
勉強会に向けて「タオ自然学」を読み始めてます。
タオは老子の語った思想だけれど、とても素朴です。私が以前出会った人で、こう語った人がいました。
「この世界は名前をつけすぎている。名前をつけることによって対立が起こり、分裂が起こったから、名前はなくてもいいんだよ」
私はその内容には納得したものの、一種の宗教活動の匂いがしたので、距離をとってしまいました。
老子の思想にそういう内容が入っていたので、原点はここにあったんだなって思いました。
その知り合いだった人が、崇めていた人は名前がない人だそうです。お金にも興味なかったとか・・・
「私は誰?」というとき「私は女」「私は日本人」「私は薬剤師」・・・と無数に私を表す言葉を並べることができるよね。
でもどれをとっても不十分で私ではない。そして他の誰かも使う言葉。
本当の自分は無限に広がる大きな宇宙とつながってます。どんな人も・・・
だから名前をつけることで、その大きさを小さくしてしまうかもしれないよね。
霊的な世界では「私は誰でもない。私は私」が本物となるそうです。肩書きや資産、どちらの性だとか、若いとかは置いてきてしまうものなんだよね。
どんな人も大きな宇宙とつながりながら、その人しか知らない自分の歴史をつくっている。
そう思うとこの世界も捨てたもんじゃないと思っちゃいます。





