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「カルト漂流記・オウム篇」−彩流社―(定価1890円)の出版によせて



 たった一瞬にして驚くほど人生が変わってしまうこともある。それが幸せになれる変化ならとても素晴らしいことだろう。でもたいていは悪いほうの突然の出来事がやってくるから、この世の悲しみはなくならない。そう、私にとっていつまでも頭をもたげて忘れられない出来事が、あのオウム真理教による一連のサリン事件だ。
 過激派を辞めた私は生きる目的を求めて、オウム真理教の信者たちと交流し、道場に足を運ぶようになっていた。それには理由がある。セクトを辞めた私にとって、共産主義は癒しにならなかった。共産主義は、むしろセクトを脱退したという自分の汚点を強調する言葉であり、聞くたびに「おまえは脱落者」と言われているような苦痛さえ味わった。そんな脱落者の私にとって、宗教は最低の人間でも生きる価値があるとなぐさめてくれるエデンの園のようで、私の心は少しずつスピリチュアルな世界に魅せられていった。たいてい社会運動をする人は宗教に批判的だし、宗教心を持つ人は「政治は腐敗しているから」と無関心になってしまう人が多い。そんな中で私はその両者を見事に統合させたかのような集団、オウム真理教と出会った。
出会ったオウムの人々はとても魅力的で、人間の生きる意味や、社会、政治まで幅広く話し合うことができた。日常生活では軽い話しかできないため、俗世間を離れて、こういう人と一緒に修行できるのは、とても素晴らしいことではないか、と考えるようになっていった。
 けれど、あのサリン事件で、その希望は崩壊していった。そう、凄惨なサリン事件。どれほど多くの人々が苦しむことになったのだろう。被害にあった人々とその家族。そして殺された坂本弁護士一家、殺された信者や修行で死亡した家族の人たち。その苦しみは今も消えないだろう。けれど加害者だって死刑判決を受けて刑務所を出るときは遺体になったときだけ、という生き地獄に苦しんでいるはずだ。組織としての任務でなかったらそこまでしなかったに違いない。
 私はかつて過激派で活動をしてきた。だから、あの地下鉄サリン事件に私の分身を見てしまうのだ。そう、まるで私の罪を背負って事件を起こしてしまった分身だ。私は彼らと同じ境遇でもおかしくはなかったのに、ここで生きている。だから書こうと思った。
 彼らは真実を求め、財産を投げ出し、出家までした勇気ある人々でもあったのだと。短期間であれほど、大きな発展を遂げ、どんなことにも挑戦する集団を私は見たことなかった。本当にエネルギッシュで理想に燃える魂の集合体だと感じた。何であんなにも高学歴の若者が魅了されていったのか?

 私の体験したオウム真理教。その壮大なドラマは一生私の心から離れないだろう。そう、それは関わるすべての人が真剣に生き抜いた永遠の物語である。
早見慶子