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	<title>早見慶子の十条日記</title>
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	<pubDate>Mon, 19 Jul 2010 02:41:49 +0900</pubDate>
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		<title>[革命論」のイベントが終わる</title>
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		<pubDate>Mon, 19 Jul 2010 11:41:49 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

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		<description><![CDATA[

なんとも言えないイベントだった。それは成功したか、どうかでは語りつくせない何かを感じた。

たぶん終わった後の印象度の強さでは今回が最高だろう。
私の心に一番やきついたのは、会場の人たちのやりとりであった。
そもそも「革命論」を聞きに来る人たちはどういう人たちなのだろうか？
何か考え、社会に不満を感じるからこそ、きっと足を運んだのに違いない。
会場に登場した最初から、ロフトの児玉さんにいろいろ抗議をしている若者がいた。
私はよくわからなかったけれど、「こんなイベント中断させろ。ロフトが管理する責任がある」というような趣旨のことを言っていたので、とりあえず、その場に割って入った。
朧塚さんは歌を歌う予定だったけれど、中断してしまったようだ。
何かが起こりそうな幕開けだった。

そしてその「何か」は起こった。
乱入し、イベントへの不満を語る若者と、その無礼な態度を批判する若者たち。

会場は騒然となり、怒号が飛び交う。
私は、会場の人たちの勇気に感動した。あのような雰囲気で、言葉を投げかけるのは勇敢でなければできない。けれど、あの若者も勇気をもって乱入したのだろう。
主催の朧塚さん、TTさんもきちんとマイクで冷静に話しかけていたから、なんと立派な対応だろうと思って見ていた。



それに質問をしてくれた女性。「人とうまくやっていけないときに、相手を受け入れようと努力して、自分が何かわからなくなった」と語ってくれた。女性社会ではいつも絶対折れない人が少なからずいる。
私は責任者をしていたとき、Aさん、Bさんの対立に介入しなくてはならなくなったことがある。
こちらからみるとどちらも一理あるのだけれど、お互いに相手の悪い部分を許すことができない状況だ。
私は自分が人を赦せるかではなく、他人が人を赦すように対応することが課せられたわけだ。
ずっとこの状況が続いたとき、職員から嫌われてしまったヒステリックなAさんがやめることで職場に平安が訪れた。

人が人を受け入れるということは難しい。そんな大きな問題点をつつくような質問だったので、とても感激した。若いのにしっかりとした内容だったので、もっと話をしたかった。
いろんな人と出会えて私はすごく楽しかった。
次の日が仕事なのに、朝までずっと話しこんでしまった。
千坂さんはずっと話し続けていたのに、休むふうでもない。
頭の回転がずっと続けられるのが不思議だった。

ロフトのみなさん、千坂さん、主催者、会場の人たちありがとう。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p class="FANCYURL_EMBED">なんとも言えないイベントだった。それは成功したか、どうかでは語りつくせない何かを感じた。</p>
<br />
<p class="FANCYURL_EMBED">たぶん終わった後の印象度の強さでは今回が最高だろう。<br />
私の心に一番やきついたのは、会場の人たちのやりとりであった。<br />
そもそも「革命論」を聞きに来る人たちはどういう人たちなのだろうか？<br />
</p><p class="FANCYURL_EMBED">何か考え、社会に不満を感じるからこそ、きっと足を運んだのに違いない。</p>
<p class="FANCYURL_EMBED">会場に登場した最初から、ロフトの児玉さんにいろいろ抗議をしている若者がいた。</p>
<p class="FANCYURL_EMBED">私はよくわからなかったけれど、「こんなイベント中断させろ。ロフトが管理する責任がある」というような趣旨のことを言っていたので、とりあえず、その場に割って入った。</p>
<p class="FANCYURL_EMBED">朧塚さんは歌を歌う予定だったけれど、中断してしまったようだ。</p>
<p class="FANCYURL_EMBED">何かが起こりそうな幕開けだった。</p>
<br />
<p class="FANCYURL_EMBED">そしてその「何か」は起こった。<br />
乱入し、イベントへの不満を語る若者と、その無礼な態度を批判する若者たち。<br />
<br />
</p><p class="FANCYURL_EMBED">会場は騒然となり、怒号が飛び交う。<br />
私は、会場の人たちの勇気に感動した。あのような雰囲気で、言葉を投げかけるのは勇敢でなければできない。けれど、あの若者も勇気をもって乱入したのだろう。<br />
主催の朧塚さん、TTさんもきちんとマイクで冷静に話しかけていたから、なんと立派な対応だろうと思って見ていた。<br />
<br />
</p><p class="FANCYURL_EMBED">
<br />
それに質問をしてくれた女性。「人とうまくやっていけないときに、相手を受け入れようと努力して、自分が何かわからなくなった」と語ってくれた。女性社会ではいつも絶対折れない人が少なからずいる。<br />
</p><p class="FANCYURL_EMBED">私は責任者をしていたとき、Aさん、Bさんの対立に介入しなくてはならなくなったことがある。</p>
<p class="FANCYURL_EMBED">こちらからみるとどちらも一理あるのだけれど、お互いに相手の悪い部分を許すことができない状況だ。</p>
<p class="FANCYURL_EMBED">私は自分が人を赦せるかではなく、他人が人を赦すように対応することが課せられたわけだ。</p>
<p class="FANCYURL_EMBED">ずっとこの状況が続いたとき、職員から嫌われてしまったヒステリックなAさんがやめることで職場に平安が訪れた。</p>
<br />
<p class="FANCYURL_EMBED">人が人を受け入れるということは難しい。そんな大きな問題点をつつくような質問だったので、とても感激した。若いのにしっかりとした内容だったので、もっと話をしたかった。<br />
いろんな人と出会えて私はすごく楽しかった。<br />
次の日が仕事なのに、朝までずっと話しこんでしまった。<br />
千坂さんはずっと話し続けていたのに、休むふうでもない。<br />
頭の回転がずっと続けられるのが不思議だった。<br />
<br />
ロフトのみなさん、千坂さん、主催者、会場の人たちありがとう。</p></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>７月１５日（木）阿佐ヶ谷ロフトでイベントー『革命論』ー</title>
		<link>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=217</link>
		<comments>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=217#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 08 Jul 2010 15:52:19 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

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		<description><![CDATA[
『革命論』－哲学・政治・アートから見る革命－
 
閉塞的な現代社会。哲学・政治・アートから、
広い意味での革命を模索する。ニヒリズムから実存主義へ、生き辛さから革命へ。
現代という時代の突破口無き時代をいかに生きていくのか、
君もあなたも議論に参加して、革命的なトークライブにしようではないか。 

【一部】　追悼の政治　ネットで注目の若手騎手・朧塚がインタビュアーとなり、政治の矛盾をえぐり出していく。今の色あせた文壇に対しても若者の鋭い視点が、容赦なく突っ込む。さあ、政治の葬送が始まる。
【二部】　近代を超克する革命　おもしろい漫談なのに過激なことを語る千坂恭二。今回は充分な時間をとり、中途半端な改良主義にメスを入れる政治の解剖が始まる。【三部】　オウムとテロリズム過激派からオウムを体験した早見慶子。若者は何を求めて仕事を捨て、出家をしたのか？　諸要求に終わるだけの今の運動とは違った視点で革命を見つめる。【四部】　政治語で語らない革命もはや主役は壇上の人間ではない。会場にいるパワフルな情熱こそ日本を変えていくのだ。多数準備したマイクの力で、ロフトの会場を主役にしていく。君もその一人だ。 





出演者 

早見慶子　（「I LOVE過激派」著者　元「戦旗•共産同」メンバー」）
千坂恭二　（評論家　思想家　アナーキスト）朧塚　　　（インタビュアー・独立型イデオローグ　 実存主義者）　 

日時　２０１０年７月１５日（木）場所　阿佐ヶ谷ロフト 

OPEN18:30 / START19:30
予約￥1,000 / 当日￥1,500（ともに飲食代別）

予約：ロフトAウェブ予約
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/reservation.php?show_number=409
・ロフトA電話予約　03-5929-3445（17:00～24:00）にて受付中！


]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; font-size: 22pt">『革命論』</span></strong><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; font-size: 18pt">－</span><span style="color: red">哲学・政治・アートから見る革命</span>－</strong><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; font-size: 16pt" lang="EN-US"><br />
</span></strong><span lang="EN-US"><font face="Times"><span> </span><br />
</font></span><span class="ecxblockname"><em><span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'">閉塞的な現代社会。哲学・政治・アートから、</span></em></span><em><span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'" lang="EN-US"><br />
</span></em><span class="ecxblockname"><em><span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'">広い意味での革命を模索する。ニヒリズムから実存主義へ、生き辛さから革命へ。</span></em></span><em><span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'" lang="EN-US"><br />
</span></em><span class="ecxblockname"><em><span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'">現代という時代の突破口無き時代をいかに生きていくのか、</span></em></span><em><span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'" lang="EN-US"><br />
</span></em><span class="ecxblockname"><em><span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'">君もあなたも議論に参加して、革命的なトークライブにしようではないか。</span></em></span><span class="ecxblockname"></span><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"></span><span class="ecxblockname"></span><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"> <br />
<br />
</span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; color: red">【一部】　追悼の政治　</span></strong></span><span class="ecxblockname"></span><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'; color: red" lang="EN-US"></span><span class="ecxblockname"></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">ネットで注目の若手騎手・朧塚がインタビュアーとなり、政治の矛盾をえぐり出していく。今の色あせた文壇に対しても若者の鋭い視点が、容赦なく突っ込む。さあ、政治の葬送が始まる。</span><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'; color: red" lang="EN-US"><br />
</span><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; color: red">【二部】</span></strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; color: red">　<strong>近代を超克する革命</strong>　</span><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'; color: red" lang="EN-US"></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">おもしろい漫談なのに過激なことを語る千坂恭二。今回は充分な時間をとり、中途半端な改良主義にメスを入れる政治の解剖が始まる。</span><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"></span><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; color: red">【三部】　オウムとテロリズム</span></strong><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'; color: red" lang="EN-US"></span></strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">過激派からオウムを体験した早見慶子。若者は何を求めて仕事を捨て、出家をしたのか？　諸要求に終わるだけの今の運動とは違った視点で革命を見つめる。</span><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"></span><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; color: red">【四部】　政治語で語らない革命</span></strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">もはや主役は壇上の人間ではない。会場にいるパワフルな情熱こそ日本を変えていくのだ。多数準備したマイクの力で、ロフトの会場を主役にしていく。君もその一人だ。</span><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"></span><span lang="EN-US"><font face="Times"> </font><br />
<br />
</span><br />
<table cellPadding="0" cellSpacing="0" border="0" style="margin: auto auto auto 4.95pt; width: 477pt; border-collapse: collapse" class="MsoNormalTable" width="636">
<tr style="height: 231.75pt">
<td style="padding-bottom: 0mm; background-color: transparent; padding-left: 4.95pt; width: 477pt; padding-right: 4.95pt; height: 231.75pt; padding-top: 0mm; border: windowtext 1pt solid" vAlign="top" width="636">
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><strong><font size="3"><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">出演者</span></font><font face="Times"> <span lang="EN-US"></span></font></strong></p>
<br />
<strong><font size="3"><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">早見慶子　（「</span><span lang="EN-US"><font face="Times">I LOVE</font></span></font></strong><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'"><font size="3">過激派」著者　元「戦旗•共産同」メンバー」）</font></span><span lang="EN-US"><br />
</span></strong><strong><font size="3"><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">千坂恭二　（評論家　思想家　アナーキスト）</span><span lang="EN-US"></span></font></strong><font size="3"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">朧塚　　　（インタビュアー・</span></strong><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; letter-spacing: 0.6pt">独立型イデオローグ　</span></strong><strong><span style="letter-spacing: 0.6pt"><font face="Times"> </font></span></strong><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; letter-spacing: 0.6pt">実存主義者</span></strong><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">）　</span><span lang="EN-US"></span></strong></font><strong><span lang="EN-US"><font size="3" face="Times"> </font><br />
<br />
</span></strong><strong><font size="3"><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">日時　２０１０年７月１５日（木）</span><span lang="EN-US"></span></font></strong><strong><font size="3"><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">場所　阿佐ヶ谷ロフト</span><span lang="EN-US"></span></font></strong><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"><font size="3"> </font><br />
<br />
</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"><font size="3">OPEN18:30 / START19:30</font></span></strong></span><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"><br />
</span></strong><font size="3"><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">予約￥</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US">1,000 / </span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">当日￥</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US">1,500</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">（ともに飲食代別）</span></strong></span></font><strong><span lang="EN-US"><br />
<br />
</span></strong><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"></span></strong></span><font size="3"><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">予約：ロフト</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US">A</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">ウェブ予約</span></strong></span></font><strong><span lang="EN-US"><br />
</span></strong><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"><font size="3">http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/reservation.php?show_number=409</font></span></strong></span><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"><br />
</span></strong><font size="3"><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">・ロフト</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US">A</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">電話予約　</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US">03-5929-3445</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">（</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US">17:00</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">～</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US">24:00</span></strong></span><span class="ecxblockname"><strong><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'">）にて受付中！</span></strong></span></font><strong><span style="font-family: 'Tahoma','sans-serif'" lang="EN-US"></span></strong></td>
</tr>
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		<title>映画『僕らのカヌーができるまで』をみる</title>
		<link>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=216</link>
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		<pubDate>Sat, 08 May 2010 01:01:50 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

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		<description><![CDATA[
知り合いになったやんちぇんさんから『僕らのカヌーができるまで』のチラシをもらっていた。自然を大切にしている人たちが、きっといっぱい出ているに違いないと思いつつ、でも、それが何でカヌーなんだろうという疑問が私の脳裏をよぎる。

自然を大切にするなら農業だ。でも、カヌーはあの立派に育った木を切り倒すのだ。樹木は人間に奉仕する霊的に高貴な存在な気がして、何となく抵抗があった。

それでもチラシの喜びに満ちた笑顔を見ていると何だか見てみたくなり、ポレポレ東中野に足を運んでみた。

思想的な世界、活動の世界は、いつも自分が正しいと信じて他人を素直に受け入れられない人が、あちこちに見受けられる。そう、人間を信頼することを忘れてしまい、他人を攻撃するときだけ結束するゆがんだプライドが、何だかいつも空ブリの抵抗のように思えて悲しすぎる世界だ。

そんな思い込みの正義とは違った世界。たぶん活動家の世界も文壇の世界も今は、都会的にいろんなことがつめ込まれて、自然をそのまま理解することができてなくなっているため、イライラしている人たちが、自分も社会もすべて否定しないと存在できない世界。

そんな被害者的な意識とは一線を画する何かを期待して、映画を見に行った。

その映画は木を切り倒してカヌーを作るという単純なものではなかった。それは一つのサバイバルの世界だった。

蹉跌から鉄を集め、製鉄する。カヌーを作る道具も自分たちで作る世界だ。その鉄も電気を使わず、古来の方法で、ペダルのようなものを踏んで、火を吹かし、製鉄をしている姿に驚いた。みんな汗をかいているけれど、とても明るい笑顔だ。

何かを創造する喜びに満ちた自然な満足感。

さらに縄をつくるため、あちこち探し、結局はインドネシアの樹皮で作ることにした。とてもシンプルにできるからだ。

さらに保存食を探すため、いろんなところに行く。それはどういうことかというと、インドネシアから日本まで旅をできるようなカヌーを作るということらしい。

商店に行って買い物をするという生活の中で、私たちは、「生きる」ということを忘れてしまった。自分が自分であることを確かめることをファッションや美味しい食べ物をコンビニで発見することくらいしかなくなってしまった私たち。

ある人たちは世の中をよくしようとやたら本を読み漁る。あるいはネットで人とコミュニケーションをしてつながっている気になる。けれど、それで何だか満ち足りた喜びに浸ることなんてできやしない。

架空の人によって与えられた空間であることに違いなく、本を読むことも文章を書くこともすごく安っぽくなってしまったみたいだ。一冊の本をくいいるように読みふけるのではなく、速読によって冊数をこなすため、知りたいところだけの記憶と抜粋さえあればいいような読み方。それはファッション業界によって作られたファッションをカッコいいと感じる世界とさして変わりない。

宣伝によって消費させられ、乱読させられているし、ネットで人気を得るために過激な内容や有名人にやたらと触れたがったりする。

それは自分の生き方ではない。

そんな現実にこの映画は挑戦している。文句を言うだけのデモなら誰でも参加できる。けれど、カヌーを自分たちで作って航海することは真剣でないとできない。

途中でやめたら意味がないからだ。私がかつてよく登った登山も途中でバテて歩けなくなっても、ふもとに戻らなければ、助からない。だからテントをはれる場所を見つけるためにとにかく歩く。そして翌日も歩く。そんな連続の中でやっと地上に戻ってこれるのだ。

けれど、このカヌーはもっと長い道のりだ。

カヌーを作るのも何度も試行錯誤する。探検家の関野吉晴さんがかつてアマゾンに行ったことがヒントになっているという。

彼はアマゾンでナイフ１本で、家も建てるし、服も作れるし、食料も確保する人々に出あった。

お金で何でもすませ、他人に作らせているため、「生きる」ことを忘れてしまった自分にハッとしたらしい。

だからなるべくそれに近いことをしてみようと思ったという。

いつもｊは一人でいくところを、今度は若い人を誘った。学生だと安全に責任をとらなくてはいけないから、卒業生が協力したという。

本当の危険とはアマゾンで生きる人々だ。そこには猛獣がいる。一瞬のスキが死を招く。

けれど、現代人はちょっとケガをしただけで、騒ぐ。システムが整っていないと何一つできない。

けれど雄大な大地で生きる人には知恵がある。インディオの人たちも、かつて若い人を一人で旅をさせる習慣があった。ハゲタカに襲われるかもしれない。ヘビに襲われるかもしれない。コヨーテだっている。

夜はその辺の何もないところで寝るから、安心して眠れる家さえない。

そんな中で、恐怖を乗り越える訓練をするのだ。鼻水が出てすぐに病院に行く現代人とは全く違う世界。

そんな世界に生きる人は心が素直だ。たぶん自然を理解し、敬意をはらっているからだろう。

自然を小ばかにし、貪欲のために破壊しつくす人々と何か違う感性。

インドネシアでカヌーをつくる現地の人の真剣な眼差しはとても輝いていた。

私ももう一度この生きるということを考えてみたい。ナイフ一つでの生活。なんとカッコいいことか。

彼らの自由に生きるおおらかさは、妙に訴えかけてくるものがあった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
知り合いになったやんちぇんさんから『僕らのカヌーができるまで』のチラシをもらっていた。自然を大切にしている人たちが、きっといっぱい出ているに違いないと思いつつ、でも、それが何でカヌーなんだろうという疑問が私の脳裏をよぎる。<br />
<br />
自然を大切にするなら農業だ。でも、カヌーはあの立派に育った木を切り倒すのだ。樹木は人間に奉仕する霊的に高貴な存在な気がして、何となく抵抗があった。<br />
<br />
それでもチラシの喜びに満ちた笑顔を見ていると何だか見てみたくなり、ポレポレ東中野に足を運んでみた。<br />
<br />
思想的な世界、活動の世界は、いつも自分が正しいと信じて他人を素直に受け入れられない人が、あちこちに見受けられる。そう、人間を信頼することを忘れてしまい、他人を攻撃するときだけ結束するゆがんだプライドが、何だかいつも空ブリの抵抗のように思えて悲しすぎる世界だ。<br />
<br />
そんな思い込みの正義とは違った世界。たぶん活動家の世界も文壇の世界も今は、都会的にいろんなことがつめ込まれて、自然をそのまま理解することができてなくなっているため、イライラしている人たちが、自分も社会もすべて否定しないと存在できない世界。<br />
<br />
そんな被害者的な意識とは一線を画する何かを期待して、映画を見に行った。<br />
<br />
その映画は木を切り倒してカヌーを作るという単純なものではなかった。それは一つのサバイバルの世界だった。<br />
<br />
蹉跌から鉄を集め、製鉄する。カヌーを作る道具も自分たちで作る世界だ。その鉄も電気を使わず、古来の方法で、ペダルのようなものを踏んで、火を吹かし、製鉄をしている姿に驚いた。みんな汗をかいているけれど、とても明るい笑顔だ。<br />
<br />
何かを創造する喜びに満ちた自然な満足感。<br />
<br />
さらに縄をつくるため、あちこち探し、結局はインドネシアの樹皮で作ることにした。とてもシンプルにできるからだ。<br />
<br />
さらに保存食を探すため、いろんなところに行く。それはどういうことかというと、インドネシアから日本まで旅をできるようなカヌーを作るということらしい。<br />
<br />
商店に行って買い物をするという生活の中で、私たちは、「生きる」ということを忘れてしまった。自分が自分であることを確かめることをファッションや美味しい食べ物をコンビニで発見することくらいしかなくなってしまった私たち。<br />
<br />
ある人たちは世の中をよくしようとやたら本を読み漁る。あるいはネットで人とコミュニケーションをしてつながっている気になる。けれど、それで何だか満ち足りた喜びに浸ることなんてできやしない。<br />
<br />
架空の人によって与えられた空間であることに違いなく、本を読むことも文章を書くこともすごく安っぽくなってしまったみたいだ。一冊の本をくいいるように読みふけるのではなく、速読によって冊数をこなすため、知りたいところだけの記憶と抜粋さえあればいいような読み方。それはファッション業界によって作られたファッションをカッコいいと感じる世界とさして変わりない。<br />
<br />
宣伝によって消費させられ、乱読させられているし、ネットで人気を得るために過激な内容や有名人にやたらと触れたがったりする。<br />
<br />
それは自分の生き方ではない。<br />
<br />
そんな現実にこの映画は挑戦している。文句を言うだけのデモなら誰でも参加できる。けれど、カヌーを自分たちで作って航海することは真剣でないとできない。<br />
<br />
途中でやめたら意味がないからだ。私がかつてよく登った登山も途中でバテて歩けなくなっても、ふもとに戻らなければ、助からない。だからテントをはれる場所を見つけるためにとにかく歩く。そして翌日も歩く。そんな連続の中でやっと地上に戻ってこれるのだ。<br />
<br />
けれど、このカヌーはもっと長い道のりだ。<br />
<br />
カヌーを作るのも何度も試行錯誤する。探検家の関野吉晴さんがかつてアマゾンに行ったことがヒントになっているという。<br />
<br />
彼はアマゾンでナイフ１本で、家も建てるし、服も作れるし、食料も確保する人々に出あった。<br />
<br />
お金で何でもすませ、他人に作らせているため、「生きる」ことを忘れてしまった自分にハッとしたらしい。<br />
<br />
だからなるべくそれに近いことをしてみようと思ったという。<br />
<br />
いつもｊは一人でいくところを、今度は若い人を誘った。学生だと安全に責任をとらなくてはいけないから、卒業生が協力したという。<br />
<br />
本当の危険とはアマゾンで生きる人々だ。そこには猛獣がいる。一瞬のスキが死を招く。<br />
<br />
けれど、現代人はちょっとケガをしただけで、騒ぐ。システムが整っていないと何一つできない。<br />
<br />
けれど雄大な大地で生きる人には知恵がある。インディオの人たちも、かつて若い人を一人で旅をさせる習慣があった。ハゲタカに襲われるかもしれない。ヘビに襲われるかもしれない。コヨーテだっている。<br />
<br />
夜はその辺の何もないところで寝るから、安心して眠れる家さえない。<br />
<br />
そんな中で、恐怖を乗り越える訓練をするのだ。鼻水が出てすぐに病院に行く現代人とは全く違う世界。<br />
<br />
そんな世界に生きる人は心が素直だ。たぶん自然を理解し、敬意をはらっているからだろう。<br />
<br />
自然を小ばかにし、貪欲のために破壊しつくす人々と何か違う感性。<br />
<br />
インドネシアでカヌーをつくる現地の人の真剣な眼差しはとても輝いていた。<br />
<br />
私ももう一度この生きるということを考えてみたい。ナイフ一つでの生活。なんとカッコいいことか。<br />
<br />
彼らの自由に生きるおおらかさは、妙に訴えかけてくるものがあった。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>革命家の品格</title>
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		<comments>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=215#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 30 Apr 2010 10:29:53 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=215</guid>
		<description><![CDATA[
４月２３日に法政大学でデモやるのに誘われて参加してみた。昨年に比べてノンセクトの人はほとんどいなかったように思う。

４月だというのに最高気温が１０度という寒さは、立っているときに肌にしみこんで来た。

ところでこの集会のとき、白髪の人やＯＢと思われる人がやたらと警察に対してヤジを飛ばしているのが目立った。

「やーい、お前なんか警察署長じゃない。巡査部長だ」「おまえら帰れ」「お前ら恐いのか」とずっとなじり続けている。

この光景を歩く大衆が見たらどう感じるのか考えてほしいと思う。

世の中を変えるのは大衆である。大衆の支持がないクーデターは簡単に崩壊してしまうものだ。

ガンジーは裸で裸足で歩いていた。それはインドの一般人の姿をすることで民衆の側に立とうとしたのである。だからスーツを着てなくても大衆の支持は得られたのだ。

さて一般の大衆が人を説得しようとするとき、「お前ら恐いのか、恥さらしだ」という言葉は使わない。これはチンピラが人を恐喝するときに使う言葉だ。

もちろんこんな言葉を使う人たちに敬意を払う人はほとんどいないだろう。そう、彼らには革命家になるという意識が欠落しているのだ。

たぶん自分たちの勉強してきた一部の知識が正しければ人がついてくるという錯覚は、インテリにありがちな思いあがりのように思えるけれど、実はこれ、最近の活動の行き過ぎた典型のように思う。

最近は仲間を求めて集会に参加する人が増えてきたので、不満だけを語る人が多くなってきた。つまり、社会というのを客観的に分析し、何が原因でそのようになっているかを理解し、そのためには何が必要であるかを導き出して、解決できる方法をさぐるという社会をよくするための奉仕的精神で参加しているのではない、ということだ。

それは自分の不満を聞いて欲しくて参加したり、自分を認めてほしいから参加する。だから自分という限られた視野からなかなか解放されていかない。いい年をしても不平不満を叫び、なじり続けるのは、文句を言うことを目的として参加しているからだろう。

問題を解決するために参加してきて、何も解決できなければ、賢い人は自分の理想と自分の力があっていないのか、自分が解決しようとする方法が誤っていたのか、という冷静な分析をするはずだ。

かつて中核派も命をかけて活動していた時代があった。小西誠さんとは思想は違うけれど、彼の中には修羅場を生き抜いたオーラがあった。ところが今は、組織温存のための糾弾しかできなくなってしまったのは残念だ。

人間は人を尊敬するから活動に参加するわけだ。

だから革命家（あるいはリーダー）になろうとする場合、どういうような人間に自分がなっていくことなのか？という問いを自分に発さなければならない。

人に言われたら不愉快なセリフを人に向かって投げかけるべきではない。不愉快なセリフは人間の糞尿のようなものだ。人に自分を理解してもらうときに自分の好きな食べ物を与えて、これが私の好きな料理ですと差し出すならわかる。

けれど警察に向かって投げられた糞尿は大衆にもまき散っていることに気づいているだろうか？

さらに公判のときに「黙れこのブス」というヤジを飛ばしていたという話を聞いた。これはハラスメントの言葉なので、市民社会の人間が使うことはほとんどない。

活動家に品格がなくなった時代、すたれていくのは必然であろう。

本当に社会を変えようとする者は人間を大切にする人だ。明治維新のとき、勝海舟と話し合い、外国勢とも交渉する政治力があったのは、人間を理解し、大切にしていたからこそ、交渉ができたのだ。

隊列の中で「お前なんかクズだ」「このブス黙れ」とは誰でもできる。けれど人を説得することはものすごく難しい。この違いをゴマカすために協力しない大衆が悪いとか、指導者が悪いとか他人の責任しているため、自分という人間をずっと客観視できないでいるのは悲しい。

大学の総長や警察官と交渉する力を失った人たちは、大衆をひきつける魅力さえ、どんどん後退させるしかない。

そんな一コマがデモの途中であった。お弁当やさんの車がデモ隊に挟まれて出られなくなり、警察に抗議をしていた。お昼だからお弁当を早く配達しろとお客に文句を言われることは間違いない。このご時勢だ。休憩時間に遅れることは、お弁当やを切りかえられる危機でさえある。

かつてリーダーシップがあった時代は、デモ隊のリーダーがきちんと隊列を分けて、車を移動させ「お仕事お疲れさまです」と声をかけていただろう。

たぶんこのお弁当の配達の人は「仕事しない暇人が日中からデモをしていて、警察はこの人たちの味方しているんだな。何という時代なんだろう」と。

革命家の品格とは、自分より他人を思いやることであるはずだ。「人民のために命をかける」とはもはや遠い彼方の言語である。もちろんこの「人民のために命をかける」というのも取り違えると、危険な言葉であることは間違いない。

けれど、ソクラテスやキリストも処刑されてきた歴史の中で、命をかけることは心に正直に生きる者の宿命のような気がする。そこで、人間は命について考えることはしてきたはずだ。聖人は永遠の生命を理解しているから、命を失わないことを知っている。だから、肉体を失うことを恐れない。

けれど、競争社会で人間をライバルとして認識してきた若者が、急に命をかけるから、どこかで功名心と不安が一体となっているはずだ。

そして命を失うことに恐怖を感じるから、激しい闘争のときはものすごく緊張する。そんな中で判断を誤って粛清もあったことは残念だ。

ところが現代では、徒党を組んだときにだけ、ヤジを飛ばす総会屋のような働きしかできなくなってしまっている。もう少し自分たちの歴史を学び、結成時代のリーダー、本多延嘉氏に恥ずかしくないような革命家を目指してがんばってほしいと思う。

内ゲバは悲惨な歴史であったに違いない。それは負の遺産だ。けれど、その死の恐怖を果敢に生き抜いた美徳は革命家の誇りであったはずだ。もう一度誇りを取り戻してほしい。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
４月２３日に法政大学でデモやるのに誘われて参加してみた。昨年に比べてノンセクトの人はほとんどいなかったように思う。<br />
<br />
４月だというのに最高気温が１０度という寒さは、立っているときに肌にしみこんで来た。<br />
<br />
ところでこの集会のとき、白髪の人やＯＢと思われる人がやたらと警察に対してヤジを飛ばしているのが目立った。<br />
<br />
「やーい、お前なんか警察署長じゃない。巡査部長だ」「おまえら帰れ」「お前ら恐いのか」とずっとなじり続けている。<br />
<br />
この光景を歩く大衆が見たらどう感じるのか考えてほしいと思う。<br />
<br />
世の中を変えるのは大衆である。大衆の支持がないクーデターは簡単に崩壊してしまうものだ。<br />
<br />
ガンジーは裸で裸足で歩いていた。それはインドの一般人の姿をすることで民衆の側に立とうとしたのである。だからスーツを着てなくても大衆の支持は得られたのだ。<br />
<br />
さて一般の大衆が人を説得しようとするとき、「お前ら恐いのか、恥さらしだ」という言葉は使わない。これはチンピラが人を恐喝するときに使う言葉だ。<br />
<br />
もちろんこんな言葉を使う人たちに敬意を払う人はほとんどいないだろう。そう、彼らには革命家になるという意識が欠落しているのだ。<br />
<br />
たぶん自分たちの勉強してきた一部の知識が正しければ人がついてくるという錯覚は、インテリにありがちな思いあがりのように思えるけれど、実はこれ、最近の活動の行き過ぎた典型のように思う。<br />
<br />
最近は仲間を求めて集会に参加する人が増えてきたので、不満だけを語る人が多くなってきた。つまり、社会というのを客観的に分析し、何が原因でそのようになっているかを理解し、そのためには何が必要であるかを導き出して、解決できる方法をさぐるという社会をよくするための奉仕的精神で参加しているのではない、ということだ。<br />
<br />
それは自分の不満を聞いて欲しくて参加したり、自分を認めてほしいから参加する。だから自分という限られた視野からなかなか解放されていかない。いい年をしても不平不満を叫び、なじり続けるのは、文句を言うことを目的として参加しているからだろう。<br />
<br />
問題を解決するために参加してきて、何も解決できなければ、賢い人は自分の理想と自分の力があっていないのか、自分が解決しようとする方法が誤っていたのか、という冷静な分析をするはずだ。<br />
<br />
かつて中核派も命をかけて活動していた時代があった。小西誠さんとは思想は違うけれど、彼の中には修羅場を生き抜いたオーラがあった。ところが今は、組織温存のための糾弾しかできなくなってしまったのは残念だ。<br />
<br />
人間は人を尊敬するから活動に参加するわけだ。<br />
<br />
だから革命家（あるいはリーダー）になろうとする場合、どういうような人間に自分がなっていくことなのか？という問いを自分に発さなければならない。<br />
<br />
人に言われたら不愉快なセリフを人に向かって投げかけるべきではない。不愉快なセリフは人間の糞尿のようなものだ。人に自分を理解してもらうときに自分の好きな食べ物を与えて、これが私の好きな料理ですと差し出すならわかる。<br />
<br />
けれど警察に向かって投げられた糞尿は大衆にもまき散っていることに気づいているだろうか？<br />
<br />
さらに公判のときに「黙れこのブス」というヤジを飛ばしていたという話を聞いた。これはハラスメントの言葉なので、市民社会の人間が使うことはほとんどない。<br />
<br />
活動家に品格がなくなった時代、すたれていくのは必然であろう。<br />
<br />
本当に社会を変えようとする者は人間を大切にする人だ。明治維新のとき、勝海舟と話し合い、外国勢とも交渉する政治力があったのは、人間を理解し、大切にしていたからこそ、交渉ができたのだ。<br />
<br />
隊列の中で「お前なんかクズだ」「このブス黙れ」とは誰でもできる。けれど人を説得することはものすごく難しい。この違いをゴマカすために協力しない大衆が悪いとか、指導者が悪いとか他人の責任しているため、自分という人間をずっと客観視できないでいるのは悲しい。<br />
<br />
大学の総長や警察官と交渉する力を失った人たちは、大衆をひきつける魅力さえ、どんどん後退させるしかない。<br />
<br />
そんな一コマがデモの途中であった。お弁当やさんの車がデモ隊に挟まれて出られなくなり、警察に抗議をしていた。お昼だからお弁当を早く配達しろとお客に文句を言われることは間違いない。このご時勢だ。休憩時間に遅れることは、お弁当やを切りかえられる危機でさえある。<br />
<br />
かつてリーダーシップがあった時代は、デモ隊のリーダーがきちんと隊列を分けて、車を移動させ「お仕事お疲れさまです」と声をかけていただろう。<br />
<br />
たぶんこのお弁当の配達の人は「仕事しない暇人が日中からデモをしていて、警察はこの人たちの味方しているんだな。何という時代なんだろう」と。<br />
<br />
革命家の品格とは、自分より他人を思いやることであるはずだ。「人民のために命をかける」とはもはや遠い彼方の言語である。もちろんこの「人民のために命をかける」というのも取り違えると、危険な言葉であることは間違いない。<br />
<br />
けれど、ソクラテスやキリストも処刑されてきた歴史の中で、命をかけることは心に正直に生きる者の宿命のような気がする。そこで、人間は命について考えることはしてきたはずだ。聖人は永遠の生命を理解しているから、命を失わないことを知っている。だから、肉体を失うことを恐れない。<br />
<br />
けれど、競争社会で人間をライバルとして認識してきた若者が、急に命をかけるから、どこかで功名心と不安が一体となっているはずだ。<br />
<br />
そして命を失うことに恐怖を感じるから、激しい闘争のときはものすごく緊張する。そんな中で判断を誤って粛清もあったことは残念だ。<br />
<br />
ところが現代では、徒党を組んだときにだけ、ヤジを飛ばす総会屋のような働きしかできなくなってしまっている。もう少し自分たちの歴史を学び、結成時代のリーダー、本多延嘉氏に恥ずかしくないような革命家を目指してがんばってほしいと思う。<br />
<br />
内ゲバは悲惨な歴史であったに違いない。それは負の遺産だ。けれど、その死の恐怖を果敢に生き抜いた美徳は革命家の誇りであったはずだ。もう一度誇りを取り戻してほしい。</p>
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		<title>「今こそ、21世紀の明治維新を！」の講演会を聞く</title>
		<link>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=214</link>
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		<pubDate>Tue, 20 Apr 2010 22:34:32 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

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		<description><![CDATA[
４月１９日に再生日本２１主催の「今こそ、21世紀の明治維新を！」という講演会に参加した。

講演者の一人が稲田雅彦さんが知人だったので参加してみた。前半は浅井隆さんが講演をした。

彼は村山節という統計学者の８００年周期説を紹介してくれた。この２１世紀は８００年周期で衰退しているため、２１世紀は２０００年がその交差する年になるため、混乱すると言う。

もちろん村山節さんの話は海外では評判がよかったらしくトインビーも評価していたという。

さて、いずれにしてもチベットでも地震があり、アイスランドで火山が噴火し、四月に雪が降る今日、地球環境がまともではないことくらいわかる。

私も忙しい毎日を送っているのは、「今やれることはしなさい」という声がするため、あいている時間はいろんな人に会い、雑誌をつくり、ゆくゆくは農地へ移住する計画を進めて行こうと思っていたからだ。

環境だけじゃなく、私のまわりでは解雇される人は多いし、２４時間労働に近いような状態で働いている人がほとんどだ。もはや人間として生きることさえ、できないような危機を実感しているのだけれど、何もすることができない自分を、農業という生産手段を確保することで、何とかしのいでいくことを考えている今日この頃だ。

ところが浅井隆さんも同じようなことを考え、農地を買うこと、子どもを野原で遊ばせることを考えてプロジェクトを立ち上げようとしていることに驚いた。

批判する人もいるけれど、たぶん今の状況で地球の大変動がないと思う人は自分で考えて生きてきていなかったのではないだろうか？つまり新聞やテレビの報道がなくなれば火山も安心と考えてしまうような人たちは、情報に左右されて、火山が何を意味し、その結果他にどうのような影響を与え、生態系が崩れていく、という予測を自分なりに考えるという努力をしていないのでは、ないだろうか？

そんなことで私はこの浅井隆さんの計画にも非常に興味を持っている。すでに農業をしたい仲間はいっぱい見つけたけれど、実行に移す行動力がなかなか持てないのが、私のダメなところだ。

いずれにしても日本の農業自給率４０％、これは肥料、種子を購入しているものが含まれていないため、実際は５％の自給率なら、何かあったときに、ほとんどは食料にありつけないことになる。

だからやはり農地の確保は必要だと思った。

次に稲田雅彦さんの講演だった。

彼は今の日本がいかに財政破綻の危機なのかをきちんと語っていた。借金が多く、自力で財政がまかなえないときに「子ども手当て」などの出費を重ねる問題だ。収入より支出がオーバーすればいつか破綻する。

日本はそれを内需拡大で税収を増やそうとしているようだけれど、解雇が多く、年収が少なく、ほとんど毎日遅くまで働く人が買い物を楽しむ余裕なんてないはずだ。

そして円高。これはその結果日本の企業は海外の安い資本を求めて日本を出て行く。

そうすると日本の雇用は減り、日本の技術まで海外に流出するから、ますます国の沈滞をもたらしてしまうという。

この円高は誰か決めたのか？このレートはアメリカの同意のもとに決定されている。日本は輸出競争力をつけるため、円安を希望するのだが、アメリカは自国の安定のために拒否し、いっときは１ドル７９円にまで下がったときは私も驚いた。けれど安くニューヨークに行けたからよかったが。

ところがこうした日米の為替に中国が口を挟むこともあり、アメリカは耳を傾けているという。

中国は粗悪品を安く売りたい。日本は品質のいいものを高く売りたい。そのとき円安だとそれほど高くならないため、それなりに売れるけれど、円高だと日本の商品が高くなってしまうので、急激に輸出が伸びなくなるというしくみだ。

中国は他国の為替レートにも口を挟むのに、日本の政治家は国策がなく、海外に有利になるように経済交渉をしているため、結局沈没してくのを止められないようだ。

日本の政治は官僚がしきっていて、現実のことより自分の利益を考えていることが多いから、天下り先のために法人をたちあげたりするし、ロシアの日本大使館の地下に温水プールを自分の奥さんのために作った人もいるという。自分の趣味に国費を９５億円も使う人は他国では裁判になるけれど、日本では黙認というのが現状らしい。

きちんと批判する人がカルト扱いされてしまうこの日本に未来はあるのか？

私はあまり考えずに生きている日本人もそれはそれでおおらかでいいと思う。けれど、誰かが何かをしてきたから、社会の平和もあるわけで、この国をよくするために、自分のできることを少しずつしていけたら、と思った。

懇親会にも参加し、いろんな人と知り合いになれたのはとてもよかったと思う。

とても充実した１日だった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
４月１９日に再生日本２１主催の「今こそ、21世紀の明治維新を！」という講演会に参加した。<br />
<br />
講演者の一人が稲田雅彦さんが知人だったので参加してみた。前半は浅井隆さんが講演をした。<br />
<br />
彼は村山節という統計学者の８００年周期説を紹介してくれた。この２１世紀は８００年周期で衰退しているため、２１世紀は２０００年がその交差する年になるため、混乱すると言う。<br />
<br />
もちろん村山節さんの話は海外では評判がよかったらしくトインビーも評価していたという。<br />
<br />
さて、いずれにしてもチベットでも地震があり、アイスランドで火山が噴火し、四月に雪が降る今日、地球環境がまともではないことくらいわかる。<br />
<br />
私も忙しい毎日を送っているのは、「今やれることはしなさい」という声がするため、あいている時間はいろんな人に会い、雑誌をつくり、ゆくゆくは農地へ移住する計画を進めて行こうと思っていたからだ。<br />
<br />
環境だけじゃなく、私のまわりでは解雇される人は多いし、２４時間労働に近いような状態で働いている人がほとんどだ。もはや人間として生きることさえ、できないような危機を実感しているのだけれど、何もすることができない自分を、農業という生産手段を確保することで、何とかしのいでいくことを考えている今日この頃だ。<br />
<br />
ところが浅井隆さんも同じようなことを考え、農地を買うこと、子どもを野原で遊ばせることを考えてプロジェクトを立ち上げようとしていることに驚いた。<br />
<br />
批判する人もいるけれど、たぶん今の状況で地球の大変動がないと思う人は自分で考えて生きてきていなかったのではないだろうか？つまり新聞やテレビの報道がなくなれば火山も安心と考えてしまうような人たちは、情報に左右されて、火山が何を意味し、その結果他にどうのような影響を与え、生態系が崩れていく、という予測を自分なりに考えるという努力をしていないのでは、ないだろうか？<br />
<br />
そんなことで私はこの浅井隆さんの計画にも非常に興味を持っている。すでに農業をしたい仲間はいっぱい見つけたけれど、実行に移す行動力がなかなか持てないのが、私のダメなところだ。<br />
<br />
いずれにしても日本の農業自給率４０％、これは肥料、種子を購入しているものが含まれていないため、実際は５％の自給率なら、何かあったときに、ほとんどは食料にありつけないことになる。<br />
<br />
だからやはり農地の確保は必要だと思った。<br />
<br />
次に稲田雅彦さんの講演だった。<br />
<br />
彼は今の日本がいかに財政破綻の危機なのかをきちんと語っていた。借金が多く、自力で財政がまかなえないときに「子ども手当て」などの出費を重ねる問題だ。収入より支出がオーバーすればいつか破綻する。<br />
<br />
日本はそれを内需拡大で税収を増やそうとしているようだけれど、解雇が多く、年収が少なく、ほとんど毎日遅くまで働く人が買い物を楽しむ余裕なんてないはずだ。<br />
<br />
そして円高。これはその結果日本の企業は海外の安い資本を求めて日本を出て行く。<br />
<br />
そうすると日本の雇用は減り、日本の技術まで海外に流出するから、ますます国の沈滞をもたらしてしまうという。<br />
<br />
この円高は誰か決めたのか？このレートはアメリカの同意のもとに決定されている。日本は輸出競争力をつけるため、円安を希望するのだが、アメリカは自国の安定のために拒否し、いっときは１ドル７９円にまで下がったときは私も驚いた。けれど安くニューヨークに行けたからよかったが。<br />
<br />
ところがこうした日米の為替に中国が口を挟むこともあり、アメリカは耳を傾けているという。<br />
<br />
中国は粗悪品を安く売りたい。日本は品質のいいものを高く売りたい。そのとき円安だとそれほど高くならないため、それなりに売れるけれど、円高だと日本の商品が高くなってしまうので、急激に輸出が伸びなくなるというしくみだ。<br />
<br />
中国は他国の為替レートにも口を挟むのに、日本の政治家は国策がなく、海外に有利になるように経済交渉をしているため、結局沈没してくのを止められないようだ。<br />
<br />
日本の政治は官僚がしきっていて、現実のことより自分の利益を考えていることが多いから、天下り先のために法人をたちあげたりするし、ロシアの日本大使館の地下に温水プールを自分の奥さんのために作った人もいるという。自分の趣味に国費を９５億円も使う人は他国では裁判になるけれど、日本では黙認というのが現状らしい。<br />
<br />
きちんと批判する人がカルト扱いされてしまうこの日本に未来はあるのか？<br />
<br />
私はあまり考えずに生きている日本人もそれはそれでおおらかでいいと思う。けれど、誰かが何かをしてきたから、社会の平和もあるわけで、この国をよくするために、自分のできることを少しずつしていけたら、と思った。<br />
<br />
懇親会にも参加し、いろんな人と知り合いになれたのはとてもよかったと思う。<br />
<br />
とても充実した１日だった。</p>
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		<title>ハラスメントって？</title>
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		<pubDate>Mon, 29 Mar 2010 18:20:18 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=213</guid>
		<description><![CDATA[
いまセクシャルハラスメントだけでなくパワーハラスメントが問題にんっている世の中だけど、このハラスメントの基準とはなんだろうか？

なぜこんなことを書くかといえば、私の職場で大学生の実習を受け入れるため、教え方の模範ＤＶＤを見たからである。

そこで、Ａさん、Ｂ君の二人が実習に来ていて、指導薬剤師、薬剤師の人が二人を教えていく。

実習生ががんばっているので、業務終了後に「学生さんを誘って食事にでも行こうか」と薬剤師の人が話しているシーンが出てくる。

その後「食事に誘う行為はハラスメントになる可能性があるので気をつけましょう」とあった。

う～ん、教師と生徒の関係では食事に一緒に行くのは禁止なのだろうか？

でもあのシチュエーションは職場全員で、という感じだったので、ハラスメントには見えない。

これでは人間関係がギクシャクしてしまうのではないだろうか？　確かにこれまでの会社では上司が強引に部下を誘い、自由を奪われていることも多かったかもしれない。

それはハラスメントだからいけないのではなく、行きたくない人を強引に誘う行為が失礼であるという単純なことであるし、断るほうがしっかりすればいいことだっていっぱいある。

つまりその場をどうしたらいいのか、その現場で話し合って決める問題だと思うのだけれど。

断れない自分を法律がバックアップしてくれると思って、食事に誘うくらいで訴える世の中のほうが問題ではないだろうか？

日本人にとって食事をしてくつろぎながら、仕事のフォローをしたり話したりすのは文化的にとてもなじんでいる。

私の経験では仕事上感性があわない人でも、飲みにいって話し合うことで、信頼関係が回復することも多かった。

なぜかわからない。けれど仕事では几帳面な人と大ざっぱな人は体質が合わない。几帳面な人は大ざっぱな人にイライラする。大ざっぱな人はイライラしている態度に不愉快さを感じる。

けれど、飲みにいって心のうちを話すことで、人間を好きになることはよくあることだ。人間を好きになったら、それまで不愉快だったことも許せるようになるから、人間は不思議だ。

このハラスメント注意のＤＶＤ。学生を食事に誘うのはよくないらしいけれど、いっぱんの職場での飲み会もだんだん自粛されていったら、仕事はもっとつまらなくなってしまうような気がしてならない。

仕事。それは技術だけでなく、人間関係の学びの場でもあるのだから。嫌いであるという気持ちを思いやりにかえるのは業務中ではムリである。

そんなとき仕事の後の食事が何かなごやかな雰囲気を与えてくれるのではないだろうか？
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
いまセクシャルハラスメントだけでなくパワーハラスメントが問題にんっている世の中だけど、このハラスメントの基準とはなんだろうか？<br />
<br />
なぜこんなことを書くかといえば、私の職場で大学生の実習を受け入れるため、教え方の模範ＤＶＤを見たからである。<br />
<br />
そこで、Ａさん、Ｂ君の二人が実習に来ていて、指導薬剤師、薬剤師の人が二人を教えていく。<br />
<br />
実習生ががんばっているので、業務終了後に「学生さんを誘って食事にでも行こうか」と薬剤師の人が話しているシーンが出てくる。<br />
<br />
その後「食事に誘う行為はハラスメントになる可能性があるので気をつけましょう」とあった。<br />
<br />
う～ん、教師と生徒の関係では食事に一緒に行くのは禁止なのだろうか？<br />
<br />
でもあのシチュエーションは職場全員で、という感じだったので、ハラスメントには見えない。<br />
<br />
これでは人間関係がギクシャクしてしまうのではないだろうか？　確かにこれまでの会社では上司が強引に部下を誘い、自由を奪われていることも多かったかもしれない。<br />
<br />
それはハラスメントだからいけないのではなく、行きたくない人を強引に誘う行為が失礼であるという単純なことであるし、断るほうがしっかりすればいいことだっていっぱいある。<br />
<br />
つまりその場をどうしたらいいのか、その現場で話し合って決める問題だと思うのだけれど。<br />
<br />
断れない自分を法律がバックアップしてくれると思って、食事に誘うくらいで訴える世の中のほうが問題ではないだろうか？<br />
<br />
日本人にとって食事をしてくつろぎながら、仕事のフォローをしたり話したりすのは文化的にとてもなじんでいる。<br />
<br />
私の経験では仕事上感性があわない人でも、飲みにいって話し合うことで、信頼関係が回復することも多かった。<br />
<br />
なぜかわからない。けれど仕事では几帳面な人と大ざっぱな人は体質が合わない。几帳面な人は大ざっぱな人にイライラする。大ざっぱな人はイライラしている態度に不愉快さを感じる。<br />
<br />
けれど、飲みにいって心のうちを話すことで、人間を好きになることはよくあることだ。人間を好きになったら、それまで不愉快だったことも許せるようになるから、人間は不思議だ。<br />
<br />
このハラスメント注意のＤＶＤ。学生を食事に誘うのはよくないらしいけれど、いっぱんの職場での飲み会もだんだん自粛されていったら、仕事はもっとつまらなくなってしまうような気がしてならない。<br />
<br />
仕事。それは技術だけでなく、人間関係の学びの場でもあるのだから。嫌いであるという気持ちを思いやりにかえるのは業務中ではムリである。<br />
<br />
そんなとき仕事の後の食事が何かなごやかな雰囲気を与えてくれるのではないだろうか？</p>
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		</item>
		<item>
		<title>地下鉄サリン事件から１５年</title>
		<link>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=212</link>
		<comments>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=212#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 22 Mar 2010 13:39:27 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=212</guid>
		<description><![CDATA[
地下鉄サリン事件から１５年が過ぎた。新聞でも大きく扱われ、ドラマにもなったようだ。

事件の被害者は苦しかったのかもしれないけれど、そのトラウマからの解放がなされない限り、本当の解放にはならないと思う。

この日本という土壌はむしろトラウマを保持し、被害者意識を強めるようなな報道に満ちているのは精神的に未熟な国だからだろう。

海外のようにもまれずに平和に生きてきたから、急激な変化に弱いのかもしれない。

９．１１のテロ被害者が「その報復にアフガニスタンやイラクに戦争をしかけるのをやめてほしい」と語ったのは、事件を悪い方向に拡大するのをやめさせようという愛のパワーから生まれる力強い発言だったことを思い出そう。

リンゼイさんを殺された被害者の家族も加害者である市橋容疑者の家族を恨むのではなく、同じを悲しみを持っているだろうときちんと語った。

どんな人でも被害者の親でありたくないし、加害者の親でもありたくない。その気持ちは同じものだろう。

ところがこの日本では被害者意識を美化し、復讐こそ理想だと語る。そしてお金の問題にすりかえ、いくらお金がおりたかを誠意の尺度にしたがっている。

南京大虐殺を日本がした過去があってけれど、それは一部の軍部がやった行動にすぎない。だからそこに関わった者しか、真剣に反省することはできないのだ。

圧倒的多数の日本人は戦争で死に、家族がなくなり、家も失くしてしまったのだ。焼け野原の中に途方にくれたのに、そういう人たちが加害者だという錯覚を一部の左翼の人たちはつくりあげてきた。

それは補償という問題、つまりお金の問題にすりかえてしまうから、物事の本質がズレてしまうこになり、その解釈をめぐって日本の中でとても多くの対立を生み出してしまったのは残念な過去だった。

そんな歴史のせいだろうか？　メディアではいくら返済されたとか、お金の問題を語る。あの時代のオウムは一部の者が走ったのであり、多くの信者は修行する普通の人間だったのだ。

事件に関わっていなかったから、何のことかわからないのにお金だけを請求される。理由がわからないのに謝罪をしないと世間では人間扱いをされなかった。だから謝ってきた。

では、どれほどの日本人が朝鮮にしたことを謝罪しているというのだろうか？　北朝鮮を叩くことに未だに熱中しているではないか？

被害者意識が強いと、加害者にもなっている自分のことを忘れてしまう。そのほうが重大な問題だ。憎悪は魔物なんだから。

国は誰がサリンをつくるように誘導したのかを一切明かさない。誰でもつくれるものではない。製造方法を教えた人、それらの機械の調達を助けた人などもっと大きなバックボーンがあったことを隠して、弱い修行者だけに責任をかせようとしたままだ。

結局１５年たった今も、この国は真実を理解するより、復讐心と被害者意識を煽り、社会を希望のないものしてしまうほうがいいらしい。

被害者意識をなくさない限り、人は豊かになれない。被害者意識は加害者も持っている。何かをきっかけにして被害者意識を見たいがために加害者になりたがる。

愛は赦すこと。赦すことによって人を大切に思ったとき、愛情深い人々をひきつけていく人生に転化できるのだ。

そして過去の不幸に執着しないこと。それはいっときの幻想だったのだから。その強烈な感情はその人の心を蝕んでいく。脳はその不幸を何度も思い出させ、その人を苦しめていく。

この世は肉体の死とともになくなるいっときの幻想だから、嫌な想念を解放し、人への思いやりで生きていこう。そしたら自分も他人も幸せになれるはず。

被害者もオウムの人もみんなこの１５年一生懸命生きてきた。そのことは不幸なことでなく、最高の宝であったことを思い出してほしい。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
地下鉄サリン事件から１５年が過ぎた。新聞でも大きく扱われ、ドラマにもなったようだ。<br />
<br />
事件の被害者は苦しかったのかもしれないけれど、そのトラウマからの解放がなされない限り、本当の解放にはならないと思う。<br />
<br />
この日本という土壌はむしろトラウマを保持し、被害者意識を強めるようなな報道に満ちているのは精神的に未熟な国だからだろう。<br />
<br />
海外のようにもまれずに平和に生きてきたから、急激な変化に弱いのかもしれない。<br />
<br />
９．１１のテロ被害者が「その報復にアフガニスタンやイラクに戦争をしかけるのをやめてほしい」と語ったのは、事件を悪い方向に拡大するのをやめさせようという愛のパワーから生まれる力強い発言だったことを思い出そう。<br />
<br />
リンゼイさんを殺された被害者の家族も加害者である市橋容疑者の家族を恨むのではなく、同じを悲しみを持っているだろうときちんと語った。<br />
<br />
どんな人でも被害者の親でありたくないし、加害者の親でもありたくない。その気持ちは同じものだろう。<br />
<br />
ところがこの日本では被害者意識を美化し、復讐こそ理想だと語る。そしてお金の問題にすりかえ、いくらお金がおりたかを誠意の尺度にしたがっている。<br />
<br />
南京大虐殺を日本がした過去があってけれど、それは一部の軍部がやった行動にすぎない。だからそこに関わった者しか、真剣に反省することはできないのだ。<br />
<br />
圧倒的多数の日本人は戦争で死に、家族がなくなり、家も失くしてしまったのだ。焼け野原の中に途方にくれたのに、そういう人たちが加害者だという錯覚を一部の左翼の人たちはつくりあげてきた。<br />
<br />
それは補償という問題、つまりお金の問題にすりかえてしまうから、物事の本質がズレてしまうこになり、その解釈をめぐって日本の中でとても多くの対立を生み出してしまったのは残念な過去だった。<br />
<br />
そんな歴史のせいだろうか？　メディアではいくら返済されたとか、お金の問題を語る。あの時代のオウムは一部の者が走ったのであり、多くの信者は修行する普通の人間だったのだ。<br />
<br />
事件に関わっていなかったから、何のことかわからないのにお金だけを請求される。理由がわからないのに謝罪をしないと世間では人間扱いをされなかった。だから謝ってきた。<br />
<br />
では、どれほどの日本人が朝鮮にしたことを謝罪しているというのだろうか？　北朝鮮を叩くことに未だに熱中しているではないか？<br />
<br />
被害者意識が強いと、加害者にもなっている自分のことを忘れてしまう。そのほうが重大な問題だ。憎悪は魔物なんだから。<br />
<br />
国は誰がサリンをつくるように誘導したのかを一切明かさない。誰でもつくれるものではない。製造方法を教えた人、それらの機械の調達を助けた人などもっと大きなバックボーンがあったことを隠して、弱い修行者だけに責任をかせようとしたままだ。<br />
<br />
結局１５年たった今も、この国は真実を理解するより、復讐心と被害者意識を煽り、社会を希望のないものしてしまうほうがいいらしい。<br />
<br />
被害者意識をなくさない限り、人は豊かになれない。被害者意識は加害者も持っている。何かをきっかけにして被害者意識を見たいがために加害者になりたがる。<br />
<br />
愛は赦すこと。赦すことによって人を大切に思ったとき、愛情深い人々をひきつけていく人生に転化できるのだ。<br />
<br />
そして過去の不幸に執着しないこと。それはいっときの幻想だったのだから。その強烈な感情はその人の心を蝕んでいく。脳はその不幸を何度も思い出させ、その人を苦しめていく。<br />
<br />
この世は肉体の死とともになくなるいっときの幻想だから、嫌な想念を解放し、人への思いやりで生きていこう。そしたら自分も他人も幸せになれるはず。<br />
<br />
被害者もオウムの人もみんなこの１５年一生懸命生きてきた。そのことは不幸なことでなく、最高の宝であったことを思い出してほしい。</p>
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		<title>「おやすみアンモナイト」を見る</title>
		<link>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=211</link>
		<comments>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=211#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 22 Feb 2010 15:23:09 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=211</guid>
		<description><![CDATA[
鹿砦社主宰の飲み会のときに昼間たかしさんから「おやすみアンモナイト」のチケットを買った。

素人の乱を扱っていたので、ちょっとばかり興味がわいた。批判するためだけに労力を払う運動とは違い、自力で生きようとするスタンスは人間本来の姿だと思うからだ。

昼間たかしさんは素人の乱に「博愛」を感じ、そこに人間の求める本質があると語っていた。

批判を中心とした運動と助け合うことを中心にした運動と何が違うのか？

批判は弱い市民が強い権力に文句を言うことで政府がよくなっていくことを期待するところにそのベースがある。

けれどこれは本当は違う。市民が弱くて権力が強いというのは権力者の発する幻想を受け入れた結果生ずる、マインドコントロールの結果にすぎない。本当は人間は一人で生きられる強さを持った存在だから、権力者の加護がなくても充分に生きることができる存在だ。

自分では何も生み出すことのできない権力者に比べ、市民は農産物を作り、工業製品を作り、情報をささえるテクノロジーを担っている。つまり現実の価値を創造しているのは、働いている市民のほうである。

権力者はお金を取り立てて、そのお金を使う権利により、市民よりも大きな存在であるという錯覚をさせている。

批判にすぎない運動は「生活保護をくれ」「仕事をくれ」「お金をくれ」ということで、政府に税金を取り立てる正当な理由を与えているにすぎない。

どんなにお金があっても権力者のポケットマネーが流れるのは選挙資金くらいであり、政策の費用は税金によるものなのだ。

だから既存の権力に頼らない運動こそ人間の自由と尊厳を守る闘いなのだ。

けれど、働くのは辛いこともある。いや、労働は喜びにもなるけれど、人間関係によって疲れてしまうことのなんと多いことだろう。

そんなとき勇気を与えてくれるネットワーク。そんなひとつに素人の乱がある。

自分たちで創造していく活動は責任がかかり、誰の責任にもできない。批判の運動は政府が変わらなくても、反対を唱える人が悪いのではく、常に責任を政府に求めるから、自分の孕む問題点を見過ごしてしまうことがほとんどだ。

　この映画では貧乏でも工夫しながら逞しく生きていく人間像が爽やかな印象を受けた。

　萎れたネギと牛丼ですき焼き鍋を作り、おいしいと言って食べる若者。ガンジーはおなかがすいていればなんでも美味しいと言っていたけれど、私も山で１２時間歩き回ったとき、その言葉が真実であることを実感した。

　そして何よりも人情が通いあうから、美味しく感じるのだろう。

そのストーリーと平行して、演劇をするために夜の仕事をする女性も、人間関係のいじめにあいながら、がんばっていて明るい。もちろん夜の仕事だけでなく、普通の昼の仕事にも露骨ないじめだってあるし、貧乏と関係なく、働く人のほとんどが自由時間のない日々に追われているのが現状だけど。

　ところでこの助け合う人々は貧乏だからこそ、そうなるのだと思う。戦後の時代は私の親も隣の人とお金の貸し借りをしあいながら、生活をしていたと聞く。給料日前はお互いによくあることだから気にしなかったらしい。

　それに合鍵を隣の家に預ける習慣があった。鍵をなくしたとき、家に入れるようにするためらしい。それほど人間同士信頼しあっていたのだろう。

　現代も下請けや現場労働者が引越しをするときは、職場の同僚が手伝ってくれるのはよく見かける光景だ。

　けれど、大手企業に勤める人は、引越しの人に頼んでしてもらう。プロの手際もいいし、払うお金もあるから、気兼ねしなくていいのだろう。

　現代のように人間関係の冷え切った時代、温もりを思い出させてくれる映画だった。

　ちなみにこの映画、知った顔がいっぱいあって嬉しかった。乾君、増山さん、昼間さん、映画監督の増田俊樹さん、他にも見たことのある顔がいた。

　特に松本哉さんは演技のほうも上手で、役者としての才能もあるのではないか、と思ってしまった。

　これまで映画が遠い世界の出来事だったけれど、身近に感じられて楽しかった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
鹿砦社主宰の飲み会のときに昼間たかしさんから「おやすみアンモナイト」のチケットを買った。<br />
<br />
素人の乱を扱っていたので、ちょっとばかり興味がわいた。批判するためだけに労力を払う運動とは違い、自力で生きようとするスタンスは人間本来の姿だと思うからだ。<br />
<br />
昼間たかしさんは素人の乱に「博愛」を感じ、そこに人間の求める本質があると語っていた。<br />
<br />
批判を中心とした運動と助け合うことを中心にした運動と何が違うのか？<br />
<br />
批判は弱い市民が強い権力に文句を言うことで政府がよくなっていくことを期待するところにそのベースがある。<br />
<br />
けれどこれは本当は違う。市民が弱くて権力が強いというのは権力者の発する幻想を受け入れた結果生ずる、マインドコントロールの結果にすぎない。本当は人間は一人で生きられる強さを持った存在だから、権力者の加護がなくても充分に生きることができる存在だ。<br />
<br />
自分では何も生み出すことのできない権力者に比べ、市民は農産物を作り、工業製品を作り、情報をささえるテクノロジーを担っている。つまり現実の価値を創造しているのは、働いている市民のほうである。<br />
<br />
権力者はお金を取り立てて、そのお金を使う権利により、市民よりも大きな存在であるという錯覚をさせている。<br />
<br />
批判にすぎない運動は「生活保護をくれ」「仕事をくれ」「お金をくれ」ということで、政府に税金を取り立てる正当な理由を与えているにすぎない。<br />
<br />
どんなにお金があっても権力者のポケットマネーが流れるのは選挙資金くらいであり、政策の費用は税金によるものなのだ。<br />
<br />
だから既存の権力に頼らない運動こそ人間の自由と尊厳を守る闘いなのだ。<br />
<br />
けれど、働くのは辛いこともある。いや、労働は喜びにもなるけれど、人間関係によって疲れてしまうことのなんと多いことだろう。<br />
<br />
そんなとき勇気を与えてくれるネットワーク。そんなひとつに素人の乱がある。<br />
<br />
自分たちで創造していく活動は責任がかかり、誰の責任にもできない。批判の運動は政府が変わらなくても、反対を唱える人が悪いのではく、常に責任を政府に求めるから、自分の孕む問題点を見過ごしてしまうことがほとんどだ。<br />
<br />
　この映画では貧乏でも工夫しながら逞しく生きていく人間像が爽やかな印象を受けた。<br />
<br />
　萎れたネギと牛丼ですき焼き鍋を作り、おいしいと言って食べる若者。ガンジーはおなかがすいていればなんでも美味しいと言っていたけれど、私も山で１２時間歩き回ったとき、その言葉が真実であることを実感した。<br />
<br />
　そして何よりも人情が通いあうから、美味しく感じるのだろう。<br />
<br />
そのストーリーと平行して、演劇をするために夜の仕事をする女性も、人間関係のいじめにあいながら、がんばっていて明るい。もちろん夜の仕事だけでなく、普通の昼の仕事にも露骨ないじめだってあるし、貧乏と関係なく、働く人のほとんどが自由時間のない日々に追われているのが現状だけど。<br />
<br />
　ところでこの助け合う人々は貧乏だからこそ、そうなるのだと思う。戦後の時代は私の親も隣の人とお金の貸し借りをしあいながら、生活をしていたと聞く。給料日前はお互いによくあることだから気にしなかったらしい。<br />
<br />
　それに合鍵を隣の家に預ける習慣があった。鍵をなくしたとき、家に入れるようにするためらしい。それほど人間同士信頼しあっていたのだろう。<br />
<br />
　現代も下請けや現場労働者が引越しをするときは、職場の同僚が手伝ってくれるのはよく見かける光景だ。<br />
<br />
　けれど、大手企業に勤める人は、引越しの人に頼んでしてもらう。プロの手際もいいし、払うお金もあるから、気兼ねしなくていいのだろう。<br />
<br />
　現代のように人間関係の冷え切った時代、温もりを思い出させてくれる映画だった。<br />
<br />
　ちなみにこの映画、知った顔がいっぱいあって嬉しかった。乾君、増山さん、昼間さん、映画監督の増田俊樹さん、他にも見たことのある顔がいた。<br />
<br />
　特に松本哉さんは演技のほうも上手で、役者としての才能もあるのではないか、と思ってしまった。<br />
<br />
　これまで映画が遠い世界の出来事だったけれど、身近に感じられて楽しかった。</p>
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		<title>朝青龍の引退について</title>
		<link>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=210</link>
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		<pubDate>Mon, 22 Feb 2010 15:15:24 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=210</guid>
		<description><![CDATA[
なんだかんだ言っても相撲の人気は朝青龍と一体だったのではないか、と思う。モンゴルでノビノビ育った人間が日本の相撲界というシキタリの古い世界で、型にはめられ、マスコミからやんのやんの言われてもよくがんばってきたのではないだろうか？

　私は彼のような型にはまりきれない人間は好きであるし、日本人社会という狭い世界でしか生きられない人間に抵抗するのは、とても好ましいと思っていたのだった。

　そもそも日本人の若者を育てることができない大人たちが、モンゴルから人間をスカウトして人気を維持してきのではなかったか？

　朝青龍の日本に貢献したことに触れることなく、貶す思いやりのなさは同じ人間としてむしろ悲しいとさえ思ってしまう。

　言語の壁、習慣の壁を越えることは大変である。それをがんばれたのは、彼の精神力ではなかったか？

　一般人を殴るのはよくないけれど、私も殴られた経験があり、鼻骨を骨折したときは大変だったけれど、他人の責任にしたことはなかった。

　女性なのに顔が腫れている。喧嘩としか思われない覚悟をして、職場に行く。顔を見られる緊張感。

スタッフだけでなく、患者さんからも同情され、ものすごく恥ずかしかった。けれど羞恥心に抵抗できる強い人間になれたのだから、何か内面的には得るものがあったと思う。

　そして言葉によって相手の暴力を誘発することがあることも学んだ。そもそも暴力で男性に勝つことはできないから、相手の抗戦意志をいかに萎えさせていくのか、と自分の戦い方をかえる教訓にもなっていったものである。

　一般人といえども男性であるのだから、どういう理由で喧嘩になったのか、それはお互いに反省すべき問題ではないだろうか？

　なぜ社会は一方が加害者で一方が被害者であるかのような、誤った観念をつくり上げてしまうのだろうか？

　大切なのは自分の人生を自分でコントロールする力をつくっていくことであり、成長しようとする強い意志ではないかと思う。だから一方的に朝青龍の責任ではないはずだ。

　朝青龍はメディアによって引退に追い込まれたようなものであり、あのいたづらっけある笑顔をあまり見れなくなるとするととても寂しい気がした。

　彼は相撲で楽しかった想い出についてこう語った。武蔵丸に勝ったのを親が見てくれたことだ、と。

　親に喜んでもらえることはとても嬉しい。本国だったら当たり前にできるようなことでも異国では難しい。

　この日本が言語の壁を乗り越えてやってくる勇気ある若者にエールを送れるようになる日は遠いのだろうか？

　私は横綱でなくても、ただ働きにくるだけでもとても素晴らしい勇気だと思う。

　異国の地で語学の壁に苦しみ、習慣がわからず失敗したことのある人間なら同じように思いやりがもてるだろう。

　たいていの日本人は仕事目的で集団で外国に行ったり、ワーキングホリデー、留学など協会に守られている人が多いから、本当の異国を体験した人が少ないのだろう。

　いつか日本がもっと自由な心を持つようになったとき、いろんな文化を持った人間を微笑ましく思う余裕ができるのだろう。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
なんだかんだ言っても相撲の人気は朝青龍と一体だったのではないか、と思う。モンゴルでノビノビ育った人間が日本の相撲界というシキタリの古い世界で、型にはめられ、マスコミからやんのやんの言われてもよくがんばってきたのではないだろうか？<br />
<br />
　私は彼のような型にはまりきれない人間は好きであるし、日本人社会という狭い世界でしか生きられない人間に抵抗するのは、とても好ましいと思っていたのだった。<br />
<br />
　そもそも日本人の若者を育てることができない大人たちが、モンゴルから人間をスカウトして人気を維持してきのではなかったか？<br />
<br />
　朝青龍の日本に貢献したことに触れることなく、貶す思いやりのなさは同じ人間としてむしろ悲しいとさえ思ってしまう。<br />
<br />
　言語の壁、習慣の壁を越えることは大変である。それをがんばれたのは、彼の精神力ではなかったか？<br />
<br />
　一般人を殴るのはよくないけれど、私も殴られた経験があり、鼻骨を骨折したときは大変だったけれど、他人の責任にしたことはなかった。<br />
<br />
　女性なのに顔が腫れている。喧嘩としか思われない覚悟をして、職場に行く。顔を見られる緊張感。<br />
<br />
スタッフだけでなく、患者さんからも同情され、ものすごく恥ずかしかった。けれど羞恥心に抵抗できる強い人間になれたのだから、何か内面的には得るものがあったと思う。<br />
<br />
　そして言葉によって相手の暴力を誘発することがあることも学んだ。そもそも暴力で男性に勝つことはできないから、相手の抗戦意志をいかに萎えさせていくのか、と自分の戦い方をかえる教訓にもなっていったものである。<br />
<br />
　一般人といえども男性であるのだから、どういう理由で喧嘩になったのか、それはお互いに反省すべき問題ではないだろうか？<br />
<br />
　なぜ社会は一方が加害者で一方が被害者であるかのような、誤った観念をつくり上げてしまうのだろうか？<br />
<br />
　大切なのは自分の人生を自分でコントロールする力をつくっていくことであり、成長しようとする強い意志ではないかと思う。だから一方的に朝青龍の責任ではないはずだ。<br />
<br />
　朝青龍はメディアによって引退に追い込まれたようなものであり、あのいたづらっけある笑顔をあまり見れなくなるとするととても寂しい気がした。<br />
<br />
　彼は相撲で楽しかった想い出についてこう語った。武蔵丸に勝ったのを親が見てくれたことだ、と。<br />
<br />
　親に喜んでもらえることはとても嬉しい。本国だったら当たり前にできるようなことでも異国では難しい。<br />
<br />
　この日本が言語の壁を乗り越えてやってくる勇気ある若者にエールを送れるようになる日は遠いのだろうか？<br />
<br />
　私は横綱でなくても、ただ働きにくるだけでもとても素晴らしい勇気だと思う。<br />
<br />
　異国の地で語学の壁に苦しみ、習慣がわからず失敗したことのある人間なら同じように思いやりがもてるだろう。<br />
<br />
　たいていの日本人は仕事目的で集団で外国に行ったり、ワーキングホリデー、留学など協会に守られている人が多いから、本当の異国を体験した人が少ないのだろう。<br />
<br />
　いつか日本がもっと自由な心を持つようになったとき、いろんな文化を持った人間を微笑ましく思う余裕ができるのだろう。</p>
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		<item>
		<title>新聞と政治家・超能力と宇宙人</title>
		<link>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=209</link>
		<comments>http://hayamikeiko.com/jujo_note/?p=209#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 18 Jan 2010 23:24:35 +0900</pubDate>
		<dc:creator>早見 慶子</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

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		<description><![CDATA[
ここのところ新聞報道にはいい加減にウンザリしている。小沢一郎氏のお金の問題のことであるけれど、「国民を裏切った」「国民に謝罪を」と大きく書かれているのだけれど、いかがなものだろうか？　

本当はきちんと説明を聞いてスクープを書きたい記者の名誉欲そのもではないだろうか？　「検察」より「国民」という言葉を書けば政治家を精神的に追いつめて何かしゃべるだろう、という自己都合そのものがちらついていて、不愉快な気分だ。

そう、民主党の人事させも動かせるし、首相さえ首を切れるという、まさに権力欲そのものをむき出してにしている自分に気づかないとは哀れである。

政治の重要なポジションにつく人の仕事が、政策を考える時間より、メディアでの発言の受けを考えるようになってしまったのは、２０００年以降顕著でさる。そもそもスキャンダルを追いかけ、実際の政策がこまごま決まっていることをきちんと報道しないことこそ、メディアの国民に対する冒涜ではないだろうか？

各業界の法律は毎年、いろいろ変化し、そのことで業務も変わらざるをえない。そういうことのほうが政治にとっては大切なはずだ。

お金のことを言うなら、鳩山さんのようにお金持ちなら、汚く金儲けしなくてもお金はある。けれど田中角栄を筆頭にお金のない者は人から集めなくてはならない。それだけ、お金のかかる選挙こそ問題にすべきなのに、ピントの外れた報道だ。

つまり、なぜそういう問題が起こり、どうしたら解決できるのか、という視点がないまま、逮捕されることが楽しいかのような報道こそ「国民」を侮辱した行為なんだと思う。そう、麻生首相が「漢字を間違えて読んだ」ときのように。

多くの働く者たちは漢字は読めなくても、政策の影響は理解できるのだ。けれど、現場にいない記者たちは政策の影響が実感として理解できないので、自分たちの得意な漢字や、スキャンダルを暴くことのみに精力的になってしまうのだろう。

　国民の知りたいのはスキャンダルじゃない。けれど悲しいかな、報道されれば気になってしまうのだ。だからこそ違うだろ、大切なのは政策なのだ、何でそこを報道しないんだ、と言いたい。

国民の多くは小沢さんの退陣を望んでいるかのような報道は詭弁だ。あのような報道を流すから、国民の反応が流されているだけで、マスコミの報道イメージが左右しているだけなはずだ。つまり、マスコミこそ権力だということだ。

政治家にお金がないと辻本さんや山本さんのように秘書給与をピンハネしないと選挙ができず、むしろ小沢さんは人にお金を流すため悪をかって出たのだろう。

それを素晴らしいとは思わないけれど、文句ばかり言う無責任なマスコミや大衆よりはマシではないかと思う。こんな時代、誰だって不安定な選挙を戦いたくないし、何をやってもケナされる政治家なんてやりたくないだろう。

そう思うと私も政治家に挑戦して、文句を言う側から叩かれる側に積極的に出てみようとも考えるようになってきた。政治家になるか、医療関係のＮＰＯを立ち上げるか。政治家を目指す場合は東京を離れることを考えるけれど。

そう、今年のテーマはいろんなことの実践をし、評論より行動をしようと思う。

さて、その一つに超能力教室を開く、ということを考えてみた。これを身近な人に話してみたら、あまり関心なさそうな顔をされてしまった。

どうやらかなり突拍子もない発言にうつったらしい。けれど、私としてはこれからは２０１２年に向けてアセンションが注目されることは間違いないと思っている。

これまでは１９９９年などは地球の破滅、世界の破滅かのようなイメージで負の要素が強かったけれど、２０１２年はちょっと違う。破滅と同時に新しい時代の幕開けというイメージが平行して存在している。

いいイメージではアセンションによって人間の次元が上昇するという主張である。もちろん個人差があるけれど、イメージは伝播する。

マスコミがケナせば、政治家の人気が落ちるように、人がアセンションすれば連鎖する可能性もあるだろう。

次元上昇の一つには超能力を身につけることも含まれる。つまりこれまで、人間の頭はデータや視覚、聴覚に捉われて生きてきた、ということだ。

だからスプーンは金属だから曲げにくいというイメージがあると曲げられない。ちなみに都市伝説外伝！超能力でスプーンを曲げているおばさんが映っていたけれど、あの程度なら私も簡単にできると思った。

念じなくても普通のスプーンなら簡単に二つに折れる。やり方を見せると男性なら誰でもできたけれど、女性はそうでもなかったようだ。

コウピュータの超能力診断をしたら６５％で上質のセンスありになっていたから、訓練をしてみたいと思ったのだ。けれど、一人で訓練をするのは根気がいる。

コンピュータゲームは一人で簡単にできるけれど、超能力トレーニングだと短距離走を何本もやるような退屈さがあり、人がいて、タイムをチェックしてくれるなどがないとすぐにやめてしまう自分がいる。

それで思いついたのだけれど、どうだろうか？　誰か興味を持った人がいたら、メールで連絡して欲しい。

さらに追求してみたいテーマに宇宙人がある。たいてい左翼に宇宙人と言うと相手にされないし、職場でもそうである。

けれど自分の本当の姿は宇宙人ではないだろうか？　という子どものときからの疑問を探求してみたくなったのだ。

先日設楽さんと飲みにいったときのことだ。カクテルを口にしながら、前世の話をした。彼は前世の話までならつきあえるよ、と語り、「次に生まれるならどこの国がいい？」と聞いてきた。彼は「僕はブラジルがいいな。とても自由な雰囲気があり、人間の深さもあるし」と言った。

「私は金星がいいな」と言った。彼は「金星ってどんな社会かわからないから」と言った。

「金星って貨幣がなく、人間がテレパシーで話すところだよ。大きなドームががあって、七色の噴水もあり、図書館だってあるんだよ」と私は言った。

金星社会の詳細はかなり詳しく語れると思う。その世界はアストラル世界なので、振動数が少し違うから、敏感な人でないと見えないかもしれない。

日本にはいまだに金星人のファンがそこそこいるようだから、そうした理想の社会をこの地球に築き上げられたらいいと思った。

でもお金が好きな地球人が多いとすると簡単に変わるものではないかもしれない。それでも同じバイブレーションを持った人が仲良くすることで、新しい自分が発見できるかもしれないと思った。

これまで封印してきたことを２０１２年に向けて、思い切って表現していこうと思う。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
ここのところ新聞報道にはいい加減にウンザリしている。小沢一郎氏のお金の問題のことであるけれど、「国民を裏切った」「国民に謝罪を」と大きく書かれているのだけれど、いかがなものだろうか？　<br />
<br />
本当はきちんと説明を聞いてスクープを書きたい記者の名誉欲そのもではないだろうか？　「検察」より「国民」という言葉を書けば政治家を精神的に追いつめて何かしゃべるだろう、という自己都合そのものがちらついていて、不愉快な気分だ。<br />
<br />
そう、民主党の人事させも動かせるし、首相さえ首を切れるという、まさに権力欲そのものをむき出してにしている自分に気づかないとは哀れである。<br />
<br />
政治の重要なポジションにつく人の仕事が、政策を考える時間より、メディアでの発言の受けを考えるようになってしまったのは、２０００年以降顕著でさる。そもそもスキャンダルを追いかけ、実際の政策がこまごま決まっていることをきちんと報道しないことこそ、メディアの国民に対する冒涜ではないだろうか？<br />
<br />
各業界の法律は毎年、いろいろ変化し、そのことで業務も変わらざるをえない。そういうことのほうが政治にとっては大切なはずだ。<br />
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お金のことを言うなら、鳩山さんのようにお金持ちなら、汚く金儲けしなくてもお金はある。けれど田中角栄を筆頭にお金のない者は人から集めなくてはならない。それだけ、お金のかかる選挙こそ問題にすべきなのに、ピントの外れた報道だ。<br />
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つまり、なぜそういう問題が起こり、どうしたら解決できるのか、という視点がないまま、逮捕されることが楽しいかのような報道こそ「国民」を侮辱した行為なんだと思う。そう、麻生首相が「漢字を間違えて読んだ」ときのように。<br />
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多くの働く者たちは漢字は読めなくても、政策の影響は理解できるのだ。けれど、現場にいない記者たちは政策の影響が実感として理解できないので、自分たちの得意な漢字や、スキャンダルを暴くことのみに精力的になってしまうのだろう。<br />
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　国民の知りたいのはスキャンダルじゃない。けれど悲しいかな、報道されれば気になってしまうのだ。だからこそ違うだろ、大切なのは政策なのだ、何でそこを報道しないんだ、と言いたい。<br />
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国民の多くは小沢さんの退陣を望んでいるかのような報道は詭弁だ。あのような報道を流すから、国民の反応が流されているだけで、マスコミの報道イメージが左右しているだけなはずだ。つまり、マスコミこそ権力だということだ。<br />
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政治家にお金がないと辻本さんや山本さんのように秘書給与をピンハネしないと選挙ができず、むしろ小沢さんは人にお金を流すため悪をかって出たのだろう。<br />
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それを素晴らしいとは思わないけれど、文句ばかり言う無責任なマスコミや大衆よりはマシではないかと思う。こんな時代、誰だって不安定な選挙を戦いたくないし、何をやってもケナされる政治家なんてやりたくないだろう。<br />
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そう思うと私も政治家に挑戦して、文句を言う側から叩かれる側に積極的に出てみようとも考えるようになってきた。政治家になるか、医療関係のＮＰＯを立ち上げるか。政治家を目指す場合は東京を離れることを考えるけれど。<br />
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そう、今年のテーマはいろんなことの実践をし、評論より行動をしようと思う。<br />
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さて、その一つに超能力教室を開く、ということを考えてみた。これを身近な人に話してみたら、あまり関心なさそうな顔をされてしまった。<br />
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どうやらかなり突拍子もない発言にうつったらしい。けれど、私としてはこれからは２０１２年に向けてアセンションが注目されることは間違いないと思っている。<br />
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これまでは１９９９年などは地球の破滅、世界の破滅かのようなイメージで負の要素が強かったけれど、２０１２年はちょっと違う。破滅と同時に新しい時代の幕開けというイメージが平行して存在している。<br />
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いいイメージではアセンションによって人間の次元が上昇するという主張である。もちろん個人差があるけれど、イメージは伝播する。<br />
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マスコミがケナせば、政治家の人気が落ちるように、人がアセンションすれば連鎖する可能性もあるだろう。<br />
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次元上昇の一つには超能力を身につけることも含まれる。つまりこれまで、人間の頭はデータや視覚、聴覚に捉われて生きてきた、ということだ。<br />
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だからスプーンは金属だから曲げにくいというイメージがあると曲げられない。ちなみに都市伝説外伝！超能力でスプーンを曲げているおばさんが映っていたけれど、あの程度なら私も簡単にできると思った。<br />
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念じなくても普通のスプーンなら簡単に二つに折れる。やり方を見せると男性なら誰でもできたけれど、女性はそうでもなかったようだ。<br />
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コウピュータの超能力診断をしたら６５％で上質のセンスありになっていたから、訓練をしてみたいと思ったのだ。けれど、一人で訓練をするのは根気がいる。<br />
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コンピュータゲームは一人で簡単にできるけれど、超能力トレーニングだと短距離走を何本もやるような退屈さがあり、人がいて、タイムをチェックしてくれるなどがないとすぐにやめてしまう自分がいる。<br />
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それで思いついたのだけれど、どうだろうか？　誰か興味を持った人がいたら、メールで連絡して欲しい。<br />
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さらに追求してみたいテーマに宇宙人がある。たいてい左翼に宇宙人と言うと相手にされないし、職場でもそうである。<br />
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けれど自分の本当の姿は宇宙人ではないだろうか？　という子どものときからの疑問を探求してみたくなったのだ。<br />
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先日設楽さんと飲みにいったときのことだ。カクテルを口にしながら、前世の話をした。彼は前世の話までならつきあえるよ、と語り、「次に生まれるならどこの国がいい？」と聞いてきた。彼は「僕はブラジルがいいな。とても自由な雰囲気があり、人間の深さもあるし」と言った。<br />
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「私は金星がいいな」と言った。彼は「金星ってどんな社会かわからないから」と言った。<br />
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「金星って貨幣がなく、人間がテレパシーで話すところだよ。大きなドームががあって、七色の噴水もあり、図書館だってあるんだよ」と私は言った。<br />
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金星社会の詳細はかなり詳しく語れると思う。その世界はアストラル世界なので、振動数が少し違うから、敏感な人でないと見えないかもしれない。<br />
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日本にはいまだに金星人のファンがそこそこいるようだから、そうした理想の社会をこの地球に築き上げられたらいいと思った。<br />
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でもお金が好きな地球人が多いとすると簡単に変わるものではないかもしれない。それでも同じバイブレーションを持った人が仲良くすることで、新しい自分が発見できるかもしれないと思った。<br />
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これまで封印してきたことを２０１２年に向けて、思い切って表現していこうと思う。</p>
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