きよ。」言って金を巻き上げても、本当に好かれていると錯覚させられてしまうのと同じだ。

 たいていインテリは弁舌や論文の美しさで人を判断しがちだから、この足取りの軌跡や、そのときどういう政策が出されたのかをあまり見ようとしない。

 このトロツキーが「フリーメーソン」に関する論文を書いているのは単なる偶然なのだろうか?

関心を持たない存在について書く人はいない。だから何かしらの接点があったことは間違いない。

 本質に迫られたくない人々に阻まれて、公然と存在している「フリーメーソン」や「イルミナイティ」のことを語ることさえ、変人扱いされてしまうのは何故だろうか?一般の人は「左翼」「右翼」「民族」「日の丸」という言葉がすでに危ないと思って、避けるテーマだ。そういう左翼や右翼でも「フリーメーソン、イルミナティ、ロスチャイルド、ロックフェラーの世界戦略」については危ない人が語ると思って調べようとさえしない。残念ながら日本で特にその傾向が強い。

 太田龍さんが語ることの恐怖によるコントロールの一環であろう。マルコポーロの廃刊のことを考えてもその勢力の影響力はハッキリしている。マキャベリは君主論で「恐怖は愛よりも強し」と語った。だから「恐怖で統治したほうが、強い権力になると」。

 この現実を打破していくには勇気が必要だ。

 堂々と語る一人が太田龍さんなので、どうしても話してみたかった。彼はとても勇敢で度胸があるから、浮き上がっても語り続けられるのだろう。話してみてとても貴重な体験だと思った。

 

 


 目黒さんとは見沢知廉氏を通じて知り合った関係だ。12年前の出会いだ。あの頃は見沢さんも元気があり、目黒さんも輝いていた時代だ。

 この日の話を聞くと目黒さんはお酒やパチンコ、女も好きだったらしい。私の知っている目黒さんは違った。義勇軍ははほとんど男性の世界だ。見沢さんといいコンビであったし、フォローをし続けた時代があったと思う。作家として知られている見沢さんは一水会に所属しながら、義勇軍にも顔を出していた。どちらの組織にいても独特の存在感があった。彼の血が戦闘に向かえ、荒らしく生きろと騒いでいたのかもしれない。

 目黒さんは見沢さんを先輩として尊重した。だから見沢さんもそのことを誇りにしていたはずだ。親分として尊敬される世界。オレはただの犯罪者じゃない。こういうオレを崇拝してくれる後輩もいるのさ、と苦しかった獄中生活を忘れさせる心地いい空間だっかもしれない。見沢さんの思想に安穏とした平凡さは似合わない。彼は心の中で叫びたい何か、狂いたくなる何かを秘めていた。そんな見沢さんのたずなをしめていた人の一人、それが目黒さんだったと思う。

 当時一水会にはライバルがいっぱいいた。目立つ人が多い組織で埋もれないように気をはって生活する。見沢さんは監獄から出てきたとき、一水会は気心のしれた鈴木邦男さんや木村三浩さんとオレで一水会を支えるんだという意気込みでかかわろうとした。外の一水会すでに人間がかわっていた。上下関係ができており、知らない人間が中心的に活動し、幅をきかせていることにムシズが走る何かをかんじた。「オマエらに監獄の苦痛がわかるのか。」と。そんなことこともあってか、目黒さんと見沢さんは兄弟分のような親しさがあったように思えた。

 見沢さんが監獄から出てまもないとき、私たちは出会い、ともに戦旗派出身という奇遇がお互いを引きつけていったのかもしれない。しかし、私は左翼だったから右翼に顔を出すのは抵抗がある。そんなことをしたら戦旗派だけでない、あらゆる左翼から村八分にされてしまう。市民社会から脱落して入った過激派。その過激派から「裏切り者」のレッテルを貼られた。新しくブンドの知り合いが増えている。私は見沢さんの暴走族から過激派、そして右翼へと変遷できる見沢さんの感性がよく理解できなかった。

 そんな自分を彼は理解してもらおうと右翼の集まるところにも私を連れていくことがあった。私は拒絶していたし、右翼の人も私を嫌っていた。左翼の女が顔を出す。この神聖な男の世界になんで「左翼女」なんだ。お前なんか出て行け、見沢はこんな女を連れ込んで何を考えてるんだ、と一部の一水会の人は思った。日本を憂う男たちの気迫にみちた空間をぶち壊してしてしまうように思えたのだろう。特に槙さんと若手のKさんは私のことを敵視していた記憶がある。

 もちろん目黒さんも女嫌いだったし、見沢さんから「アイツは女が嫌いなんだよ」とよく聞かされた記憶がある。それでもすごく優しかった記憶がある。あの時代の他の右翼の人たちとは違っていた。

 私もいろんな事件に巻き込まれ、とんでもないことの連鎖が起こったせいで、私はとても疲れ果ててしまった。そう、あれからみんな少しずつ疲れて元気のない日々に突入していったのだと思う。

 私のところへ仕事から帰ると鳴り続ける無言電話。ワンギリにする。だから足がつかない。電話代もかからない。どうも変なところだけは計算が働くらしい。

 ウルサイ。電話線を抜く。やっと静まる空間。でも何かあったときのために電話線を入れる。すると入れた途端に無言電話が再開する。犯人はずっと電話の近くで待っていたのだろうか?それにしてもスゴイ根性だ。それが疲れたのかアチコチに書き込みをしたに違いない。「女子高生でしょ。いくらかかんの?」とヤリたい男たちから深夜の電話がかかってくる。

 そう、自分でイタズラ電話をするのが面倒になったんで、他人に共犯になってもらうことにしたらしい。ここでも妙な計算が働いている。

 でもこんなことはカワイイ想い出のひとつにすぎない。あの数年の間私はかなり凝縮した日々を送っていた。私は見沢さんという男との攻防を通じて自分という人間がまだまだ小さいことを知った。彼ほど奇想天外な人と会ったことはなかった。左翼にこんな異質な人間はいない。左翼は集団として過激なことをしても個人としては、普通の人たちの集まりだ。

 それに比べると見沢さんは一人だけで、充分カルトの教祖になれるような存在だ。私もよく人に「宗教の教祖になれそうだ」と言われてきている。この時代のことはいろんな濃い体験をしているので、いずれ本にでもして、整理したいと思っているほど特殊な人間模様を観ることができた。

 見沢知廉氏との攻防に欠かせない一人としての目黒さん。彼らを通じて体験した右翼の世界。私は自分がどう立ち振る舞ったら、自分を受け入れてくれるのか、と模索した。本当に戸惑ってしまった想い出の数々。それも過去の美しい断片だ。

 見沢さんも目黒さんも私より若いのに先に行ってしまったんだね、と思うと悲しい。彼らはあまりにも繊細だった。

 私は「裏切り者」として生きていく覚悟を決めたから、人の評価をあまり気にしなくなった。人の好きなように言えばいい。どんなに言ったって私を潰すことはできない。私がどういう人間であるかは私が決めることだ。だから潰される私を選択するのも、動じない私を選択するのもすべて自分による。だから私はもっと生き続ける選択をし、彼らの分も頑張れたらと思う。

 思想的に生きようとする者は社会の矛盾に目をそむけることができない。逃げる己を潔しとしない。そして闘って、闘って、闘い抜いたときに、たいしたこともできていない自分に気づく。そう違うと思っていた大衆と同じような影響力しか持たないのだ。

 しかし、生き方が違う。まっすぐに生きるより、迂回し転んで生きたほうが、人間は体験を積む。だからその魂は何倍にも輝いているに違いない。私はそう信じている。

 見沢さんの気持ち、目黒さんの気持ち、二人の心を思うと切ない。私はそこまでのムチャはもうしない。いつからだろう。泳ぎに自信がある程度の人が、プールではなく海を泳いで世界一周できるような錯覚はすべきでないことに気づいた。泳ぎたいときに、泳げる距離しか自分は進まない。それが「私」の現実なんだとわかった。

 今の統一戦線義勇軍議長の針谷さんをみると、成熟した大人のリーダーだ。その奥で自分と闘い、勝利してきたのだろう。彼はいつも自然体だ。無理にカッコつけない。そして女性には優しいし、後輩、先輩すべてに優しい。彼は自分に自信があるからこそ、それができる。だから、彼は逞しく生きるだろう。彼は義勇軍議長の肩書きにふさわしい人格を兼ねそなえている。だからいつまでも楽しく街宣し、飲み歩いているの違いないと思う。目黒さんの想いを背中に背負いながら・・・

 さまざまなクセある人たちの中にいて、気配りしながら人の相手をする。そんな空間にいてか、私は3時半から11時半まで、神奈川県にいて飲み続けていたのだ。私がいくら飲んで酔っ払っても彼らたちの飲みっぷりにはとうていついていけない豪快な世界。だって私の職場は20人のスタッフがみんな女性なんだもの、あまりにも違う空間なんだよね。話題が違い、息が違い、雰囲気が違う。女一人で遅くまでつきあった私は男気ある男性たちに囲まれた不思議な空間を全身で体感した。みんな優しい男たちだったので居心地よく、時を忘れて存在していたようだ。

 最初に参加してくれたもう一人の女性、平塚さんは3月25日のイベントに参加してくれることになりました。とてもしっかりした若い女性が来てくれるので、ちょっとイベントが楽しくなりそうです。


 鈴木邦男さんが「愛国者の座標軸」を出版した。週刊読書人に書評を書くことになった。

 ところでこの本やたらと厚い。本当に内容がキッシリつまっている。それにいくつもの時事問題やら話題になったことを書いていておもしろく読めるからいい。さすが鈴木邦男の文章だ。さて、これをどうやって書評にしようか?

 新聞だから原稿の枚数をキッチリ守らなければならない。とにかく始めのの仕事ってなんだかんだと緊張してしまうから、困りもんだ。

 それにもしても何故私だ?私が書くとしたら一般の人の視点でなく、活動家だからわかるところに焦点をしぼってみよう。そう思ってピックアップする部分は二つの放火事件にした。

 だってこれ、鈴木邦男さんが体験したことで、あんなにサラって書いている。鈴木さんは自分のことをつきはなして書ける人だろうけれど、自分の家が放火されるってかなり緊張と、どうしようもない感覚が全身を貫いたに違いない。

 この放火でこういう対処ができるのは、日常的に逃げないで生きてきたからこそ堂々した対応ができたはずなのだ。鈴木さんは強くでもテンパラず、おもしろい人だ。でもその内側にいろんなことに耐え抜いて磨かれた何かがある。彼は人も引き寄せるオーラがある。

 おもしろい文章を書く人は他にいるかもしれないけれど、放火が二度あっても堂々と冗談を言える人は鈴木さんしかいないだろう。そう思ってそこの部分にスポットをあてることにした。

 もちろん日の丸や靖国の問題、イラクの問題、高嶺秀子さんの話からプロレスまですべておもしろい。特に靖国問題や日の丸問題なんて私も中に入って鈴木さんと論争しようかと思ってしまったくらい、一緒に考えたくなちゃうから一気に読めた本だ。

 週刊読書人、3月14日号(ホワイトデーだよ)の私の書評と鈴木邦男さんの本、読んでみてください。

 そして論争したい人、ぜひ一声かけてください。