早見慶子の十条日記 » 2008» 1月

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この日統一戦線義勇軍の針谷議長に誘われていたので、「男たちの国防論」を聞きに新宿ロフトプラスワンに行った。

 右翼の世界はどうなんだろうと思ったけれど、そこそこ人が集まっている。圧倒的に男性が多いが、女性の客もいることに驚く。私もその一人か!

 右翼のトークライブはさぞかし、街宣のようにうるさいかと思いきや、とても紳士的なのに驚いた。

 親米か反米かも違いがあっても、目的じゃなく、戦術なので、絶対的な対立ではないと語るあたり、大人ではないか。

 さらに元号を使うか西暦を使うかという話。懐かしい討論だ。私は左翼時代の習慣なのか、西暦で表現しようとしてしまう癖を最近やっと克服したように思う。

 針谷氏は合理的に考え、記入に必要ならどんどん西暦を使えばいいと語る。大切なのは精神性だから、必要性に応じて合理的にふるまえばいいと言う。さすがだ。若手はさわやかだし、主張がスッキリしている。私が何年もかかって修正したこだわりとの闘い。うらやましい。サッと転換できてしまう柔軟性があるだね。針谷さんは。他のメンバーも同じようなかんじだけれど、何となく罪の意識を感じながら西暦を使っている人もいるんだろうな?そう、左翼の元号での記入が嫌いなのとおんなじで。

 さらに北京オリンピックの話。どうやら中国の反日教育への反発があって、ボイコットを主張している人たちも多いらしい。それでも選手のことを考えて、出させてあげたい気持ちを語る優しい右翼の人もいた。

 針谷氏は協力すればいいと語った。ただし、反日教育や靖国問題に口出しをするのはやめて欲しいときちんと語った上でとつけ加えている。今のアメリカと日本の関係のようにバカにされていてもお金を出し続けることはしたくない、というリベラルな考え方が一貫している。

 そういうことを堂々と語り合える関係が右翼の中にあるというのが新鮮だった。

 二部に針谷氏より壇上に上がるように頼まれた。私はゲイバーに行く予定があったので、断る。残念だ。

 かつて一水会のイベントに参加しだときは槙さんを初めとして女性が来るのを嫌がる人たちが結構いた。だから「左翼のバカ女は来るな」となじられることもしばしばあった。こっちは誘われて来ているのに・・・

 でも確かにいろんなことがあって私のせいで少し混乱させてしまったことも事実だったかもしれない。

 そんな過去の記憶を持つ私に今の右翼の対応は何と紳士的なんだろう。たぶん個人の主張を勇気持って語ることが男であることの証だったに違いない。

 しかし、今は業界の大手として余裕ができたのだろうか?全体の利益にとって、同じ方向の考え方を持つ仲間と協力しあうことが必要であると気づき、率先してリードしている。なかなかやるではないか。

 もっと聞きたかったけれど、私はケンタローとドッキングしてゲイバーを目指す。もちろん私はゲイバーなんて初めてだ。ルミくんよりゲイバーにいくべしと提言あり。

 うん、ルミくんはスピリチュアルなのにこういう領域にもやたらと詳しい。いい年してこういうゲイバーに緊張して訪ねるのも少女時代のような初々しい体験でステキではないか。オッホッホ。

 何て思っていたけれど、まず探し当て「アイランド」会員制で入ることができない。諦めて「KUSUO」に行く。ところが「女性はお断りなんですよ」と拒絶されてしまう。

 運の悪さに嘆きながら、ルミくんに勧められた「ココロカフェ」に入る。店員に本を渡したけれど、「何のことかわからないよ。マスターに渡せばいいんだよね」と言わんばかりの困った顔をしていたのだ。

 そしてルミエールに行く。何かエロい本やDVD、男物の下着なんかが置いてある。私には目の毒だったので、知らんぷりをする。そう、誰もいなければ、好奇心に任せてじっくり見ていたに違いない。しかし、客は男しかいない。女性の下着売り場に行く男性に勇気が必要なのと同じくらい、人の視線を意識する。ルミくんはステキな女性なのにどうやってこの店に顔を出していたのだろう。ズウズウしいのか、変態なのか。いや堂々と行けるほうが案外まともで、私のように恥ずかしがる女性のほうが、むっつりスケベで変態たる潜在意識を隠し持っているのかもしれない。

ケンタローは「バディ」を買ったようだ。この「バディ」はルミくんお勧めの雑誌らしい。いいなあ、男は。

 このゲイの世界も男気を大切にしているらしい。右翼の世界でも木村三浩さんが「男気とは何か?」という本を出している。

 だから今日の「男たちの国防論」はゲイの「男たちの肉体論」につながっているかもしれないと思った私である。


 この日は初めてロフトで主催を体験することとなる。今回は鈴木邦男さん、外山恒一さん、中川文人さんをゲストに招く。

鈴木邦男さんは80年代を一水会という新右翼の代表として闘ってきた強さと優しさを持った人である。

外山恒一さんは管理教育に反発し、ノンセクトとしてさまざまな現場で闘ってきた人だ。東京都知事選ではユニークな演説で人目を引く、若手の旗手である。

中川文人さんは法政大学でノンセクトとして中核派の反発にあいつつ、法政大当局と闘い、今は過去の怨念を捨て、中核派を含めたあらゆる存在と力を合わせて、勝てる闘争をしようとする若手のやり手である。

そんな中で女性一人で対戦することとなった。

今回はゲストがよかったことと、案内を早く出せたこともあり、ほぼ満席でひと安心だ。

鈴木さんの司会もうまく、外山さんはさわやかで、中川さんは迫力があり、私が「愛」を語り、楽しく過ごせたのだった。

さて、後半。会場との質疑応答になり、外山恒一さんが「ファシスト党」を結成すると発言した。つまり、個人だけでは力が弱いので、「新しい党建設」に可能性をさぐりたいということだ。

するとたいていは「党」に対してマイナスなイメージしかない。そして「連合赤軍」と「内ゲバ」の問題を自分と関係ないと感じてしまう若い世代。

私も「党」ということに行き着くのは納得いかなかったので、「過去の組織の体験」をもとにどういうルールをつくろうとするのか問いかける。

中川さんが猛反発する。たぶん彼は「自分の所属していた組織への恨みぶしになっており、そんなことに執着したのでは運動は発展しないんだよ。オレの過去にもいろいろ問題があったけれど、中核派から学んだことを大切にし、イヤなことに執着せず、未来に向けて共闘するように努力しているのだ」と思ったのに違いない。中川さんのその意識をわからないで私は発言していない。

しかし。「党建設」に入ったとき、どういう「党」をつくるのかという説明が必要になってくる。私はノンセクトのネットワークのほうがいいと思っているから、言わざるをえなくなる。

たぶんそれは鈴木邦男さんも含め「組織の集団により発生する嫌な面」を体験したから、「党」というとえっと思ってしまうのだ。

離脱した者に対する嫌がらせやテロ、意見の違う者への否定的な目。そういう悲劇の中で苦しんでいる人を知っているから、「党」建設についての納得いく説明がほしいのである。

さらに中川さんの発言で「荒さん個人が党のお金を勝手に使うのと政治家が税金を勝手に使うことと違う」と語る。

しかし、どんな政権交代も「私がやったらもっといいお金の使い方をする」と言ってはよくなったためしがない。

セクトもそうだ。「スターリン主義打倒」をかかげてきたし、戦旗派は我々は「外に負かって打倒ではなく、我々もなりうる存在として克服をかかげる」と語ってきたはずだ。そしてみんな同じように見られる行為をしているのが現状だ。

そう、他人の悪癖を批判するのは簡単なんだけど、自分の悪癖を直すの難しい。他者を批判する前に己の悪癖を直すことのほうが大切だ。それは「自分」は一生ついてまわるものだからだ。

ラムサの言葉を引用しよう。「英雄とは、人々の生活を救済し、不正を正そうとするのだが、その過程で自分で誤りを犯してしまっていることに気づかない人間のことだ。私はあらゆる形の暴政を一掃することを望み、それを実行した。だが結局は、私は自分が軽蔑していた存在そのもの、つまり支配者になっただけであった」

そう、私も同じように野心に燃え、革命の戦士として立派に生きることを望んだ。その結果人から集めた資金を会議も無視して勝手に使ってしまう人を支える勇気のない大衆と同じではなかったのか。

だからこそ、一人で生きる。もちろんいろんな人と対等に助け合って。

さらにラムサの言葉を引用しよう。ちなみにラムサとはアトランティス時代に生きた存在で今は肉体のない存在である。

「存在よ。私が高潔な存在になったのは、自分自身になるためにすべてをやったからなのだ。存在よ、憎しみを抱くまで、愛をどうやって知るというのか?」

だから、みんないろんなことに挑戦していけばいいと思う。

私は「愛」を知ったとき、どんな存在も否定したくないと思ったのだ。だから税金なんかなく、みんなで支えあう世界を別につくっていけばいいのではないか。

そう、人は仲間しか支えられない。そしてそういう仲間たちがあちこちにいてネットワークで信頼しあえばいいのだと思う。

税金を使う権利を主張して、政府の中に入っていくより、自分の仲間を支えていける共同体建設のほうに私は関心があるのだ。

今回は討論がうまくかみ合わなくなってしまったけれど、「党建設」か「仲間のネットワーク」なのかで対談してもいいかと思った。

外山さんはとてもさわやかで、人を支配する性格ではないし、中川さんも後輩をささえようとし、自分をひけらかすタイプの男ではない。鈴木邦男さんは人間のことを奥深く眺めることのできる人だと直感する。

今後はそれぞれ違った方向でもがんばっていきたいと思う。


この日阿佐ヶ谷ロフトで19:30~から「男気」のトークイベントがあり、出演する。木村三浩氏が「「男気」とは何か」を宝島社より出版している。

木村氏とは長いつき合いだけれど、主催のわりにはのんびりしていた。まず、この「男気」というタイトル。木村氏は「憂国論」の頭しかなく、「男気」と案内されていることすら知らない。

私は19:00~からだと思い、18:00にロフトに行く。木村氏が来たのは19:15でヒヤヒヤとする。そして司会者の人が来てないので、急遽萩原氏にお願いすることになった。快く引き受けてくれた萩原氏に感謝だ。

ところがみんな政治が好きなようで、「男気」についてのトークにならない。私が話そうと思ってきた「女気」で、男女の性質の違いだとか、どういう生き方を目指したいのか、ということはついぞふれることはなかった。

私はまだイベント慣れしていないせいか、木村氏のイベントなので、立てないと思って割り込むことができない。案内した人からは期待ハズれだと言われてしまった。

そんなハプニングもありながら、木村さんと萩原さんは国を憂う闘志である。木村さんはイラクへの侵略にみられるアメリカの功罪に怒りを燃やし、いろんな国に出向いて関係性を大切にしている。だからいろんな情報を持っている。だからなかなかおもしろい。

萩原さんが過去の侵略戦争について、誇張して語られており、そのことを中国も認めつつある、と語る。

オーナーの平野さんが徹底的に反論する。「侵略したことは事実であり、民族なんていう団結で問題をおこしたんじゃないのか!」

さすがオーナー。堅苦しさを盛りたてようと行儀よくなった話に変化が生まれる。

私は「海外に人の出入りをする現代、帰国子女、ハーフ、など民族の共通性からはみ出す現代は単純ではないと思う」と語る。

後で木村氏と文化の問題について話し合っていこうと約束した。

この日見沢知廉をモデルにした演劇を上演している高木尋士さんがとてもいい質問をした。「木村さんの本と早見さんの本と共通したものがあると思うけれど、尊敬できる人はどんな人だったのか?」と。

この一言に「男気」の本質を問うすべてが含まれている。たぶんこの返答が「男気」のトークを聞きに来た人にとって、一番聞きたい内容だったのではないか、と思った。

木村さんの生き方のマネは誰もできない。しかし「男気」について興味はあり、仕事の中で表現しようと思っている男性も多いのではないだろうか。

テーマの違う政治論に流れるのは仕方ないことだけれど、だからこそとても光る質問だった。